三国志演義の話ですが。
顔良、文醜、華雄、紀霊はいずれも関羽と対戦したことがあります。
この4人を強さ順に並べると、どんな感じになると思いますか?
dragon_gate_infinityさん・・・・題名を見てください。演義の話ですって・・・・・
やはり、紀霊が一番強いと思います。
関羽と打ち合って善戦できたのですから・・・・
華雄は演義では210cmの豪傑として登場、兪渉や藩鳳という一応、名の通った豪傑を一騎討ちで討ち取るというある程度の成績を残しています。
関羽の勇猛さを強調させるために熱い酒が冷める前に討ち取られたことになっていますが、もしホントにこんな人だったら簡単には勝てないと思われるので多分上位にいると思いますよ。
顔良はただ不運でしたね。
関羽はこの時、劉備の元に帰るために必死だったので、顔良を渾身の一撃で葬ったと思われます。
まぁ運が悪かった。魏続と宋憲といった呂布の部下だった将2人を討ち取ったので腕は確かだと思います。
文醜は演義での死に方に色々と説があるのでちょっと比べにくいですね。
演義での記述は少ないけど、正史では武の代表で上げられているんですよね。
(それなのに正史では一兵士に討ち取られてますが・・・・・)
関羽と善戦したが討たれたり、劉備からの手紙を渡そうとして近づいたら討たれた話などどっちがホントか判別できない人物なんですよね。まぁ顔良と変わらないぐらい袁紹軍の二大将軍だったのでしょう。
でいままでの僕の考えを総合しますと
一位 紀霊
やはり打ち合って善戦したという事は十分の力量を持っている証拠になるのかなぁ・・・・・
ちょっと微妙ですが・・・・・
二位 華雄
連合軍中の猛将として呼び出された将を一騎打ちで討ち取るのは凄い戦績であるといえます。
その為、彼はなかなかの実力を持っていると思われます。
三位
顔良と文醜
あまり比べようがないです。どちらかというと文醜の方が一枚上手だとおもうのですが賛否両論だと思われるので同一にしました。
紀霊と華雄は結構悩みました。
華雄は絶対強いと思うんですが・・・・・
演義の影響をうけまくりですね。
演義だけで判断するのは説得力がないですよ・・・。
物語としては抜群に面白いけど、フィクションばかりなのに・・・。
史実通りと勘違いしているんでしょうかね。
◎顔良・・・『後漢書』袁紹伝に、『官渡の戦い時、沮授が「顔良は短気なので単独で任用してはいけません」と諌めた。』という記述があり、猪武者の可能性が高い。
袁紹軍の中では文醜と並んで勇将と称されている。
また文醜と義兄弟の契りを結んだという記述があるが、『三国志』などの史書には見当たらない。
武人としての位は文醜と同等。
◎文醜・・・『三国志』荀攸伝に「大いにこれ(敵)を破り、騎兵隊長の文醜を斬った」とある。
ただし荀攸が自ら討ち取ったのではなく、荀攸軍で、名前の記録されていない一兵士が討ち取った可能性大。
袁紹軍の中では顔良と並んで勇将と称され、孔融が曹操に対して出兵を諌めたときには武の代表として名が上がっているが顔良はスルー。
顔良同様、猪武者の可能性が高い。
◎華雄・・・『三国志』孫堅伝注に、呂布と共に胡軫の副将として従軍し、孫堅の討伐に赴いた。
しかし、胡軫と呂布は仲が悪く、呂布がでたらめをやったために、勝利を得られず大敗した。
孫堅軍の追撃を受けて華雄は戦死し、その首級は晒し物にされた。
武力が高いというよりも統率力が高いといったところ。
武人としての位は文醜・顔良より少し劣る。
◎紀霊・・・『関羽』と一騎打ちして善戦したというのは『三国志演義』でのシーンでありフィクション。
袁術軍の四大将であるが、袁術軍自体が脆弱。
武人としての位は、この中で一番高いが、それは袁術が興した国(仲)の評価。
正史『三国志』の記述が全て正しいとは思えませんが、正史以外は当てになりませんから、これで判断するしか方法がありません。
正史『三国志』が正しいと仮定して、個の武力だけで順位を付けるなら、文醜≧顔良>華雄>紀霊。
演義で想定したいなら、文醜≧顔良≧華雄>紀霊。
コーエイ『三国志』の能力値で比べると、文醜≧顔良≧華雄>>紀霊。(コーエイは演義派です。)
まー結局、似たり寄ったりな結果になりましたね。
でも、一軍団として順位を付けると、華雄≧文醜≧顔良>紀霊かもしれませんね。
紀霊は関羽と戦って引き分けたはず。その後張飛に負けましたが(もしかしたら逆だったかも知れませんが)
だから一番は紀霊だと思います
後の3人は分かりません
個人的なイメージとしては華雄>文醜>顔良ですね
ゲームのイメージでは文醜>顔良>華雄>紀霊ですか?実際人の強さは判りにくいです
本来強い人でもたまたま1回戦で敗退したら強いイメージにならないですから
文醜=紀霊>顔良=華雄 勝手な決め付けです。
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