2012年3月27日火曜日

三国志関羽の偃月刀はハンパなくおもかったとか?80キロ?長さは?刃渡りは?やは...

三国志関羽の偃月刀はハンパなくおもかったとか?80キロ?長さは?刃渡りは?やはり呂布の次に強いのは、関羽続いて 強い武将トップてんは?劉備は人徳者と言われていますが、悪いことは、ひと

つもしてないのですか?極悪人トップてんは?どうたくの次にやはり呂布?

呂もうの人がらについて教えてくださいお願いします。







先の回答者さんのおっしゃる通り、偃月刀は三國時代にはまだ無かった武器ですが(笑)、まあハンパなく重かったのは事実です。

元末明初に書かれた『三国志演義』に関羽の武器として「冷艶鋸(れいえんきょ)」という名前の青龍偃月刀が出てきます。重さは八十二斤とあり、魏の度量衡で換算するなら約18kgですが、明の度量衡で換算すれば約49kgです。

刃渡りや長さは正確に書かれてはいなかったと記憶していますが、実在した偃月刀(主に儀礼用と言われます)から考えて、少なくとも全長約2m、刃渡り約50~60cmというところでしょうか。



強い武将トップ10も極悪人トップ10も候補しか挙げられませんね。

強いというのを個人的な腕力とするなら許チョ、典韋、董襲などが候補でしょう。武芸なら董卓、太史慈、歩兵の用兵なら曹操ほか多数、騎兵だと呂布や麹義などが候補です。

極悪人というのも「何をもって極悪人とするか」で変わります。無道なら董卓、公孫サン[王贊]、袁術など、冷酷なら公孫サンや劉類、陰険さなら法正などが候補です。



劉備の悪行としては益州を攻めた時「勝ち戦が続いて楽しい」と発言してホウ統に「仁者の態度ではない」とツッコまれています。

あとは、安喜県の尉(武官)の時にやって来た郡の督郵(監察官)に面会を断られて逆ギレし、木に縛り付けて鞭で殴打し逃亡したりしています。



呂蒙の人柄は、15、6歳頃は短気で粗暴で向こう見ずだったようです。姉の夫の軍に無断で従軍したり、自分を子供扱いして侮った人物を斬り殺したりしています。軍を率いるようになってからも黄祖の部将の首級を自分で挙げたりしています。

ただ精神的に大人になってからは思慮深く穏和で軍略・用兵に長じて周瑜・魯粛はもちろん孫権などにも称賛されています。








1. そもそも偃月刀とは、三国時代の何百年後の宋の時代に開発された武具であると言われているので、実際に関羽が使っていたわけではありません。『三国志』正史にもそんな記述はありません。ただ、偃月刀そのものは訓練用として作られたらしいのです。ただそれでもMaxは25kgぐらいだったようですが。



ちなみに関羽の偃月刀は、八十二斤(約18kg)だったと言われています。



2. あの時代は豪傑ばかりだったので、武力のランク付けは非常に困難です。極悪人のランク付けも然り。



3.劉備は確かに人徳のある人物ではあったのですが、結構ずるがしこいところもありました。彼は「主君」にあたる人物をコロコロと変えていましたし。とはいえ、そんな悪い点も乱世のためには必要だったのでしょう。



4.呂蒙のエピソードと言えば、やはり「呉下の阿蒙に非ず」でしょう。何かのことに非常に没頭しやすい人物といえますが、勉強する前はかなり「脳みそまで筋肉」な人物だったようです。







1.当時、青龍偃月刀はまだ開発されていません。そもそも関羽は偃月刀を使ってないわけです。

2.関羽は張飛のほうが自分より強いって言ってますな、演技だと。

3.トップ10は候補が多すぎて無理。

4.劉備の悪いこと…世話になった人を見限りながら渡り歩いてますな、世の中。

5.三国志の悪役としては、十常侍じゃないでしょうか。やはりトップ10は候補が多すぎて無理です。

6.人柄を語るようなエピソードは思いつきません。

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