2012年3月27日火曜日

三国志の質問です。 三国志演義の著者とされる羅漢中ですが、彼の書く文のところ...

三国志の質問です。

三国志演義の著者とされる羅漢中ですが、彼の書く文のところどころに地理的な間違いが多いと感じますが、現代人でも分かるミスを重ねるのは出鱈目が過ぎると思いませんか。

(汜水関の戦い、関羽の千里行の道順等)







羅貫中にかぎったことではありません。



出版に関しては江南の本屋が隆盛をほこっていました。江南の本屋から出た歴史読み本だけで、神話時代からの歴史が網羅できるくらいです。



つまり、作家の多くは江南にいたことになります。



地名って自分のなじみのないところほど位置関係がわからなくないですか? 私は関西在住ですが、鉄道路線でいくと、環状線、御堂筋線の北半分、阪神、阪急、南海ならなんとかわかりますが、近鉄や京阪は皆目わかりません。



ましてや、小田急とか東武とかになると・・・。





自治体名も同様に、北広島市の東には何がある、むつ市の南には何がある、というのは、私には全くわかりません。逆に、関西圏以外にお住みの方って、姫路と赤穂と明石って、「神戸の近く」、西宮や尼崎にいたっては、「神戸と大阪のどっちかの一部」くらいの認識の方が少なくないと思うんです。





当然、現代人の私たちはしらべりゃわかりますが、当時より以前の、当時とは行政区画が全くちがう時代の土地の位置関係を、一介の書生が知り得ることができたか、というと、かなり難しいと思います。





『三国志』にかぎらず、『水滸伝』も、土地の位置関係は???という感じですし。何かで読みましたが、楊志なんて、彼の生活地域とは違う方言を使っているそうですし。 説唐系でも、秦叔宝はもともと南朝系の人物、というようなところからスタートしたのを、正史との整合性から、『隋史遺文』で山東の出身に訂正し、それを『隋唐演義』が引き継いでいますが、あだ名は相変わらず「賽専諸」ですから、江南の名残があります。





デタラメ。確かにそう思います。ですが、「しかたがなかった」ということでよいのではないでしょうか。







追記。



質問者さま。



あ、確かにこの書き方だとそう読むほうが自然ですね。ご指摘いただいて気付きました。羅貫中の出身地はよくわかっていないはずで、別に彼が江南出身という意味で書きたかったわけではないのです。



羅貫中が、もともとあったお話を、どれくらい『三国志演義』に残したのかはわかりませんが、江南発で読み物が出版されれば、読者も江南の人が多かったはずで、読者があまり気にしないなら、訂正する必要もないのではないか、とも思います。





それから「そんなに距離は離れていない」ですが、確かにそうかもしれません。

例えば、私は姫路在住ですが、そんなに離れているわけではない加西市や宍粟市のことはさっぱりわかりません。姫路市内にある小赤壁という景勝地へ、高砂駅から最短で行く道も知りません。加古川駅からでも同様です。たとえ晋陽と虎牢関が近くても、わからないことは多いと思いますけれど、いかがでしょう。



もしくは、質問者さまがそうお考えになるということは、太原出身ではなかった可能性の方が高いのではないかと思います。








質問者さま?



質問文中に

「現代人でも分かるミス」

とありますが、

現代のように

「正確な地図」

が手に入る状況ではないでしょうから、

そのご指摘は少々酷では?と思います。



bap960428さまが現代を例に回答を寄せていらっしゃいますが、

これもご指摘の通り、

「自分の土地勘のない場所」

について詳細にしかも間違えなく記述するのは、

現代人の私たちでも難しいこと、です。



まして、

「中国大陸の広大さ」

を考えると・・・・・。



「間違いは間違い」

とおっしゃりたい、その心情は理解できますが、

もう少し温かい目で見て下さい・・・・・。



kankou_jp_weaponさま



「吉川三国志」の張郃に関する記述はご指摘の通りですね。

これもそろそろ、

「原作を損ねない程度の改訂」

が必要かと、個人的には思っています。







羅貫中は現在中国の山西省太原県の人で、羅貫中は黄河以南の地理的知識がなかったのではないかと解説書に書いてあるのを見たことがあります。ミスと言うより地理知識がなかったようですね。



確かに地理間違いが多くありますよね。関羽の千里独行もこれでは「千里迷走」と言いたくなると著者の先生は言っていました。







物語ですから。



そんなことを言ったら日本の三国志を題材にした小説も

なかなかに強烈ですよw



吉川先生は張コウを三度も戦死させていますし

陳先生は正史の記述を基準に・・・といいつつも

関羽の顔良斬りの場面では明代の嘉靖本の三国演義の

話を採用しています。



出鱈目=オリジナル

こそ小説の妙味かと。

歴史と相違ない小説なんて存在しませんよ。

小説となる以上、作家の思い入れが強く反映されています。







逆に現代人だからわかるし、気にもなるのでは?

そもそもあれは歴史書ではなく、講談をまとめたものなんですから、そこまで求めるほうが野暮だと思いますよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿