2012年3月27日火曜日

三国志演義で過大評価なのは、諸葛亮、関羽、趙雲、姜維あたりですか?

三国志演義で過大評価なのは、諸葛亮、関羽、趙雲、姜維あたりですか?

下記サイトでは

http://1st.geocities.jp/nub3594/kadai.html



1関羽

2姜維

3諸葛亮

4孫権

5劉備

6夏侯惇

7趙雲

8陶謙

9太史慈

10公孫瓉







失礼ですが、それは評価なのかな・・・?と

首を傾げたくなるようなちぐはぐな文章ですね・・・。



まず、関羽に至っては、三国演義と正史の記述の差ではなく

どちらにも書かれている、荊州の失敗を取り上げているため

どこがどう三国演義での過大評価と思えるのか?という

基本の部分がクローズアップされていません。

関羽の失敗談を叩いてるですよ。これでは評価とは言えませんね。



姜維や諸葛亮にしても、叩いた後に褒めているため

結局、このサイトの方も彼らを評価してるんじゃないでしょうか?



劉備や孫権に対しては、ダメな部分のみを取り上げてるだけの

罵詈雑言塗れで見るに耐えません。



更に陳寿さえも槍玉に挙げて、三国志正史の著者に対して



「正史」とは「正しい歴史」の意ではない。

この人の妄想がどれだけ入っていることやら…



などと書かれてしまっては、三国演義で過大評価されているという

基本テーマすら崩壊しているのでは・・・





真摯な気持ちで三国志の歴史を愛好し、物語として改変を

余儀なくされてしまった歴史書の記述のままにその人物の事を

伝えたい。

という思いは素晴らしいものだと思いますが、あまり「馬鹿」などという

あからさまな侮蔑であったりする言葉を乱用する人に人物評などは

下して欲しくないものですね。








ほとんど過大評価ですよね。演義では。

順位づけは難しいです。ただ過小評価されているのは、以外と劉禅かも?

彼って魏の滅亡も生きて目の当りにしてるんですよね。それって結構面白くないですか?したたかですよね。







あー( ̄∀ ̄;

そのサイト主さんは、おそらく正史『三國志』を直接読んだ事がないのではないかと思います。それほど、書かれている文章には正史と演義の混同が見られます。おそらく他人の書いたもの(サイトや本など)しか読んでないのでしょう。

「このランキング・文章には筆者の独善的な考えが多々含まれています」と最初に注記してはいますが、独善的を通り越して誤解と偏見だと切り捨ててもよいぐらいですね。



『三国志演義』で過大評価の傾向があるのは、主に「劉備陣営もしくは蜀に味方したり忠誠を誓った人物」である場合です。劉備陣営の主な面々はもちろん、陶謙や公孫サン[王贊]などがそう。過大評価というか好意的評価と言ってもいいかも知れません。

もちろん、普通に評価しても充分すぎる人々はそのままです。最大の好例が関羽。

逆に、劉備陣営に敵対あるいは否定的な人々の大半は過小評価ですね。曹操はじめ魏軍諸将はもちろん、周瑜や呂蒙などの一部の呉将や、魏延や孟達などの蜀を裏切った人々などがそう。



「敵なのに過大評価」っていう人もいますよ。最大の好例が呂布。まあこれは「強大な敵がいなきゃ話が盛り上がらない」からですが(笑)。



あと、「どっちでもない人」が相当数います。正史とあまり変わらない評価をされてる人々。

孫権などはこれでしょうが、敵である張遼や司馬懿、陸遜などもここに入ります。まあ張遼は関羽と仲良しで劉備陣営とは直接対決してませんし、陸遜や司馬懿は過小評価すると夷陵や北伐の敗戦が納得できなくなりますが(^_^;

「どっちか分からない人」もいます。例えば魯粛は一概に過大評価とも過小評価とも言えません。



結局、正史『三國志』も小説『三国志演義』もそう簡単には読解できないのです。どちらも深く深く読み込まなければ作者(陳寿と羅貫中)の真意には辿り着けないとお考え下さい。







演確かに諸葛亮、関羽、趙雲、姜維らは演義では過大評価されすぎで、それはそのサイトの言うとおりです。でも、そのサイトにもある通り、彼らにも評価すべき点はあります。趙雲も地味ですが定軍山の戦いでは見事に黄忠の救出や撤退戦では見事な立ち回りを見せています。





蛇足ですが

太史慈

赤壁の戦いの前に死んだことを過大評価の理由にするのはどうかと思います。太史慈は劉表からの侵攻を何度も防ぎ、黄祖との戦いでも活躍しているなど、呉での太史慈の功績は非常に大きいと思います。ただ太史慈には赤壁の戦いの様な大きな戦に参加する機会が無かっただけです。しかし、そもそも別に太史慈はそこまで評価されているというわけではありませんが。





陶謙

陶謙の記事の最後に「・・・という説もある。」と書いている様に、この話は魏書「陶謙伝」にのっとった話です。しかもこの魏書「陶謙伝」は魏が徐州での悪評をあんじて、自分たちに非が無いよう陶謙を悪く書かせたという話もあるほどです。それに、呉書では陶謙のことを名君として評価していますし、陶謙は王郎を使って会稽を太守にさせるなどして政治的に勢力を広げるなど、陶謙には有能な面もあります。でも、いずれにせよ陶謙はそこまで評価はされてはいません。





孫権

確かに孫権は酒癖が悪く、晩年も大いに汚点を残しましたが、孫権はとても有能で、部下の意見をよく聞き入れ部下をうまく使い、魏や蜀との駆け引きにも臨機応変に対応し、呉と部下をうまくまとめあげるなど孫権の功績は大きいので、過大評価と言うのはいささか言い過ぎかと思います。でも決してとは良かったとは言えません。







呂布あたりも過大な気がしますね

まぁ主役やライバル補正は当然あると思います

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