三国志
最近、吉川英治の三国志を読んでおります。
で、ふと疑問に思ったのですが、『桃園の誓』で、劉備と関羽と張飛は義兄弟の契りを結んだんですよね??でも、それ以前から、関羽と張飛は義兄弟だったんですよね???
このふたりは、どんな流れで義兄弟になったんでしょうか??そこんとこに詳しい方いらっしゃいましたら教えて下さい。
三国志演義とは、いろいろな人が独自で考えた三国志をまとめたものが三国志演義なのです。
ですから、「桃園の誓い」までの経緯には色々なお話があるんです。
代表的なものを一つ
張飛はある町で肉屋を営んでいました。店の前には巨大な岩、その下には包丁が敷いてあり
「この包丁を取ることができたら肉は無料」と書いた看板を掲げていました。
ある日、塩商人の不正を見つけて殺してしてしまい逃亡中の関羽がその看板を見た後、余裕で岩から包丁を取り出しました。
それを見た張飛は関羽と話し合い意気投合してそこに劉備も加わって桃園で誓いあった。など他にも色々なお話があります。
その中には神話のような桃園の誓いもあります。
ある村で、劉備を中心に国を憂う集団がありました。
その集団には関羽、張飛もいてよく酒を飲んだりしていました。
しかし、劉備はろくに働かず草鞋を編んで少しばかりの金を稼いでいるだけで張飛や関羽から金を借りたり返す事はなく、酒を飲むときもみんな酒や肉を持ち寄っているのに劉備だけ飲み食いするだけで何も持ってくる事は無く、張飛は「劉備は俺達をカモにしているだけではないのか?」と疑い今後どうするか?を聞きました。
すると劉備は「俺達が幸せならそれでいい。」と言ったので張飛は劉備に失望してしまい関羽や張飛は自分達だけで挙兵する事にしました。
その為、劉備には縁を切るため桃園に義兄弟の誓いをするからと嘘を言って呼び出しました。
張飛は桃園にある井戸に布を被せて椅子に見せかけ劉備がここに座って井戸の中で首の骨を折って死んでしまうよう仕掛けました。
そんな事も知らず劉備はノコノコとやってきて劉備は井戸にすわりました。
しかし、劉備は井戸の落ちません。
張飛はびっくりして、井戸に被せてある布をめくって見てみると劉備の下に黄色(金色)の龍が劉備を支えているのです。
張飛はその事を関羽に話しました。
そして関羽もその井戸を見て張飛と話し合い本当に義兄弟の誓いをしました。
すると劉備の下にいた龍が劉備を担いで宙に浮きました。
そして劉備は「国中の奴等とこんな酒宴が開けるといいな。」といったそうです。
三国志正史において、劉備達が桃園の誓いをしたという記述はなくそれどころか義兄弟であったという事実もありません。
あるといえば「張飛は関羽を兄のように慕っていた」という一文だけです。
それでも劉備という波乱万丈な人生を送っている男に死ぬまでつきそっている関羽と張飛の劉備との関係は君主と家臣の関係だけではなく兄弟のようなつながりがあったのではないかと僕は思っています。
なんか関係なくなってきました。すみません・・・・・
その部分は、吉川英治の創作なので流れも何もないのです。
原典の「三国志演義」では、劉備と張飛が先に出会って、関羽はその後酒場で出会ったことになってますしね。
で、ちょっと面白い話を・・・。
「三国志平話」(宋代の講談「説三分」のネタ本)に載ってるやつです。
関羽というのは本名ではなく、常生(長生)といいました(これはホント)。故郷の山西で人を殺し、逃亡したのですが、関所につかまってしまいました。
「お前の名は、何という?」と役人に訊かれた彼は、「~関」という名を見て、「姓は関羽」と答えました。
「では、あざなは?」と訊かれ、彼が空を見上げると、雲が長くたなびいていました。「あざなは、雲長」と答え、放免された・・・という話。
平話には、このほか、とんでもないオリジナル・ストーリーが載っています。
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