三国志について其の2
関羽を捕らえた人、呉の馬忠(字、合ってますよね?)ですが、この人、どんな人なんでしょうか。
大手柄の筈なのに、それ以外については、ハンショウ(字出ない)の配下と言う事しか知りません。
と言うわけで質問は
演義では、この後殺されて蜀への手土産代わりになっていたと記憶していますが、正史ではどうなったのでしょう。
それとも、実際これ以外の記述が無く、捕らえた程度では後世に名前が残るほどの活躍では無いという事でしょうか。
です
お願いします。
正史での記述も『孫呉の右将軍潘璋の司馬。敗走する関羽・関平親子を捕縛した。』のみだと思います。
演義では玄徳の弟たちの報復戦の時,黄忠を矢で射たとあるのみです。
関羽を捕らえる程の人物にしては扱いがひどいですね。
ただ,関羽を捕らえたということで民衆(特に荊州)か嫌われていたんじゃないですか。もしかしたら,誰か有名な武将の変名かも…
馬忠(ばちゅう、生没年不明)は、後漢末期から三国時代の呉の武将。
潘璋配下の武将で、219年の関羽討伐の時、司馬として潘璋に従い漳郷で関羽・関平父子と趙累らを生け捕りにした。正史にはこれだけしか記載されていない。
三国志演義では関羽を捕らえた功績により赤兎馬を賜る。だが、その赤兎馬が関羽の跡を追うために草を食べずに死ぬ。そして夷陵の戦いで麋芳に裏切られて殺され、首を蜀軍に送られたとなっている。
王欣太による漫画『蒼天航路』では半怪物的な人物として描かれており、関羽に斬りつけられながらも、これを捕らえ、絶命するという最期を遂げている。
Wikipedias引用です。
参考にどうぞ。
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