2012年3月21日水曜日

三国志では呂布、関羽、張遼などが武神のごとく描写されていますが、実際のところ...

三国志では呂布、関羽、張遼などが武神のごとく描写されていますが、実際のところどうなのでしょうか?

武将が出世するにしたい書記官や、庶民の噂により付け加えられたのでしょうか?脚色されずに数万からの戦場で足軽が歴史に名を残そうとしたら、それこそマンガのような働きをしなくてはですよね?しかし人類最強のアントニオ猪木が現役の時でさえ、20人からの人間に取り囲まれたら太刀打ち出来ないと思うのですが・・・昔の人は神がかり的に強かったんですかね?







>呂布、関羽、張遼などが



彼らは足軽ではなく武将ですから、戦に出る前から「名前がある」という点で、単なる足軽の出世とは違うのですよ。で、なぜ「名前がある」か、といえば、出自だったり、それ以前の功績だったりするわけです。



また、当時の戦争が、日本の近代のような大量同時殺戮ではなく、一騎打ち主体というところも違います。昔の日本の武士同士の戦いもそうだったのですが。一騎打ちでなくても(敵陣に騎馬で突っ込むようなときも)実際に強かったのでしょう。








三国時代の後の、南北朝時代ですら、猛将がいると「古の関羽・張飛のような……」といった書かれ方をしていますから、彼らの武勇は鳴り響いていたということでしょう。



武芸の達人と言うのはただ単に膂力が強いとか、蛮勇があるとか言う、「ウルトラマン」みたいなことではありません。

「負けない戦い方をする」ということです。勝敗の見分けが鋭いということですね。

剣聖といわれる塚原卜伝は、常に数十人の弟子を連れ歩き、対決が決まったら弟子たちをいっせいにスパイさせ、相手の弱点や得意技を調査させていました。

「勝てる相手とだけ戦い、負けそうな相手とは戦わない」ということです。



名将といわれる人は勝敗の見切りが鋭かったので、勝てそうに無いときは、鮮やかに退くのです。「進退が爽やか」といいますが、こういったことが実際に勝ったか負けたか以上に印象に残るのです。

そもそも、勝負の達人は太刀打ちできないくらいの敵数に取り囲まれるような愚を犯す前に、手を打ちます。

スーパーマンみたいに物理的に強いというのは、「幻想」に過ぎません。

猛将は無敵に強いのではなく、「ケンカが上手い」のです。



もっとも、小説化されると、しばしば表現がオーバーになるのも普通です。10万人程度の軍が100万と表現されたり。

小説は文学であって、記録ではありません。「物語効果」というものもありますし、ね。

そういったものの見極めも必要でしょうね。しかし後世にまで名が通るのには、やっぱり根拠となる活躍があったと観るべきでしょう。



三国時代、馬に鐙(あぶみ)がまだ発明されていませんでした。鐙はペダルみたいなもので、馬上で踏ん張るときに必要ですが、これがないと踏ん張れないので、馬を鋭く切り返せない、つまり「輪のりが出来ない」のです。

ですから、ぐるぐる回りながら、チャンチャンバラバラ出来ないんですよ。

そういうわけで、「一騎打ち」というのは後世のフィクションです。

大将同士が一騎打ちせざるを得ないときは、全体は相当ひどくなっています。

そういうときでも、すれ違いざまの一瞬のみの勝負でしょうね。







質問者さんの仰るとおり、どんな猛将であろうと2~30人に包囲され一斉に攻撃されればおしまいです。

実際に魏の悪来典韋は敵に包囲され殺されています。

そうならないように武将の周りにはガードの兵がいるし、退きかたの見事さも武将の実力のうちです。



なお、三国志では一騎打ちはほとんどありません。演義ではたくさん一騎打ちがあったかのように描かれていますが、実際に一騎打ちしたのは孫策と太史慈ぐらいかな。これも戦闘中のことではありません。

ましてや両軍入り乱れているときの一騎打ちなど考えにくいですね。

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