関羽の青龍円月刀も張飛の蛇矛も
三国志の時代にはない架空の武器らしいですが、
では実際はどんな武器を使っていたのでしょうか?
三國時代に実際に使用されたと思われる武器に関してはだいたい挙げられてしまったので、補足という事で(^_^;
偃月刀も蛇矛も架空の武器ではありませんよ。ただ三國時代にはまだ無かったというだけの話です。
偃月刀というのは長い柄の先に大きく湾曲した幅広の片刃の刀を取り付けたもので、そのまんま関羽の武器を思い浮かべてもらえばよいと思います。これは唐宋期(10世紀以降)に次第に普及していった武器で、馬上での使用を想定されたものです。
また、蛇矛は元末(16世紀頃)に考案された武器で、矛の刃先を波形に加工して殺傷力を飛躍的に高めたものです。
ではなぜそんな後世の武器を関羽や張飛が使っているのか。
それは、日本で一般的に親しまれている三国志の大元である小説『三国志演義』が元末から明初(16世紀)に成立した物語だからです。
つまり偃月刀や蛇矛は、『三国志演義』が完成した時には、それを読む人々には馴染み深い武器であったのです。
【追記】
raymaxjpさんにご訂正頂いた部分は削除して追記致します。
晋の陳安が蛇矛を使用したという話は『晋書』載紀劉曜伝の記述によると思われますが、『晋書』は唐代に編纂された正史で歴史誤認のある記事や噂話程度の逸話まで盛り込まれており信憑性に欠ける書物です。
raymaxjpさんは信憑性に欠けるからといって無視はできないとおっしゃいますが、劉曜伝にははっきり「丈八蛇矛」と書かれており、丈八(一丈八尺、約4m)もの矛を片手で振り回したというあたりが既に誇張を含んでいるとは考えられないでしょうか。
槊(さく)は基本的に歩兵が対騎馬用に用いる柄の長い矛の事。形状・用途は西洋のパイクに似ています。
馬上での使用もあったようですが、肩紐で固定し西洋のランスのような使用法だったようです。
武器に関する話はあらかた出ているので、関羽が使用していた
武器について。
官渡の戦いの時、一時的に曹操配下になっていた関羽は敵将
の顔良を「刺し殺した」とあります。この辺りの描写は史書は比較
的正確性を求められます。「斬り殺した」のではなく「刺し殺した」
とあることから、この時関羽が使用していた武器は槍か矛のどちら
かでまず間違いない、と言う事になるでしょうね。
関羽の青龍偃月刀も張飛の蛇矛も三国志の時代には存在し得ない代物ですが、かと言って架空の武器でもないらしいです。
偃月刀(本来は掩月刀と言うそうですが、名前の格好良さを考えて偃月刀となった説もあります)は三国よりかなり後の唐の時代に生まれた武器で、元々は騎馬戦の武器として開発、採用されたものだそうですが、しかし、刀自身の重量による扱い難さや、製作コストが高いことにより戦場で見かけることは極めて少なく、儀式用の飾りとしてのみ使われていたそうです。蛇矛に関しては偃月刀に比べると誕生する時期はもっと早く、西晋末期から東晋南北朝期には既に史書に出現しています。陳安という人物がその使い手だったといわれています。
で、問題の関羽や張飛が実際にどんな武器を使っているかというと、歴史的根拠があまりないため確実なことは言えませんが、関羽に関しては槍や矛を使っている可能性が高いと思われます。合戦時の描写として「切り殺した」のではなく「刺し殺した」と描かれている場面もあります。と言うのも、三国時代当時は、馬に乗る時にいわゆる鞍というものをまだ実用されておらず、戦時は馬の背にそのまま跨って戦っていたことから、大振りな斬撃を技とする刀は馬のコントロール上当然使えませんから、代わりに突きを主体攻撃技とする槍や矛が使われることは容易に想像できるからなのです。仮に関羽が刀を使っていたとしても、偃月刀のような長柄の武器ではなく、三国時代に既に存在していた環首刀(刀と言うより剣に近い形状です。添付参照)という短い刀を使っている可能性のほうが高いです。
張飛の蛇矛も当然ながら当時から存在する可能性は薄く、恐らくは長めの槍や戈、或いは槊と呼ばれる刃渡りの長い槍類を使っている可能性が極めて高いんです。また、歴史資料によると、張飛は『新亭侯』という銘の短い刀を常に携帯しており、部下が謀反した際もその刀で首を刎ねられたと言われていますので、馬上では槍を、下馬時は短刀を武器にしているのではないかと推測しています。
【追記】
①kanshinshunjyuさんからご指摘頂きました『鞍』は間違いです。正確には『鐙』です。訂正します。すみません。
②同じくkanshinshunjyuさんのご指摘の陳安の段ですが、いくら『晋書』に荒唐無稽な逸話が多数書かれたからと言って、陳安という西晋末期の重要人物に関する記述を間違えるとは思えません。武力に多少の誇張があるにせよ、使用する武器は形状こそ相違があるにせよ、蛇矛であることは間違いないと思います。
③張飛が使用した蛇矛のあの形は15世紀の明朝では広く使われた武器ですが、蛇矛そのものの原型は古く、文学作品では唐にまで遡れます。また、『三国志演義』に近い形状でも遅くとも北宋の時代、つまり11世紀には既に登場しています。
戦国時代に鉄器が普及したため、基本的に後漢末・三国時代では鉄器製の武器が使用されています。
また、前漢時代に戦車が廃れてしまったので、それまで一般的な武装だった戈は廃れてしまいました。
そこで後漢末・三国時代の武器というと
長柄の武器では戟あるいは矛でしょう。
刀剣類では両刃の剣が廃れ、片刃の刀が用いられました。
射撃武器は弓の他にも強力な矢を射出する弩が使用されています。
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