三国志の関羽の逆恨みについて!
孫権に斬首され、呂蒙を呪い殺しますが、散々戦場で数多の命を殺めて置いて、いざ自分が殺されたら、化けて出ると、 いうのはどうでしょう?
(勿論、演義内の話ですが)
と質問している人がいましたが
この話を作った人は関羽の何【心情?】をつたえたかったんですかね?
日本語おかしかったらゴメンナサイ
その辺は僧の普浄(関羽と同郷で千里行の時に演義で出演)がちゃんとしかってますよ(演義で)。
「関羽殿も沢山の将を殺しておられるのに、その者達が関羽殿の前に現れ、呪われましたかな?」と諭したらしいですよ(まぁ…演義によっては記載されてたり、されていなかったりでしょうが)。もちろん関羽。その後も息子のピンチに2度程出てますが(笑)。関羽としては、まだ死にたくなかったんでしょうし、こうやって出てきては祀られたり、崇められたり…と中国での絶大な人気者(神様)として、作者が強調したかったのではないですかね(あくまで個人的意見です)。死してなお、恐れられる存在として。
ついでなんで、面白いエピソード紹介しますね
演義の作者では有名な、羅貫中について(正体は不明ですが)。
彼が、演義の原稿を書いている時の話です。
「劉備と離れ、曹操の下で劉備の2夫人を守っている時のこと。曹操はわざと関羽と夫人を同じ屋敷に住まわせ、主の妻に手を出させ、主の下に帰らせまいと謀った。しかし関羽は夫人には手を出さなかった。」とある。が、実は関羽が夫人に手を出してしまった説もあり、羅貫中がそれを書こうとしたら、なんと関羽の霊が現れて「夫人達に手を出したのは間違いだった。そこだけは削除してくれ」と頼んできた。羅貫中が断ると、関羽は怒って刀を振り、脅し、なかった事にさせてしまった。その後、羅貫中は関羽の都合の悪い事は何一つ書けなかったと。又、別の伝承では、関羽と夫人達が1本のろうそくに身を寄せていれば、その気になってくるだろうと羅貫中が構想を練っていると、やっぱり関羽が出てきて
関「そんなふざけた事は書かないでくれ」
羅「英雄色を好むと言うではありませんか、少しぐらいあだっぽい話があったほうが読者が増えます」
関「わしは女色は近づけなかったのに!」
と同じく怒り出し、ろうそくを叩き斬ると「貴様の頭もこうなるぞ!!」と消えたそうです。
なので、羅貫中は関羽をまったく邪念のない人物として、描かざるをえなかったと。
もちろん夫人に手を出した出さないは「正史」には載っていないので、真実はわかりません。
この話からして、羅貫中が関羽を化けて何度も出現させたのは…自分のとこに出てくれた程の「怖い存在」を物語中に表現したのだったら面白いですよね。当に「死してなお、恐れられる存在として」自分の元に来たのならば、物語中に怖い存在として表現したのかな?とか。この辺は私の解釈なので、鵜呑みにされないで下さいね(^^)
関羽は死後、かつて親交のあった普浄という僧の元に現われ
その矛盾極まりない不条理を訴えましたが普浄は
「おぬしに殺された顔良や文醜も同じような無念を抱えておったろうな。」
などと諭されると関羽は悔悟し、昇天したと伝えられています。
民衆の心理的には呂蒙や孫権は関羽を討った言わば憎むべき悪党であり
歴史的には平静の死を迎えられた彼らになんとか民衆心理を乗せた筆誅を
加えるべく呂蒙には惨たらしい死を、孫権にも痛嘆と恐怖を与えるべく関羽自身が
呪殺を持って、民衆の溜飲を下げますが
それでは関羽がただの幽鬼の類になってしまう。
そこで関羽は仏道へ帰依し、栄転の道を歩む事になる。
ヒーローにはヒーローらしい立ち回りを、ということかもしれませんね。
中国の方は現在でも家族間
友人間、夫婦間での「義」の繋がりを尊いものと大切にしますから。
天下の義人である関羽をより高みに上げ、誇り讃えたいのでしょう。
関羽を神として崇拝する気持ち、から生まれたのでは?
無念さでは?
任された土地を守り切れずに奪われ職責を果たせなかった悔しさ
もしかしたら天下をねらう君主の役にまだ立ちたかったのに道半ばで倒れる悔しさ
義兄弟としての思いもあるかもしれません
そしてそのような悔しさを作る原因となった国を奪った物への復讐心、怨念
そして関羽であればそういう思いがあればその気持ちで恨みを晴らせるくらいの力があるという作者の思い入れ
とかじゃないのかなぁ
あまり国語得意じゃないから上手にまとめられませんけどそんな感じに思いました
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