三国志のあらすじを教えてください
後漢末期に発生した大反乱「黄巾の乱」をきっかけに、200年近い繁栄を保った後漢王朝は急激に衰退の道へ突き進むことになる。
特に黄巾の乱討伐に活躍した各地の豪族たちは、次第に軍閥化して地方に割拠するようになった。また中央政府内では外戚と宦官の対立が激化し、その間隙を縫う形で董卓が実権を掌握。しかし彼の政治はあまりに酷かったため、各地の軍閥たちが董卓討伐の名の下に連合軍を結成した。
この連合軍を結成したのは、演義では曹操とされている。また連合軍の盟主となったのは袁紹である。以下孫堅、袁術、公孫サンらが加わっていた。連合軍の猛攻に押された董卓は、都である洛陽を捨てて長安に遷都。一方、洛陽を制圧したはよかったものの、兵糧不足などに悩まされるようになった連合軍は、洛陽奪回をきっかけに解散。以後、本格的な群雄割拠状態に移る。
長安で引き続き暴虐をふるっていた董卓は、王允の策略にはまった呂布の手で殺される。しかし、王允たちの政権も長続きはせず、結局、李カクら董卓の残党に敗れて政権を失ってしまう。
李カクらが都で主導権争いを始めた頃、曹操は黄巾賊の残党狩りなどを行って力を蓄えていた。しかし曹操が徐州に攻め入っている隙に、都を追われた呂布が彼の本拠に進攻。曹操軍と呂布軍が争っている隙に、徐州は劉備の支配下に入る。しかし、曹操との戦に敗れた呂布が劉備の下に逃れ、その劉備が袁術討伐のために国をあけると、呂布に奪われてしまう。
そうした中、都の実権を握っていた李カクらの暴虐に耐えかねた献帝が長安から逃げ出すと、帝を救うべく、曹操の大軍が上京し、李カクらを撃破する。かくして曹操は丞相となり、政治の実権を握る。
その後、曹操は劉備や呂布と連携しつつ袁術を滅ぼし、さらに曹操と劉備が結託して呂布を滅ぼす。最終的には劉備も曹操により倒され、中原と呼ばれる大陸中央部の覇権は曹操の手中に入る。
一方、河北と呼ばれる地域では、公孫サンを滅ぼした袁紹が覇権を握っており、劉備が袁紹の下に逃れたことで、曹操・袁紹の関係が悪化。ついに両雄は激突するに至る。
官渡の戦いで袁紹軍を撃破した曹操は、その後、袁氏の内部争いを利用しつつ着実に勢力を拡大。袁氏を滅ぼして河北をも支配下に入れる。一方、劉備は荊州の太守であった劉表の下に亡命する。
河南地域では、黄巾賊との戦いで名をはせた孫堅が、劉表に敗れて戦死するなど、激しい戦乱が続いていたが、孫堅の遺児孫策が袁術の支援を得て、江南一帯を掌握。後の呉王朝の基礎を築く。孫策死後は弟の孫権が相続していた。
劉表の下に逃れた劉備は、ここで諸葛孔明を軍師に迎え入れる。劉表の死後、再び追われる身となった彼は、孔明の助力もあって孫権率いる呉と同盟することに成功。押し寄せてきた曹操軍を赤壁で迎え撃ち、勝利する。
以後、劉備軍は電撃的に荊州に進攻し、これを掌握。ただし、赤壁での勝利は呉軍の活躍なくしてはありえなかったため、劉備が火事場泥棒的に荊州をとったことに、呉が抗議。これが後の悲劇の遠因となる。
荊州を得た劉備は、蜀の地に攻め入る。次いで、漢中を制圧して蜀を窺う立場にいた曹操軍と戦い、これを撃破して漢中を制圧。以後、劉備は漢中王を称する。
劉備が蜀の地を得たことで、事実上、曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀という三国の形勢が固まる。
しかし、劉備の家臣で、荊州を守っていた関羽が魏との戦いに忙殺されている最中、かねて荊州は自分たちのものだと思っていた呉が突如として裏切り、関羽は呉軍により殺され、蜀は荊州を失ってしまう。
股肱の臣である関羽を殺されたことに怒った劉備は、呉討伐の軍を起こすも大敗。失意のうちに病没する。以後は丞相である孔明が実権を握り、彼は南蛮を制圧して国家の基盤を固めると、呉との関係を修復した後、魏を討伐すべく北伐を開始する。しかし、魏の名将司馬懿が彼の前に立ちはだかり、最終的に五丈原にて孔明は陣没してしまう。
孔明死後の蜀は守りに入るも、有力者が相次いで没したことで自然、実権を握る立場となった姜維が主導する形で、再び北伐が開始される。しかし、当然上手くいかず、逆に国力を消耗して蜀は急速に衰退の道へ突き進む。
一方、魏では、司馬懿の一族が力を増し、司馬懿の死後は長男の司馬師が全権を握り、司馬師の死後は弟である司馬昭が実権を握る。司馬昭は蜀討伐を決意し、大軍を派兵。衰弱しきっていた蜀はあっという間に滅びてしまう。
これにより、三国時代は魏と呉を残すのみとなるが、魏国内では、晋王の座に上った司馬昭の力がさらに強大化し、もはや司馬家による簒奪は防ぎようがない状態となった。そんな中、司馬昭が死に、彼の息子である司馬炎が晋王の座を継いだが、流れが変わることはなく、司馬炎が魏から帝位を奪い、晋王朝を創始する。
司馬炎はその後、呉討伐軍を発し、呉を滅ぼして天下を統一。
黄巾の乱→桃園の誓い→劉備・曹操・孫堅の登場→董卓大暴れ→袁召・呂布登場→呂布処刑→劉備・力をつける→孔明登場→赤壁の戦い→曹操大打撃→魏呉蜀成立→曹操死亡・司馬懿・曹丕登場→劉備等続々死亡→五丈原の戦い→孔明死亡→蜀滅亡→司馬家魏吸収により晋に→孫権死亡→呉滅亡→終了
わかりにくくてすいません。超大雑把ですが気にしないでください。
三国志の物語は、大きく分けて三つに分ける事ができます。
①諸葛亮の登場前
後漢末期の群雄割拠の時代の中、曹操、劉備、孫堅、袁紹、劉表、呂布、董卓・・等の英雄達が覇を競い合う
②諸葛亮の活躍時代
群雄割拠の時代も、曹操の台頭で天下統一するかに見えたが、諸葛亮の助けを得た劉備と江東で覇を唱える孫権が同盟して、曹操を赤壁にて撃破。これにより、劉備(蜀)、曹操(魏)、孫権(呉)の三国の鼎立する時代へ。
③諸葛亮の死後
生前、諸葛亮とライバル関係にあった、司馬懿が台頭します。魏でクーデターを起し、実権を握り、彼の孫の司馬炎が三国統一を果たし物語は終結します。
簡略ではありますが、内容はこんな感じです。
この物語は登場人物が多く、主人公も死にます。死んでも話は続きます。
諸葛亮というキャラクターの効果的な演出は、すばらしいものがあります。
後漢王朝の再興を志した曹操は、最大のライバル袁紹を倒して中国を平定します。曹操は土地の豪族に食いものにされる後漢王朝に見切りをつけ、新たに魏を建国しますが、彼の死後、魏もまた土地の豪族の食いものにされるのでした。
一方外国に逃げた孫権は、江南地方を開発して呉の皇帝を自称しますが、やがて江南開発で莫大な富を得た新興豪族層が皇帝の言うことを聞かなくなると、呉は空中分解して滅びるのでした。
劉備は外国の巴蜀地方を征服して漢の皇帝を名乗りますが、呉との戦いで大敗して強力な中央軍を失い病死。武力で巴蜀の豪族層を抑えることができなくなった諸葛孔明は、彼らに大幅譲歩することで国家瓦解の危機を救いますが、二重政府という特殊な形態を孔明の死後維持できる者が現れず、最後には豪族層が魏に降伏することを皇帝に促して滅びました。
結局魏の最有力豪族だった司馬一族が晋を建国して天下を統一しました。
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