2012年3月29日木曜日

三国志にはいろんな説があり 嘘か真か分からない点がさまざまあります。 そこで ...



三国志にはいろんな説があり

嘘か真か分からない点がさまざまあります。



そこで

三国志

作:横山光輝



…の

『これは確実に嘘である』

と言われるのは


どこらへんでしょうか。







『三国志演義』と史実の違いじゃなくて横山光輝のマンガが対象ですよね?

かなり長いこと見ていないので記憶を頼りにいくつか・・・。



既に出ていますが芙蓉姫は吉川英治の小説をそのままマンガにしたものですね。

お茶を買う話しや先祖伝来の剣を張飛に譲る話も吉川三国志の内容です。

白馬寺が出てきたと思いますが、白馬寺は洛陽のお寺なので、ちょっとおかしいです。

張飛の八百八屍将軍、というのも、いつ将軍になったの?という感じ。

張飛は肉屋だったはずなのに。



嘘、というより間違いもいろいろありますね。

初めの頃、張飛は蛇矛ではなく薙刀を持っていたような気がします。

そもそも虎髭の張飛が長い髭だし、関羽とあまり変わらないような・・・。



董卓がスマートなおじさん、というのも逆ですね。

本当はかなりのデブだったはずです。



あと十常侍に髭が生えていたような・・・。

宦官は去勢しているので髭が生えません。



初めの方の合戦シーンでドラをたたいている人が辮髪で清朝の苦力のような格好だったような気がします。

当時も少数民族には辮髪があったのでしょうが、あれはどう見ても時代が違う。



ちょっとずれますが、金曜ロードショーか何かでアニメになった三国志では于禁が曹操に恋する女でしたね・・・。



改めてじっくり読み返したらいろいろおかしなところがあるのでしょうけど、とりあえずこれくらいです。

まあ、マンガですし、細かい間違いがあっても横山三国志の成果は損なわれないですけど。



『三国志演義』と史実の違いとなると、語りつくせないです・・・。








孔明が天才軍師になってるところ。史実の孔明は、内政官としては大変優秀でしたが、軍人としてはそれほどの功績を挙げていません。上の方がおっしゃるように、赤壁の勝利も孔明の功績ではありません。愚将ではないかも知れませんが、名将とも言えません。







まず前半の名場面、汜水関の戦いで関羽が華雄と一騎打ちをして、酒が温かい内に華雄の首を持って関羽が帰ってきたという話は嘘です。また、関羽の千里行も関羽の忠義と武勇を強調するためのフィクションです。地図を見るとわかりますが、演義の道順で行くと西北に出て洛陽を目指し、東にターン。汜水関、榮陽、黄河の渡し場へ行き、それから南下するという、実に不可解な遠回りをしたことになります。



三国志最大の山場でもある赤壁の戦いにも様々な「演出」が施されています。

孔明が二十艘の船を率いて曹操軍から10万本の矢を集めた話しは嘘で、213年(建安18年)に曹操と孫権が対峙します。孫権が曹操軍の敵情視察に出た際、船の側面に大量の矢を受け船が傾き転覆しそうになった為、船の向きを変更し片側にも大量の矢を受けてバランスを持ち直して難を逃れたという孫権の機転を生かした話が元ネタになっています。

赤壁の戦いにおいて龐統が曹操に連環の計をしかけたことになっていますが、正史に龐統が赤壁の戦いに参戦していた記述は一切ありません。おそらく孔明より遅れて物語に参加するため、あえてドラマティックな役回りを演出させ、遅れてきたハンデを取り戻させるために活躍させたと言われてます。



後半の見所である諸葛孔明と司馬仲達の知恵比べ。両雄の初激突となった街亭の戦いですが、演義では魏軍の参謀は司馬仲達ですが、正史では張郃が参謀です。歴史書の『晋書』によると司馬仲達は反乱を起こした孟達を滅ぼした後、宛城に引き揚げており蜀軍とは戦ってないことになっています。つまり司馬仲達は参戦すらしていません。孔明は張郃に負けたのです。



他にも矛盾は多少あります。三国志演義は小説なので「史実7割、虚構3割」といわれてます。しかし、この絶妙な配分と作り話こそが三国志を魅力あるものにしていると言えるでしょうし、漫画も面白く描けるのでしょうね。







これは嘘だというのは語弊があるんじゃないかな。演義は歴史書じゃないんだから。



まぁ一つ挙げるなら合肥で太史慈が張遼の策で殺されるシーンかな。赤壁前に「男たるもの皇帝になるべく戦ってきたというのに、こんな所で死んでしまうとは!」と凄い台詞吐いて病死してる。一応孫権の部下だと言うのになんという野心家。張遼の知勇兼備ぶりを引き立たせる役目ですね。馬良も似たようなケースで、夷陵の戦いで戦死しているにも関らず孔明の南征時に馬謖が病死を伝える。馬謖の登場シーンとその後に南征の方法論を述べさせ馬謖の知略の高さを示すためですね。こういうところは羅漢中の物語の盛り上げ方は秀逸です。



あんまりよく覚えてないですが、確か両方とも横山三国志にもあるシーンですよね。







芙蓉姫は吉川三国志に出てきた架空の人物でそのまま横山三国志にも登場していますね。



別に横山三国志に限った話ではないですが、関羽、張飛の青龍偃月刀、蛇矛は三国時代よりも数百年以降後で初めて作られた武器です。







諸葛丞相の車椅子。普通に馬に乗ってたと思います。特に益州では不向きです。でもしっくりくるんですよね…

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