関羽はどうして曹操には仕えなかったんですか?
劉備はそんなに魅力的な人物ですか?
正史関羽伝より抜粋(関羽が劉備に仕え始めたときの状況と、曹操が張遼に関羽の心情を訪ねさせる場面)
『先主(劉備)は二人と同じ寝台に休み、兄弟のような恩愛をかけた。しかし大勢集まっている席では、一日中側に立って守護し、先主につき従って奔走し苦難をいとわなかった。』
『曹公が私を厚遇してくださるのはよく知っていますが、しかし、私は劉将軍から厚い恩誼を受けており、一緒に死のうと誓った仲です。あの方を裏切ることはできません。私は絶対に留まりませんが、私は必ず手柄を立てて、曹公に恩返ししてから去るつもりです。』
三国志演義にあるように家族同然の間柄だったんでしょう。関羽が劉備個人をどう思っていたか分かる記述は正史にはありませんが、上の関羽の発言は正史本文に記載されている言葉で、しかも公の発言ではなく張遼個人に発した言葉です。それなりに関羽の心情を正直に話したものなんではないでしょうかね。カリスマ性がどうというより挙兵したときからずーっと付き添ってきた情愛によって結ばれていたんだと思います。カリスマ性よりそいうことのほうが人間の行動としては納得しやすいです。
ちなみに曹操のことをどう思っていたかというと…(正史関羽伝註『蜀記』より)
『その昔、劉備は許にいたころ(中略)関羽は劉備に曹公を殺すよう勧めたが、劉備は聞き入れなかった。長江の岸辺を彷徨う身の上になると、関羽は腹を立てて、「先日、私の言葉に従っておられたならば、現在の苦しみはなかったはずですが」と言った。』
曹操は殺すべき対象であると言い、それをせずに再び流浪の身になった劉備にメッチャ怒ってますw少なくともかなり早い段階から劉備にとって曹操は害悪であるという考えを持っていたことは確かだと思います。
その通り、劉備はそれだけ人を惹き付ける
魅力があり、それゆえに良い人材が集まり
戦争下手でも蜀を建国できることが出来たのです。
弘毅寛厚で人の話に耳を傾け人を見る目があった。
関羽は曹操との接点は実際はそんななかったと思います。会ったこともないかも。
演義では会ってるシーンはかなりありますけどね。
なぜだか理解したければ、三国志をもう一度読み返してみることですよ。
答えはあなた自身の中にあるはずですから。
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