三国志の演技と正史とではどのような点がちがうのでしょうか?
演技でのどのようなことが正史ではなくなりますか?
一言で言えば、まったく違うものです。
正史は、中国に24(または26)存在する、
主に国家によって公式に編纂された王朝の歴史書の1つです。
演義は、明代に書かれた中国の通俗歴史小説です。
四大奇書の一つとされます。
演義は正史を基にはしていますが、
あくまでも物語であって、小説の域を出ず、
よく史実が「7」でフィクションが「3」といわれますが、
感覚的には半分近くが信憑性に欠ける逸話です。
演義と正史の違いは、いろいろあって全部書き出せませんが、
代表的なものとしては、
劉備と関羽、張飛の出会いである「桃園の契り」は、正史には出てきません。
董卓配下の猛将華雄を、
曹操に勧められた酒が冷めないうちに斬った話は演義だけです。
「関羽の千里行」は、正史には記載がありません。
白馬の戦いで、関羽が顔良と戦いましたが、
顔良は一撃で首を刎ねられるようなような惨めな死に方はしません。
文醜も背後から斬殺されてしまうような惨めな死に方をしません。
諸葛亮への「三顧の礼」も、正史には出てきません。
赤壁の戦いで、10万本の矢を捕獲したのも演義だけで、
諸葛亮は風向きを変えませんし、
その後の敗走する曹操を関羽が見逃したりもしていません。
周瑜は「既生瑜、何生亮!?」
(天はこの世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのだ!?)と叫び、
そのまま持病が悪化して死去したとなっていますが、これも演義だけです。
「空城の計」を使い、城壁の裏に大軍がいると勘違いした司馬懿が
諸葛亮を恐れて撤退しますが、これも演義の創作です。
「饅頭」は、諸葛亮が南蛮征伐の際に作ったというのも演義です。
関羽が、孫権軍に処刑されたあと、呂蒙を祟り殺した話も演義です。
関羽の三男関索や、周倉は架空の人物です。
五丈原で魏延が燭台を倒していませんし、
「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」も、
『漢晋春秋』には出てきますが、正史には見えません。
演義のなかの京劇っぽい演出部分はほぼ全部フィクションです。妖術とか、道術とかのシーンもわかりやすいフィクション。任侠とか仁義、忠孝の話がでてくるところもほとんどフィクション。それはつまり劉備の人格・性格の現れたエピソードや、中盤でダラダラつづく関羽が中心のエピソード。戦闘描写、一騎打ちとかもほぼフィクション。正史は小説スタイルではなくて、逸話を本紀、列伝というかたちで人物や民族史ごとにまとめたものです。紀伝体という中国の史書固有のスタイル。むしろ辞典に近い。三国志正史は、国家の公式の歴史書ということで、魏志倭人伝もこの一部であることでわかるように、分量が半端じゃない。面白い章だけ抜粋したものはよく売ってありますが、要するにこれは読み物じゃなくて資料なので、全体を読む人は余りいないし、全部そろえると結構金がかかる。三国志演義は平易な言葉で書かれた、いわるゆ我々に馴染み深い小説のスタイルで、全120話からなります。エピソードごとにわかれるのは同じく三大奇書である、西遊記とかと同じ。明代にかかれたのでこの時代の書き方になる。三国志演義は、大型の小説本なら一冊で収まる程度なんで、といあえず読んでみるといい。こんなことありえねーよって部分は読めばすぐわかる。
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