関羽が神として崇められている一方で、張飛がいまいち人気がないのは何故ですか?
ご存知かもしれませんが「三国志演義」は元々講談です。
講談師が面白く可笑しく、
日本にも昔あった紙芝居みたいのような劇が活字になったものです。
本を買って読むような余裕が無かった昔の庶民にとっては、
そういう講談が一番の娯楽であった時代には、
張飛という豪傑は、「三国志演義」には、一番民衆に近い存在で、
大酒を飲んで失敗はする、頭の方も余り良いとは云えませんが、
世事には長(た)けていて抜目がなく、
何よりも、どことなく愛嬌があって憎めない存在に描かれています。
確かに、「上に媚び、下に辛い」のは、
「正史三国志」にも記載されていますので、事実だったのでしょうが、
それは「三国志演義」での、関羽の持ち上げ過ぎの対比で、
誇大にクローズアップされてしまった感も否定できません。
活字にしてしまうと、
張飛のように考える前に行動して結果は後で付いてくるキャラよりも、
頭も良く、思惑もあり人情もありという関羽の方が受けるんでしょう。
張飛のその欠点を補って余りある活躍(大暴れ)が、
その後神格化される関羽に気後れして、
少し影を潜めてしまったのが残念な気がします。
晋の陳寿が編纂した「正史三国志」に裴松之が注を加え、
羅貫中が「三国志演義」をまとめるまでに、約1000年の間がありますが、
その間に沢山の伝説が生まれ、伝承され、
巷間に語り継がれた「三国志」では、主役中の主役は張飛でした。
伝承を元に芸能面で、講談や芝居に三国志の題材が数多く登場しています。
その中でも元代から明の初頭にかけての雑劇(元曲)には、
『三国志』を題材にした雑劇で現存しているものが二十一あります。
そのうち張飛を主役としたものが特に四つ、
『張翼徳大閙杏林荘』
『張翼徳単戦呂布』
『張翼徳三出小沛』
『奔張飛大閙石榴園』あり、張飛が事実上の主役であるものが
『劉関張桃園三結義』
『虎牢関三戦呂布』と二つあります。
それ以外にも今日題名のみ伝わるのものに
『奔張飛大閙相府院』
『*袁祥』などがあり張飛の人気の程が知れます。
「奔」とは「がさつ」を表し、「閙」とは「大騒ぎ」の意味ですが、
『元雑劇研究概述』によると、
元明雑劇における「張飛形象」(張飛の描かれ方)は、
●最も際立った存在である。
●最も力強い。
●比べるものの無いほど明らかな英雄である。
●気力甚大にして、恐いもの知らず。
●敵軍に突き進み、敵陣を打ち破ることに関して向かうところ敵なしである。
●性格は率直で豪快。細かいことにはこだわらない。
●心には少しも後ろめたいことが無い。
●心中に計略があり、知恵もある。粗中に細ある英雄である。
上記にあるように、
張飛は「強くて豪快。曲がったことが大嫌いで、
悪い奴はたとえ身分の高いものでも許さない。
乱暴者だが悪気が無いので憎めない」キャラクターです。
また、極まれに諸葛亮を騙すほどの知恵を見せたり、
判事となったら悪を懲らして善人を助ける、
名裁判をやってのけたりする「粗中に細ある」人物であって、
まさに庶民のヒーローであったわけです。
また、「演義」では呂布と張飛は虎牢関で戦い互角でしたが、
「三国志平話」では張飛は呂布と再戦して勝っています。
「このとき張飛の技はあたかも神の如く、さしもの呂布も恐れをなし、
馬を返して虎牢関に入っていき、堅く城門を閉ざして出ようともしない」
という具合で、演義上では最強の名をほしいままにしている呂布も適いません。
また、張飛はあの趙雲とも戦っています。
「更に三十合戦う。しかし趙雲は気力が続かず、
敗れて馬を返し、本陣へと戻っていく」です。
この中国史カテでは「張飛最強説」が一部には主流なのも、
過剰な尊称ではありません。(あくまでも演義ベースで、ですが・・。)
これといった娯楽のなかった庶民には、
こういった雑劇や平話という伝承で三国志の世界に触れる機会が多く、
「三国志演義」の書籍で触れるより、解り易く、安価でもあったのではないでしょうか。
劉備は凡庸、
諸葛亮は浮世離れ、
関羽は神格化され、
最も身近な張飛の超人的な活躍を
そういう視覚で訴えかけるもので知った庶民は、
今でも張飛=愛すべきキャラクターが語り伝えられているのだと思います。
・短気で粗暴でがさつ
・成功より失敗談が多い
・というか義兄弟の「オチ役」
(南春男で御座います…みたいな?)
=御利益もあまり期待できないし
少しでも疎かにしたらすぐに祟りそう。
祀るなら張遼の方がバランスはいいかも。
(燭の関羽・呉の甘寧ときて…)
一般論になりますが、関羽は上に対して傲慢で下に対しては寛大、張飛はその逆です。この辺が影響しているとも考えられます。
関羽のみ、張飛のみで語っては、彼らの人気ははかれないと思います。
関羽であれば、関帝としてまつられる一方、さまざまな説話や物語にオマージュが登場します。
たとえば、『水滸伝』の美髯公・朱仝と大刀・関勝。これは関羽のオマージュ、というよりも分身くらいのつもりでとらえればいいでしょう。『説唐』系の『隋唐演義』にも、ほんの少しだけ、関羽の子孫を名乗る関大刀という人物がスポット参戦します。
そして実在したかもわからない息子・関索。これは『花関索伝』というお話があるようですし、『水滸伝』で楊雄のあだ名に使われています。
すべて、関羽人気を物語るものです。
次に張飛。『三国演義』での彼の容貌は、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」で有名な班超の容貌(『後漢書』の彼の伝にある描写です)そのものです。班超は超一流の人物ですので、張飛の描写に彼の容貌を借りた、ということは、それくらいの高評価を張飛に付加しているわけです。・・・まぁ、明清あたりの時代の庶民が班超をどれだけ知っていたかは微妙ですが、『三国演義』はどちらかというと知識人のための読み物ですから。
そして、さらに、この張飛(と班超)の容貌をした有名人がいます。代表的なところでは、やはり『水滸伝』の豹子頭・林冲がそうです。また、『説唐』系の秦叔宝もこちらの系列に近いです。ただ、秦叔宝は他人のかりものをしなくてもいいくらいの知名度とオリジナリティのある人物ですので、まるっきり張飛や林冲というわけではありませんが、容貌の描写は全く同じで、苦労人気質は林冲そのものですから、『三国演義』でいえば張飛系にあてはまるでしょう。
『水滸伝』からみれば、本場のほうで楊雄や朱仝、関勝に比べた林冲の人気がどうなのかは知りませんが、『水滸伝』作中での扱いの優遇具合(序列ではなく、活躍や見せ場の印象の強さ)は、関羽系の人物たちの合計よりも林冲一人のほうが上ですので、まつられているかどうかを除けば、張飛の人気は決して関羽におとるものではない、ということになります。庶民に支持されていなければ、『水滸伝』での活躍っぷりには反映されませんから。
・・・あるいは、同じ容貌の林冲や秦叔宝の人気がありすぎて張飛がかすんでいる、という見方のほうが正しいかもしれません。
中国でも張飛は人気ありますよ。日本で言えば『武蔵坊弁慶』みたいな人気…といえばご理解できますでしょうか?
・もの凄い豪傑!長坂橋上で曹操軍を一睨みさせて退散させる話は、三国志演義前半の名シーン。素手で人食虎を倒したなんて言う武勇伝もある。
・豪傑らしく酒好き、酒樽全部空けても酔わない。
・以外に情に脆い。『断頭将軍』厳願がの堂々とした姿に感銘して、丁重に扱ったうえで仲間にしている。
そういったことで、けっこう人気者でヒーローです。ただ他の皆様が回答されている様に、教養が無い(文盲だったらしい)上に、粗暴で部下に対する対応が荒く、妙なもめ事を起こすことが多い上、寝首をかかれて死んだ・・・という部分が、部下に対して温情暑く、それなりの教養もあり、敵に捕らわれても投降を拒否し斬首された関羽よりも、一段低く評価されているのでしょう。
余談ですが、日本では親劉備で、劉備の危機の際に味方を裏切ってまで肩入れし、その後関羽、張飛に負けないくらい活躍したと評価されている『魏延』ですが、中国では諸葛亮と仲が悪かった部分を強調され、最後に謀反を起こそうとした事から非常に人気がないそうです。
部下に寝首かかれるような身近な人間の忠誠すら得られない仁徳の無さで神様って言われるとは思えないな
乱暴だったり血が上りやすかったり、最後がイマイチな感じがするから???
出来のいい兄の下にいると、輝きがあっても何となく色あせて見えるから???
中国でも地域によっては張飛も、とても人気があるようですがねー。
関羽は1人で行動していても「関羽」という気がしますが、張飛は「周り(義兄弟)があってこその張飛」と言う気がします。私は好きですけどね。
嘘か本当か。関羽はそろばんを発明したとか、昔の簿記の仕組みを開発したとか
色々な伝承があります。
それに豪傑さと誠実さを兼ね備えた人物像が
信用第一の商売の守り神にうってつけというわけです。
また、歴代の王朝は仁義孝忠を説く上でも、三国志はうってつけの題材で、
上は皇帝から下は地方豪族まで盛んに利用していました。
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