三国志で関羽、張飛、呂布なんかはまさしく「一騎当千」のように言い伝えられていますが、やはりこれも誇張なんでしょうか?
『一騎当千』とは、
群を抜いた勇者の喩えであり、
人並みはずれた能力や経験などをもつ者をいいます。
一人の騎兵で千人もの敵を相手にできるという比喩です。
ここでいう千人は「多数」という意味で、
百人力が百人分の力がでるのではないのと一緒で、
1度に千人の相手が出来るという意味でありません。
「個」対「個」では、
無類の強さを誇る(であろう)
「関羽」「張飛」「呂布」らを表現しているわけですから、
誇張ではあるでしょうが、
その強さを「チョッと大袈裟」な形容詞を付けた、
ということでいいのではないでしょうか。
ちなみに、
「一騎当千」は「いっきとうぜん」と呼ぶのが正解です。
類義語に、
一人当千(いちにんとうせん)/蓋世不抜(がいせいふばつ)
/万夫不当(ばんぷふとう)/百戦錬磨(ひゃくせんれんま)などがあります。
一人で千人はさすがに倒せないと思いますが、それに近い働きをしたと思います。
実際の強さもそうですが、噂は人を化け物にします。
ですから強い呂布が来たと言うだけで雑兵なんかは怖くてにげます。死にたくないから道をあけますよね、残るは指揮官ですからそれを倒せば総崩れで退却みたいな感じだったのかなと想像しますが。
関羽が顔良を斬ったのもこんな感じなのかと。
馬超が劉備の配下に入ったと聞いた劉璋は3万の精兵を擁しながら劉備に降伏したことからも、名前だけで一騎当千以上の働きをしたと言えるかも知れないです。
ちょと膨張もあるでしょうけど3人とも豪傑だった事は間違いないと思います
多少言いすぎもあるかもしれませんが大体あっています。
張飛なんてたった一騎で駆け出し数十万の敵兵を一喝したそうです。
その張飛の迫力に腰が抜けた敵兵は退却してしまった・・・・という逸話が残るほどですから相当強かったと思います。
関羽、張飛は魏の程昱曰く「1人で1万人の敵を相手にできる将」すなわち「万人敵」と
称されているので誇張とは言いがたいと思います
数十倍の誇張でしょう。
指揮能力とか実績から来るカリスマ性からすれば「こいつがいる」というだけで、相手方に1000人分のプレッシャーを与えられるかも知れませんが、一個人の武力とすれば、せいぜい数十人分というところでしょう。
だと思います。どんなに強くても百人の人間を一度に倒せるなど、物理的に無理だと思いませんか。威圧感はあったのでしょう。戦場でわざと目立つような姿、しぐさをして、その雄姿を誇張しているのだと思います。
徐州の攻防戦で、呂布が関羽たちと一騎打ちをしたとき、その様相がすさまじかったのは本当だと思いますが。
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