三国志演義の「諸葛孔明の智略」の訳を教えてください!
お願いしますm(_ _)m
三国志演義120回本には、
「諸葛亮の智」と表題のついた回は、3回あります。
長文なので概略でご勘弁ください。
【第五十回/諸葛亮智をもって華容に算り関雲長義によって曹操を釈つ】
張遼は黃蓋を矢で射落とし、曹操を助けて岸に上がった。
黃蓋は韓当の船に助けられた。
甘寧は蔡中に曹操の陣中深く案内させると、彼を斬り殺した。
そして火をかけて陣を焼き払った。
曹操はこの火の海を百余騎で落ち延びた。
火の海を出ると呂蒙や凌統に待ち伏せされるも、
張遼と徐晃に食い止めさせて難を逃れた。
山を背に陣を布いていた馬延、張顗と落ち合い、
彼らに警護させてさらに兵を退いた。
前から甘寧に襲われ、馬延と張顗は討ち取られた。
曹操は張郃とも合流し、ふと立ち止まると笑って、
「周瑜も諸葛亮も謀を知らぬ男よ。
わしならこの場所に兵を伏せておくわ。」
と言った。
とたんに趙雲の軍勢が現れ、徐晃と張郃に趙雲に当たらせ落ち延びた。
豪雨になり、兵馬ともに疲れはててきたので休息をとったが、
曹操は笑って、
「やはり周瑜も諸葛亮も謀を知らぬ男よ。
わしならこの場所に兵を伏せて疲れた兵を襲うわ。」
と言った。
とたんに張飛の軍勢が現れ、
許褚、張遼、徐晃を当たらせて落ち延びていった。
張飛を振り切って死にものぐるいで馬を走らせるが、
途中で立ち止まって曹操は笑って、
「やはり周瑜も諸葛亮も謀を知らぬ男よ。
わしならこの場所に兵を伏せて疲れた兵を襲うわ。」
と言った。
とたんに関羽の軍勢が現れ、
疲れ切った兵馬では役に立たず、曹操は覚悟を決めた。
程昱が、
「関羽は義に厚い将でございます。
以前に丞相には恩を受けております故、この場は説得して難を逃れましょう。」
と進言した。
関羽は曹操と話すうちに以前の恩義を思い兵を退かせて曹操を通した。
後を追ってきた張遼も旧知の情から通してしまった。
曹操が難を逃れて時は27騎しか残っていなかった。
南郡に近づいたとき曹仁に迎えられた。
曹操は
「郭嘉が生きておれば無様な負けはしなかったものを。」
と泣いた。
曹操は荊州を曹仁に任せて許都に戻った。
関羽は曹操を見逃した後軍勢を率いて戻ってきたが、
誰も捕らえられずに戻ってきたので、酒を注がれても黙って座っていた。
諸葛亮が、
「将軍をお出迎えせなんだことをご不満か。」
と言った。
関羽は、
「それがしお詫びのため死を覚悟して参った。」
諸葛亮が、
「曹操は華容道に来なかったのですか。」
「いや来ましたが、それがしが仕損じました。」
「すると昔の恩義で見逃したのですな。
誓紙がある以上、処分は免れませぬぞ。」
と言うなり、首を打てと命じた。
さて、関羽の命はいかに。それは次回で。
【第五十二回/諸葛亮智をもって魯粛を辞け趙子竜計をもって桂陽を取る】
省略。
【第七十二回/諸葛亮智をもって漢中を取り曹阿瞞兵を斜谷に退く】
徐晃は攻撃を仕掛けたが、蜀軍は一向に動かなかったので一時退こうとした。
そこを蜀軍に叩かれ敗走し陣に戻った。
怒って王平に、
「わしの軍勢が危うくなったときなぜ加勢に来なかった。」
「出るとこの陣が取られていたやもしれませぬ。」
徐晃は激怒して殺そうとした。
王平は陣に火を放って蜀に投降した。
徐晃は、この事を曹操に伝えた。
怒った曹操は兵を進め蜀軍を退けた。
そこに諸葛亮の合図が出て、
夜討ちをかけられ陽平関まで落ち延びていった。
陽平関を張飛と魏延が襲ってきたので、
許褚が兵糧護送と張飛を討つと申し出た。
しかし途中で大酒を飲んでしまい、襲われて敗走した。
曹操は自ら兵を率いて出るが大敗し、陽平関を棄てて落ち延びた。
行く手に曹彰が現れて斜谷まで導いた。
曹操は、料理の鶏の肋を見てふと胸につくものを感じた。
触れを伺いに来た夏侯惇に、思わず「鶏肋」を口にしてしまう。
意味の分からない夏侯惇は楊修に聞くと、
「肉を食えないが味わいがあって棄てられぬ。
つまり、進もうと思ってもかなわず退けば笑われる。
ともあれここにいても仕方ないので引き揚げるに越したことはござらぬ。
近々陣払いが出されましょう。」
と答えた。
曹操は、夏侯惇の陣が荷物をまとめているのを見て事情を聞くと、
大いに怒って楊修を打ち首にした。
次の日斜谷から兵を出した。
行く手に魏延が立ちたちはだかり、龐德が激しく打ち合った。
そこに馬超が討ち入った。
曹操は、
「退く者は大将でも斬る。」
と剣を抜いて下知すると、皆が必死に進んだので、魏延はわざと退いた。
曹操は魏延を追ったが、彼の矢を受けて落馬し薙刀で斬られそうになる。
そこに龐德が駆けつけ魏延を追い払った。
曹操は手傷を負って帰陣したが、矢によって門歯が二本欠けていた。
この時、初めて楊修の言葉に思い当たることがあったので、
彼の屍を手厚く葬って陣払いの命を出した。
そこに、斜谷の左右の山上に火が上がり伏勢が追いすがるとの知らせ。
さて、曹操の命は。それは次回で。
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