2012年3月20日火曜日

三国志の名馬といえば、「赤兎馬」の事で質問で、

三国志の名馬といえば、「赤兎馬」の事で質問で、

最初は呂布の愛馬で、後に関羽の愛馬となった「赤兎馬」は一日千里走るといわれますが、当時中国では千里は何キロでしょうか?

そして関羽の死後、「赤兎馬」は馬草を食べなくなり死んだといわれていますが、死亡時の年齢は何才ぐらいだったでしょうか?







一日千里を走ると言われる(汗血馬)は漢の武帝が西域より手に入れ、こよなく愛した馬です。

赤兎馬は其の品種になるのでしょうか。

赤兎馬は董卓→呂布→曹操→関羽と渡りましたが、

仮に董卓が呂布に譲った(190年)頃を一才として関羽が死んだのは(219年)ですから、

時に赤兎馬は(30才)くらいでしょうか。



「馬の年齢は人の一年が4才と言いますから(120才)になります」

真偽は兎も角凄い馬ですね。



前後しますが漢の一里は約414,72米、つまり千里で(414,72km)

24時間走って(時速17~km)になるでしょうか。

呂布の居た北方は山多く荒れ地で、千里を走ると言う汗血馬であっても、相当力のあった馬だったのでしょう。



因みに汗血馬の血を引く、たしか(アカールテケ)と言う品種の馬が、

20世紀初めの頃4200kmちかくをを8日間で走った記録があるそうです。

やはり 「汗血馬」は凄いですね。



これを聞いた時から「赤兎馬」は少ない記述でも馬の名が有ると言うことは、其の通りの力が有った凄い馬だったと思って居ます。

又サラブレットの多くは「汗血馬」の血を引くそうです。



記・

また長い距離を千里と表現することはよくあります。








詳しい回答と説明は他の方のとおりです。

ちなみに、東京(新宿区)を基点にした場合の後漢時代の千里(約415km)先は、

北に進むと、岩手県大船渡市(約416km)に、西に進むと兵庫県芦屋市(約414km)になります(直線距離で)



また、馬で30歳以上というのは大往生と考えてよいでしょう。

現代の競走馬では、三冠馬シンザンが36歳まで生き、世界最長寿記録は42歳だそうです。

尤も、赤兎馬と現代の馬の比較はあまり意味をなさないと思うので、参考程度に流してくださいな。







赤兎が正史に出るのは呂布伝の一文にしか出てきません(注に引かれる、曹瞞伝にも一文)

というわけで、赤兎が関羽に譲られたというのは創作であるし

年齢を調べようがありません

千里を走ったと言う記述も創作なので、自由に考えていいと思います







約0.4kmなので400kmぐらいでしょう。いくらなんでも無理でしょう。40km/hで10時間ずっとは走れませんよ。

数十年に渡って活躍したことになりますが、実際には何代かにわたって活躍したブランド馬のようなものと思われます。さすがに1頭の馬なんて事は物語りの話ですよ。たとえば農耕馬の中にサラブレットがいたらその速度はけた違いでしょう。馬体の大きさも違います。そんな感じではなかったのではないでしょうか。

董卓は西方出身なので、さらに西方のペルシャから名馬(サラブレットの祖先)を手に入れていたかもしれません。

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