三国志。孫権と関羽雲長は確執がありましたか?
あります。
その理由に、縁談を断った以外に、関羽が呉に対してかなり横暴なことをしています。
関羽が樊城を討伐する前か、その最中だったかはわすれましたが、
同盟者である呉の軍需物資を略奪(関羽は無断借用のつもりだったらしいけど、
どっちにしても・・・ですけどね)しております。
荊州の領土問題も決着がついていたとは言いがたく、そのことで甘寧と河を挟んで睨み合いをしたりもしていたことから
確執はあったようです。
しかも非は関羽の方が多い気がします。
ありまたよ^^元々、関羽は呉を嫌っていたかあなどっていたか、どっちか忘れたけどだったし、赤壁で曹操をおっぱらったものの、すぐに兵力や富等を回復してきているので、孫権としても曹操とは組みたかったのでしょう。
ありました。「虎の子を犬にやれるか!」は有名なせりふです。
確か孫権の息子の嫁に関羽の娘の縁談を
持ち掛けたら無碍に断った事が確執を生んだ
のだと思いますが。
0 件のコメント:
コメントを投稿