三国志の関羽さまが乗る、赤兎馬と千里と、その速さについてですが。
三国志演義は、およそ創作であるので、これもまた創作かとは思いますが、最初に呂布、後にあの関羽さまの馬になる、赤兎馬についてです。
赤兎馬は一日に千里を走る馬だとのことですが、千里とは一体、現在では何キロメートルなのでしょうか?
普通の馬は大体、時速にして60~70キロメートル毎時と聞いたことがあります。
赤兎馬はそれらの馬より、速いものなのでしょうか。
実際にいたとして、どれほど速いものなのでしょうか。
関羽さまについては、三国志で一番大好きなだけに「あれ?」と思うことが結構あります。
例えば戦いで不利なのに、なぜお髭をあれほど伸ばしていたのかとか、気になるところです。
これは研究者の著作などでもよく間違われがちなのですが『三国志演義』は明末元初に成立した書物なので、三國時代の度量衡ではなく明代の度量衡で測る必要があると思います。
明代の一里は553mなので、千里は553km。一方、現代のサラブレッドでも秒速20mにはなかなか達しないので、仮に秒速10mと考えると時速36kmとなり、千里走ろうと思えば約15時間半かかります。秒速20mで考えるなら時速72kmの約8時間で千里走ってしまいます。
ただし、これは馬が機械のように疲れ知らずで一定のペースで走れると前提しての話なので、実際に千里走り切るのにはもっと時間がかかると思われます。
『三国志演義』の関羽に関しては他にも色々と誇張があり、身長九尺(三國時代で207cm、明代で280cm)、青龍偃月刀が八十二斤(三國時代で約18kg、明代だと約49kg)など、かなり現実離れして怪物チックです(笑)。
でも、1番現実離れしてるのは、赤兎馬に離されず自分の足で千里走り切っちゃう周倉でしょうかね…(汗)。
関羽のヒゲに関しては、日本人のイメージ的にはあごひげと捉えがちですが、『三国志演義』では髯という字が使われており、これは頬ひげを指します。なので多少長くてもあまり戦場で邪魔にはならなかったのではないか…と思います。
こう言っては身も蓋もないかもしれませんが、人間でいうところの「万夫不当」とか「一騎当千」とか、それらと同じようなものなんじゃないでしょうか?
本当に比べる者がいない訳ではないでしょうし、1人で1000人相手に渡り合えるという意味ではないかと・・・
つまりは例え話であって、ただすごい馬だって言いたいだけです。
また関羽の髭については諸説ありますが、当時の武将たちが来ていた鎧は戦いのためだけを考えれば非合理的なデザインばかりです。
それでもそんな鎧を身につけるのは自分の威勢を見せつけたいからであって、関羽の髭に関しても、戦いに不利だから伸ばしてるのは不自然だということはないかと思います。
昔の一里はおおよそ430mだったと聞いています。よって下の回答者様と同様の計算をすると約18km/h。いくらなんでも24時間ぶっ通しで走るのは人馬共に不可能ですので、仮に一日12時間走ったとしたら倍の36km/h。まぁ12時間でも走らせすぎでしょうけど。ですが、こう考えると現実味が無いわけじゃなさそう。競走馬と違い長距離を走る馬にしたら速いのかな?馬に関する知識は皆無ですので、速いのか遅いのかよく分かりませんが。
関羽の髭はいつから伸ばしていたかよく分かりませんが、まだ劉備が地盤を持たないうちは前線で兵卒と斬り合いをすることはあったでしょう。顔良を討ったときなんかは正に敵陣に特攻していったようですから。乱戦のなか髭を掴まれたら不利だったかもしれません。ですが、荊州を任されて以降は総大将ですので最前線で斬り合いをすることは御法度です。演義のように総大将が最前線で剣を振るうことは(一部例外を除いて)ほとんど見られません。後方で指揮するぶんには特別髭が邪魔になることはなかったと思いますよ。
中国の一里は約500mですが、三国志の時代には約414.72mでした。
なので千里とは414.72kmという事になります。
もちろんこの場合の千里とは、非常に長い距離というものの例えなわけですが。
競走馬の最高速度は90km/h前後に達するとの事ですが、軍馬が疾走する速度はまあ30km/hといったところでしょう。
もしもずっと休まずに10数時間走り続けられるのであれば一日で千里を走る事も可能でしょうが、馬は自動車じゃありませんので…乗り手に取っても長時間の騎乗は相当な負担となりますしね。
赤兎は速さもさる事ながら、疲れを知らずに長時間走り続ける事ができたのかも知れません。さすがに一日千里は厳しいと思いますけど。
ヒゲについては…まあ、ファッションではないかと(笑)
あるいは自らを誇示して敵を恐れさせ、味方の戦意を鼓舞する目的もあったのかも知れません。長いヒゲは関公のシンボルですし。
当時の成人男子はヒゲを伸ばすのが当たり前でした。曹操も馬超から逃げる時にヒゲが目印にされて自ら切り落としていますし、十常侍の乱の時にはヒゲが無いので宦官と間違えられて殺された者もいたという記述がありますよね。
しかし関公のヒゲはその中でも一際目立ちます。戦場においてもそのヒゲは威風堂々あたりを払った事でしょう。いや別にヒゲだけで目立っていたわけじゃありませんけど(笑)
「戦場で目立たねば手柄を立てても誰も気づいてはくれん」とは某漫画のかぶき者のセリフですが。
3.9*1000/24=約163Km/hになります。まー表現であって実際には無理な話しですね。髭については本人が気に入っていたからだと思いますが聞いてみないとわかりませんね。
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