2012年3月29日木曜日

三国志で最強の将軍といえば誰ですか~?

三国志で最強の将軍といえば誰ですか~?







将軍って辞書で引いたら「軍を将いる」、つまり軍勢を率いる司令官の官名だって書いてあったからなあ。ってことは、個人の武勇は二の次なんだよね・・・。んなわけで、「最強」=「軍勢を率いるのが一番うまい」で考えるわ。

①兵を率いるのがうまくて、しかも自分も前線で兵を斬りまくります的な司令官は、関羽、魏延、張遼、夏侯淵、曹仁、孫堅、孫策ってとこかな。

②純粋な意味で司令官っぽいのは、曹操、司馬懿、諸葛亮、周瑜、陸遜、あと三国末期に出てくる羊コ、杜預、陸抗みたいなタイプが思い浮かぶね。

①のなかで一番は張遼かな。何つっても、「泣く子もだまる遼来来」だし。

②のなかで一番は曹操かな。司馬懿も強いけど、結局曹操の築いた礎あってこそだし。

まあ、こん中では曹操が一番強い気がする。



<周瑜と孔明>

周瑜:この人がいなかったら、赤壁で勝てなかった。実質連合軍の総司令官だったのは彼。演義だけど、手のひらに書いた「火」を孔明と見せ合ってニヤリ・・・なんて、かっこいいね!やっぱ、美周郎、絵になりますわ。

孔明:三国鼎立を考えて、弱小だった劉備軍をほぼその戦略どおりに導かせたその手腕、すごすぎる。劉禅を補佐して、悲愴なまでの決意で北伐を繰り返すなんて、大昔の中国にはこんな義理堅い漢(おとこ)がいたんだなー。

どっちもすごく尊敬してるけど、自分判官贔屓なもんで、漢を再興させるというスローガンの下、その生涯を蜀に捧げた諸葛孔明にやや軍配が上がるかな。



参考にしていただければ、これ幸いかと。








単純武力だけならば呂布、ついで、張飛、甘寧、馬超、許楮あたり。



軍を率いらせたら関羽、張遼、孫策か。



知勇兼備となれば趙雲、張遼、曹操、晩年の呂蒙など。



知略面、軍師でいえば郭嘉、司馬懿、諸葛亮がトップで、ついでホウ統、徐庶、周瑜、陸遜など。



内政、外交などまで入れるとキリがありません。



武勇、知略に優れ軍を率いる才能があることを最強とするならば関羽、張遼、孫策だと思います。とりあえず三国から一名ずつ選んでみました。

尊敬するのは郭嘉なんですがね。







武力で最高は呂布です。「人中の呂布」人の中の最強は劉備です。

人徳の最高峰の人間です。知力の最高が諸葛亮です。臥龍ですからね。





周喩と孔明・・・



どちらを尊敬していますか?





断然諸葛亮です。







ts359funさんの言う意味でなら劉禅だと思います(笑)まぁ将軍ではないですけど。







赤ん坊のとき、曹操軍に囲まれても生きている強運。

皇帝でいつつも酒色にふける能天気さ。

黄皓を信じきる信頼。

戦わずに降伏を決断した果断な性格。

降伏しただけでなく、司馬炎の前で「洛陽は楽しいところ」とか「蜀は恋しくない」とか言う肝っ玉。

KOEI三国志シリーズで能力が3・5・9・4。



などの理由から劉禅がある意味最強な気がします。







孫堅だと思う(孫策孫権の親)

それはもし孫堅が覇王とよばれていたからだどおもいます

他の人はみんな呂布だとか張遼だとかの意見の人が多いとおもいます、

もし孫堅がいきていたら南方はすべて孫堅がとっていたことでしょう。そして曹操、袁紹をしのぐ力になっていたことでしょう。

なので僕は孫堅だと思います

周喩を尊敬しています

は孫策から厚い信頼を受けていますなにせ両者は「断金」と評されるほどの篤い親交を結んだんですから。

これを受けて孫権陣営では曹操に降伏するか抵抗するかで論争が起きたのです赤壁の戦いで周瑜は魯粛と共に抗戦を主張し、曹操軍が抱える数々の不利と、自軍の利を孫権に説いたから

なので僕は周喩を尊敬しています。







最強と言われると関羽かなと思いますね。



顔良を首を取った白馬の戦いにおけるエピソードは

彼自身の剛勇を讃えるものとして、史実にも残り

魏晋南北朝~隋代に至るまで武将個人がやらかしたとんでもない出来事として

延々と語り継がれています。

それほどのインパクトもあったからこそ、唐の時代には既に武神となり

後々に国家守護の存在となるほどまでに昇格していったとも思われますしね。

清にいたっては関羽の守護があって

明軍に勝利したとも信じられていたそうです。

個人の武を評価されて、高位の神の座に上り詰めてしまうのも

中国に英雄多しと言えども関羽のみでしょうから。



兵を率いての将才もまた「万人敵」の誉れを受けるほどであり

兵力も人材も不足している蜀にあって

敵国の魏呉からも深く警戒されていたほどです。



将としての強さならば関羽かなと。

根っからの喧嘩ヤクザから戦争屋となったこともあって意見の合わない

人と争う事もひょっとしたら嫌いではなかったかもしれませんね。

正史での関羽は荒々しいまでの暴威も感じ取る事が出来、年中自分の力を誇り

それに見合う豪胆な話を残しています。

強さを追求する姿勢もまた「最強の将軍」のように見えてしまいますね。

武功は低いんですけども、それは最強ではなく「最高の将軍」のステータスとも

思えます。



もし、「三国志で最高の将軍」と言われたら、曹操と答えますけどねw



補足:

周喩と孔明、どちらを尊敬ですか・・・

どちらもですねw

史実においては軍略の冴えに加えルックスまでパーフェクトな美周郎。

史実では歴史に名を残すほどの有能すぎる政治家、三国演義においては

神算鬼謀を発揮し八面六臂の活躍を見せる蜀の大軍師、諸葛孔明。

両名共に嫌いになれる要素そのものがありません。

三国志って魅力的な人物多いですよね~。







リョフでしょう

どんな戦略を使おうと兵士たちが逃げちゃいますからね

リョフがこわいよう^-って

孔明は駄目です 孔明がいいって言ってる人は演義しか見たことがない人か演義派の人でしょう

周喩は武力もある戦略眼もある策戦に優れている政治もできる人望も厚い挙句の果てには音楽まででき超イケメンで奥さんも美人 欠点は早く死んじゃったことくらいですかね

孔明は武力はダメ戦略眼はいい策戦は優れていない政治は天才人望は厚いでも顔いまいち音楽まあま奥さん超変な顔呉を作るのに貢献し呉を育て主君の危機をすくってきた周喩蜀の建国に貢献したが蜀滅亡の時期を早め主君の危機をすくった武功を立てたなど聞いたことのない孔明比べてみたら一目リョウぜんデす







孫策。挙兵してからはほとんど負け知らず。まぁ相手が賊や地方太守ばっかりなんで曹操とは比較になりませんが。派手な戦いが多いせいもあるかな。



>周喩と孔明・・・

どちらも尊敬に値する人物です。そもそも正史の陳寿の評を少しかじった程度で「孔明は政治だけ」とか「戦は無能」とかって言う人が多すぎ。馬鹿らしいにも程があります。正史の諸葛亮伝をしっかり読めばとてもそんなことは言えないと思うのですが。決して軍事的に無能でもありません。正史を読んでない正史派ほどみっともないものはありません。みっともないを通り越して若干不愉快です。蜀の滅亡を早めたとかどんだけ曲解してんだよという感じです。山奥に篭ってれば生き残れた保障などありません。

孔明・周瑜とも建国の功臣です。劉備は孔明の長期戦略が必要で、孫策は周瑜の物資と江東の情報を必要としていました。個人的には孔明のほうが好みですが、どちらも尊敬しています。







関羽じゃないかな?1対1 軍対軍 にしても両方できると思うから、中国では劉備より関羽を神として祭る地方があるくらいだし。

孔明でしょ! 周瑜がもっと心の広い人間なら蜀と呉の関係は良かったはず、孔明とは器が違います。







そうですね〜。



少数兵を率いての戦闘:張遼

大兵力を率いての戦術:司馬懿

個人の武力:呂布



が考えられますが、戦争をするには兵糧や兵力の確保といった政治力も関係してくるので、

総合力:曹操



じゃないでしょうか。曹操は君主でもありますが、若い頃から幾多の戦場を駆け抜け、負け戦もあるものの最終的には中華の約半分を自分の支配下にして魏王にまでなりました。ということで、私は三国志最強の将軍は曹操だと思います!



補足みました。

赤壁勝利の功労者・周瑜、北伐を敢行した諸葛亮、どちらも国を守るために命をかけていましたので、二人とも尊敬してます。







武力で言えば呂布

総合力で言えば張遼、ってとこじゃないかな。



少なくとも蜀の人間は「最強」に分類できるほどの人材はおらんよ、史実では。







趙雲



武勇、統率、判断力、信頼感。

孔明が

『先帝が彼を重く用いたのがよくわかる。』

みたいな事を言ってます。

(横山マンガ)







将軍は戦闘が強いだけではいけないと思うので

トータルで考えると関羽・張遼が強いんではないですかね。



孔明と周喩に関しては、二人とも特徴が違うから、何ともいえませんね。



軍事に関しては、周喩の方が優れているという説もあるし、

どちらかといえば孔明は政治家といった感じがしますし、

けれど、赤壁の際、周喩が孔明に言いくるめられ会戦に

至った経緯があるのでやっぱり孔明の方が賢いのかなあ?



けど、男としては美周郎といわれた男前にあこがれますね。







みんな呂布って言うけど僕は、蜀の5虎将軍の一人の張飛だと思います。

確かに武力だったら多少呂布が勝るかもしれないけど、仲間との信頼や武勇は圧倒的に張飛が上だと思います!

当然、孔明です。軍師として3国最強でしょう!







戦闘力だけなら呂布

トータルバランスなら関羽

最後まで生きてたヤツなら司馬炎



てとこじゃないでしょうか。



補足:

周喩と孔明・・・・



どちらも頭脳明晰で人物としても大変優れた方だとは思いますが、尊敬はしないですね。



尊敬するとしたら、曹操という人物をいち早く理解して仕え、自らの役割を見事に全うした、ジュンイク(変換できねぇ~)ですね。



人をちゃんと見る、自分にできることを精一杯頑張る、この2点は是非見習いたいです。

三国志で有名な関羽を日本の戦国武将にたとえると誰に当たりますか? 個人的には上...

三国志で有名な関羽を日本の戦国武将にたとえると誰に当たりますか?

個人的には上杉謙信かなと「義」をつらぬいたし・・・







「武功夜話」では豊臣秀吉を劉備に模して話を書いています。

たとえば竹中半兵衛を幕下に誘う時に、三顧の礼を基にしたエピソードが書かれています。

その中では関羽に相当する人物には蜂須賀政勝(小六)が、張飛に相当する人物には前野長康が当てられています。








加藤清正ですね。武勇に優れ関ヶ原で徳川優位の時代になっても豊臣家に義を尽くし、国許では民に慕われ、福島正則は張飛のイメージがありますね。新参の知恵者(三成、諸葛亮)に嫉妬したところも似ています。







質問主には厳しいですが



日本の武将にはいないでしょう



關帝廟にまつられて神様になった人ですから

家康が東照宮に

秀吉が豊国大社に祠られていますが、民衆の信仰度が全く違います。







個人的には島津義弘ですかね。

個人的武勇にも優れ、学問なども得意とし

巨大政権への謙りなど全く見せない剛毅な性格に加え

国中にその名が伝わるほどの大人物。

兵士のような身分の低い存在にも優しかった点も共通点があると思います。







私も本田忠勝は迷ったんですが・・・。

島左近に一票^^

関羽は桃園の誓いで劉備と義兄弟となったとされますが、

(三国志演義ではね)

島左近は光成から破格の待遇で(ほぼ主の光成と同格といっても?)

配下に迎えられます。

そしてどちらも文武両道、主人には忠義を尽くしその悲劇的な

最後も共通点かなと思います^^







本多忠勝だと思います。

家康に長い間付き添った様はまるで劉備と関羽です。

三国志と項羽と劉邦以外で日本人が好みそうな戦国時代

三国志と項羽と劉邦以外で日本人が好みそうな戦国時代

日本人がなぜ三国志が好きかを考えると



劉備という絵に描いたような天下万民を苦しみから救うべく立ち上がったヒーローがいる

対照的に曹操という事実無根ではありますが悪の親玉がいる

ヒーローは長年虐げられるがのし上がって皇帝にまで上り詰める

この平民から皇帝へのサクセスストーリーもさることながら、あゆんだ人生もまた感動でありドラマチック

あとは素晴らしきライバルが多々多い事

そして劉備、関羽、張飛、孔明、曹操などなど人間関係も面白い

脇役みたいな扱いの呉や袁紹の存在もきいてます





項羽と劉法にも同様の事が言えます

圧倒的な強さを持った悪の項羽と天下万民を苦しみから救う正義の劉法

孔明にあたるのが韓信です

ただ三国志ほど人気が得られないのは呉のような名脇役がいないのと韓信と項羽があまりにも強過ぎて他にライバル的なものがないというのがちょっとあれですかね



劉備と劉邦のような天下万民を救うヒーロー的な人がいて孔明や韓信的な人がいて悪と正義という構図になっていて脇役もいてとドラマチックで予想だにしないことが次々と起こる

そんな戦国時代ってあるでしょうか?



それを漫画化したら売れると思いますか?

三国志は60巻でしたが何巻くらいになりそうですか?

まず三国志ファンに興味を持って欲しいのです

三国志パート2的な感じで持って行きたいんです

三国志でもこんなことあったよねみたいな三国志と共通する部分とかあると親しみモテるんじゃないかなと思ってるんですよ

この人は三国志で言えばこの人だよねみたいな







>劉備と劉邦のような天下万民を救うヒーロー的



戦国時代ではこれが難しいですね。なんとか上杉謙信くらい?後はかなりフィクションを混ぜないと難しいでしょう。

そもそも三国志や楚漢戦争時代に比べ、戦国時代は群雄割拠しすぎて善悪に置けるような対比がしずらいのもあります。例えばラスボスを信長にしても、主役は誰になるのやら。信長は複数の勢力と同時に闘う事が多かったですし。これもフィクションをかなり入れないと難しいですね。

あえて言うなら関が原直前。家康をラスボスにして、光成側を正義にするとか。あるいはその逆。戦国時代に二極で対比できるのは、この時期しかないかと。



それと三国志や楚漢戦争時代より時代の下ってしまった日本の戦国時代では、資料が沢山残ってるせいでフィクションにするにも実態が明らかになりすぎてるかもしれません。暴走気味ですが、フィクションを入れてる戦国BASARAは、叩かれまくってますし。



後、三国志に関しては、あの時代に演義が生まれた点が大きいです。もし演義がなく正史だけが認知された状態で、現代に演義と似たようなものを作っても、色モノ三国志としか思われないでしょう。そして三国志に勧善懲悪ものというイメージを、持つ人もいなかったでしょうね。三国志に勧善懲悪のイメージがついたのは、長い時間のお陰だと思います。








これは一般的に日本人の好みなのですが

敗者への美学がすきですね

判官贔屓というやつです。



有名なのは

源義経

忠臣蔵

でしょうか



劉備も当てはまるのでしょうね



それをふまえて

戦国史は

九州が面白いよ

大友宗麟かな

まず家督相続で内乱があったり

優秀な部下

立花道雪

高橋紹鷗がいたし

一時期九州を統一できる勢いあったが

島津氏に滅ぼされる直前で秀吉に援軍頼むなど



島津氏は優秀な兄弟で

役割分担がしっかりしているし

他に龍造寺氏もいたり

これはクローズアップされると

面白いと思うよ



単発でテレビ化、漫画化あっても

より気合いいれた作品ないから

これがチャンスだと思う。

意外とみんな知らないから







ええっと・・・隋唐演義ではだめですか?。

名前も似ていて日本人なら必ず習う遣隋使遣唐使の時代なので。

隋から唐への革命期は三国志並みに波乱に満ちてるのでその感じで見ると面白いです。



ただ、三国志&項羽と劉邦との大きな違いは女性の地位の比較的高かった時代で強い女性の登場頻度が多いのでどっちかというと女性向きかも知れません。

関羽のどこが名将なんですか?

関羽のどこが名将なんですか?

呂蒙に荊州全群を奪われて敗死した無能の大将と言うイメージが強いんですが。

豪傑と言っても正史で実際に勝ったのは顔良とホウトク、ウキンぐらいですよね。

関羽なんて本当は愚将だったんじゃないですか?







愚将だとお思いならそれでいいのではないですか?

まあ少なくとも私は三國時代屈指の名将だと考えていますがね。



正史で顔良やホウ悳、于禁の評価がどんなものか、まずお調べになったらいいと思いますよ。3名ともかなり優秀な武将です。

また、正史に散らばる関羽の評価を丹念に見て回って下さい。劉備陣営のみならず、曹操自身はもとより曹操配下からも孫権配下からもどれほど高い評価を受けているか、よく解ると思いますよ。



荊州失陥は関羽のミスもありますが、あれは呂蒙が関羽を上回ったというべきです。



関羽は正史『三國志』中でも極めて勝率が高い武将のひとりです。そもそも関羽がはっきり敗北した戦と言えば、寡勢で曹操に降伏した徐州での戦ぐらいしかありません。荊州だって戦って負けた訳ではなく、呂蒙が調略を用いて荊州を奪い、関羽の軍の将兵の家族を厚遇した事で兵が四散してしまった結果です。

むしろこの時の関羽は、曹仁を退けて襄陽を奪い、援軍に来た于禁を降しホウ悳を斬り、曹操に許からギョウ[業β]への遷都を本気で考えさせるなど、生涯最高と言える戦果を挙げています。



愚将とお思いになるのは質問者さんのご自由ですが、そうなると彼に敗れた数々の名将たちはいずれも「愚将以下」って事になりますし、曹操の「人を見る目」も案外たいした事無かった、という事になりますね。



【補足】

曲解して欲しくないんですが、正史や演義の評価にとらわれず「関羽は愚将では?」と考えてみるのは非常に有益な事だと思うんです。ただ歴史に対する考察は可能な限り客観的で公正・中庸でなければなりません。「関羽は愚将」という結論ありきではなく、記録に残る彼の実績や他者からの評価を総合的に判断して結論を導くべきです。

その上でなお「関羽は愚将」だとお考えになるのであれば、それはそれでよいのではないか…と考える次第です。








一般に「武将」といわれるものと

小沢一郎さん が、よく引用する「一兵卒」という

もの どちらも戦士ではあるが、ちがいは何だと

思いますか。

武将は、兵を沢山あつめて集団を指揮して合戦に

勝ったら兵たちにホウビを やれる力量がある人。

合戦が出来る戦備を整えられるだけでも

武将としてスゴイのだと思います。

ただ、関羽や張飛は、曹操のような公儀高官の

家柄の出という軍勢を挙兵するのに有利なものが

無かった、関羽も張飛も平民出身だといわれますので

それで、落剥していたとはいえ漢の末裔という

劉備を義兄に仰いで挙兵したと聴いています。

身分差の激しい時代では挙兵してヒトカドの勢力の

幹部に、なるだけでもスゴイことなんじゃないでしょうか。

日本では、よくいわれる、悪く言えば成り上がり者、

よくいえば下克上の体現者が関羽だと思います、

主君や同盟者を何度も裏切り狡猾と勇猛を兼備した

呂布なども下克上体現者でしょうね。







なんちゅー事を…!



曹操に斬られますよ?

もしくは、今晩、全身の

穴とゆう穴から血が吹き出ますよ?!



今すぐ横浜中華街に飛んで下さい。

んで、お土産に豚まんヨロシク。







>正史で実際に勝ったのは顔良とホウトク、ウキンぐらいですよね。

この連中に勝つ、顔良を斬り龐徳と于禁を捕らえる。これだけでも十分凄いんですが。曹操は女にしけこんだ挙句息子と側近を同時に失うを大失態やらかしてますが、愚将ではないでしょう?それと同じです。失敗や結果だけではその人物の本質というのは分かりませんよ。







フフフ…

では、ちくま学芸文庫からでている、「正史三国志」全八巻に目を通してみてください。あなた様の見解が正しいかどうかわかるはずです。



後で追記しようと思っていたら的確な回答が二つも書き込みされていますね。

更にいえば、曹操の参謀のひとり、程イクは、関羽、張飛は万の兵に匹敵すると言及しています。程イクの先を見通す力はトップクラスであり、推して知るべし、と言えましょう。

三国志☆知ってる方多いと思います。 『チョウセン』(女)(漢字が分かりませんが...

三国志☆知ってる方多いと思います。

『チョウセン』(女)(漢字が分かりませんが)って、実際は、存在しなかったんですか??

分かる方は教えて下さい(-.-)y-~~~







三国志演義にのみ登場する架空の人物とされます。



貂蝉(ちょうせん)は、三国志演義に登場する絶世の美女です。

その美貌は春秋の西施・前漢の王昭君・唐の楊貴妃と並び称され、

「中国四大美女」といわれます。

ただし、これは「演義」でのみ登場する架空の人物で、

正史に呂布が「董卓の侍女」と密通したという記述があり、

貂蝉のモデルとされます。



貂蝉のパトロン「王允」が、「美女連環の計」とは、

貂蝉、董卓、呂布の三角関係(輪を連ねて)を作って、

董卓と呂布を仲たがいにさせようとした「美女連環の計」に登場します。



貂蝉は呂布の死後、曹操に捕らえられ、許都へ送られます。

当時曹操と劉備は昵懇の間柄だったため、

行動を共にする関羽は、

呂布の妻であった貂蝉を何度となく娶りたいと曹操に申し出ました。

一旦は、曹操はそれを許して貂蝉は関羽の妻になったとの説があります。

(清廉潔白な関羽には似つかわしくない説ですね。)



また、何度も曹操に申し出たので、

気になった曹操が貂蝉を見てみると美人であったので、曹操が関羽に渡さず、

自分の手元に置いたという説もあります。

(人妻好きな曹操らしいエピソードですね。)



実は華佗(三国時代の名医)が、

首を西施(四大美女の一人BC460頃の呉の美女)のものと取替え、

肝を荊軻(始皇帝暗殺未遂の刺客BC220頃)のものと、

取り替えたというフランケンシュタイン的な話もあります。



それ以外にも、董卓が呂布に殺された後、

自ら命を絶つと言った話もあり、様々な人生を作られた女性です。



三国志演義のオープニングを飾る、大輪の棘の刺を持つ花が「貂蝉」です。








少なくとも実在していたことを証明するものは何もありません。



演義の中だけの存在です。



「美人の計」に使えるような若くて美しい女性はたくさんいるでしょうから、その中の一人がそうだったかもしれませんし、全くの作り話であったかもしれません。

横山光輝の三国志について 関興と張ほうってそれぞれ関羽と張飛の息子ですよね? ...

横山光輝の三国志について



関興と張ほうってそれぞれ関羽と張飛の息子ですよね?

2人とも奥さんが出てきたシーンがあった記憶がないんですが

結婚してたんですか?

それとも養子でしょうか?







横山氏のマンガ三国志の作品では確かに関羽と張飛の奥さんが登場した場面はありませんね。

張飛の妻が夏侯氏だと言われているのは有名な話ですが関羽に至っては不明ですよね。



三国志演義では関羽の子は関興と関索で養子が関平と物語されていますが、歴史の事実では関平と関興が実の子で関索は架空の人物です。あと娘がひとりいます。張飛は張苞と張紹と娘がふたりいます。三国志演義は歴史の事実を書いたものではなく架空のお話や作りいれかえたお話もある小説なのでそうなっています。








両方とも実子です。奥さんは誰だかわかりませんが……。



関羽・張飛の息子達では『三国志演義』で関平以外に養子の設定は無かったと思います。

ちなみに正史では関平も関羽の実子です。



また、関興には関統と関イという息子がいたようです。







張飛の奥さんは夏候一族の出 たまたま奥さんが一人でいるのを見かけた張飛が 拉致し奥さんにしたそうです 張飛の子供の中には知性がある子供がいますね 張飛の劉禅の皇后に 後々ですがこの縁で奥さんの一族である夏候覇が蜀に亡命してきます 髯殿はわかりません







そういえば関羽と張飛の奥さんについて、私も記憶がないですね。



三国志演戯では一応、関興と張苞は実子扱いになってますよ。

他に関羽には関索、張飛には張紹がいますが、いづれも実子として扱われていますね。養子の記述があるのは、関羽の長男の関平だけです。

三国志にはいろんな説があり 嘘か真か分からない点がさまざまあります。 そこで ...



三国志にはいろんな説があり

嘘か真か分からない点がさまざまあります。



そこで

三国志

作:横山光輝



…の

『これは確実に嘘である』

と言われるのは


どこらへんでしょうか。







『三国志演義』と史実の違いじゃなくて横山光輝のマンガが対象ですよね?

かなり長いこと見ていないので記憶を頼りにいくつか・・・。



既に出ていますが芙蓉姫は吉川英治の小説をそのままマンガにしたものですね。

お茶を買う話しや先祖伝来の剣を張飛に譲る話も吉川三国志の内容です。

白馬寺が出てきたと思いますが、白馬寺は洛陽のお寺なので、ちょっとおかしいです。

張飛の八百八屍将軍、というのも、いつ将軍になったの?という感じ。

張飛は肉屋だったはずなのに。



嘘、というより間違いもいろいろありますね。

初めの頃、張飛は蛇矛ではなく薙刀を持っていたような気がします。

そもそも虎髭の張飛が長い髭だし、関羽とあまり変わらないような・・・。



董卓がスマートなおじさん、というのも逆ですね。

本当はかなりのデブだったはずです。



あと十常侍に髭が生えていたような・・・。

宦官は去勢しているので髭が生えません。



初めの方の合戦シーンでドラをたたいている人が辮髪で清朝の苦力のような格好だったような気がします。

当時も少数民族には辮髪があったのでしょうが、あれはどう見ても時代が違う。



ちょっとずれますが、金曜ロードショーか何かでアニメになった三国志では于禁が曹操に恋する女でしたね・・・。



改めてじっくり読み返したらいろいろおかしなところがあるのでしょうけど、とりあえずこれくらいです。

まあ、マンガですし、細かい間違いがあっても横山三国志の成果は損なわれないですけど。



『三国志演義』と史実の違いとなると、語りつくせないです・・・。








孔明が天才軍師になってるところ。史実の孔明は、内政官としては大変優秀でしたが、軍人としてはそれほどの功績を挙げていません。上の方がおっしゃるように、赤壁の勝利も孔明の功績ではありません。愚将ではないかも知れませんが、名将とも言えません。







まず前半の名場面、汜水関の戦いで関羽が華雄と一騎打ちをして、酒が温かい内に華雄の首を持って関羽が帰ってきたという話は嘘です。また、関羽の千里行も関羽の忠義と武勇を強調するためのフィクションです。地図を見るとわかりますが、演義の道順で行くと西北に出て洛陽を目指し、東にターン。汜水関、榮陽、黄河の渡し場へ行き、それから南下するという、実に不可解な遠回りをしたことになります。



三国志最大の山場でもある赤壁の戦いにも様々な「演出」が施されています。

孔明が二十艘の船を率いて曹操軍から10万本の矢を集めた話しは嘘で、213年(建安18年)に曹操と孫権が対峙します。孫権が曹操軍の敵情視察に出た際、船の側面に大量の矢を受け船が傾き転覆しそうになった為、船の向きを変更し片側にも大量の矢を受けてバランスを持ち直して難を逃れたという孫権の機転を生かした話が元ネタになっています。

赤壁の戦いにおいて龐統が曹操に連環の計をしかけたことになっていますが、正史に龐統が赤壁の戦いに参戦していた記述は一切ありません。おそらく孔明より遅れて物語に参加するため、あえてドラマティックな役回りを演出させ、遅れてきたハンデを取り戻させるために活躍させたと言われてます。



後半の見所である諸葛孔明と司馬仲達の知恵比べ。両雄の初激突となった街亭の戦いですが、演義では魏軍の参謀は司馬仲達ですが、正史では張郃が参謀です。歴史書の『晋書』によると司馬仲達は反乱を起こした孟達を滅ぼした後、宛城に引き揚げており蜀軍とは戦ってないことになっています。つまり司馬仲達は参戦すらしていません。孔明は張郃に負けたのです。



他にも矛盾は多少あります。三国志演義は小説なので「史実7割、虚構3割」といわれてます。しかし、この絶妙な配分と作り話こそが三国志を魅力あるものにしていると言えるでしょうし、漫画も面白く描けるのでしょうね。







これは嘘だというのは語弊があるんじゃないかな。演義は歴史書じゃないんだから。



まぁ一つ挙げるなら合肥で太史慈が張遼の策で殺されるシーンかな。赤壁前に「男たるもの皇帝になるべく戦ってきたというのに、こんな所で死んでしまうとは!」と凄い台詞吐いて病死してる。一応孫権の部下だと言うのになんという野心家。張遼の知勇兼備ぶりを引き立たせる役目ですね。馬良も似たようなケースで、夷陵の戦いで戦死しているにも関らず孔明の南征時に馬謖が病死を伝える。馬謖の登場シーンとその後に南征の方法論を述べさせ馬謖の知略の高さを示すためですね。こういうところは羅漢中の物語の盛り上げ方は秀逸です。



あんまりよく覚えてないですが、確か両方とも横山三国志にもあるシーンですよね。







芙蓉姫は吉川三国志に出てきた架空の人物でそのまま横山三国志にも登場していますね。



別に横山三国志に限った話ではないですが、関羽、張飛の青龍偃月刀、蛇矛は三国時代よりも数百年以降後で初めて作られた武器です。







諸葛丞相の車椅子。普通に馬に乗ってたと思います。特に益州では不向きです。でもしっくりくるんですよね…

三国志の呂蒙が関羽の霊に呪い殺されたというのは、本当ですか?

三国志の呂蒙が関羽の霊に呪い殺されたというのは、本当ですか?







呂蒙は病死ですよ。ただ時期的に関羽が討たれた直後ですから、そんな噂が流れたようですが・・・・・








関羽は神様みたいに信仰されてますから(ってか、神扱いだし)そういう伝説が生まれても不思議では無いです。







本当です。関羽は曹操をも呪い殺していますからねぇ...







言い伝えです。

ただ病死をそういう呪いに見立てて演義を書いた人が付け加えたんです。







それは、三国志演義でのお話。三国志には正史と演義があるのは、ご存じですよね?演義は話を面白くするために、多少のフィクションが入ってます。これも、その一つです。

三国志〔演技について〕 三国志にでてくる武将が使っている武器セイリュウエンゲツトウなどの...

三国志〔演技について〕

三国志にでてくる武将が使っている武器セイリュウエンゲツトウなどの重い武器は実際に存在したんでしょうか

武器の種類を見ていると50kgとか40kgとかありえなさそうな重さの武器を振り回したり

首を切ったりできるんですか?







演義設定なので存在しません。



関羽の『青龍堰月刀』、呂布の『方天画戟』も、

元代から明代(三国時代から800~1400年後)

にかけて開発された武器といわれています。



張飛の『蛇矛』はかろうじてありましたが、実際使った

かは定かではありません。



参考にした過去の回答

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1326179848



ちなみに重量に関しては。

明の時代の82斤だから48キロという解釈と、

漢の時代の82斤だから18キロという解釈がありますが

証明する現物がありません。



そこで現代の競走馬の限界負担重量を調べました所、

54キロ~74.5キロとのこと。もちろんそりを曳きながら

力を争うばんえい競走用の馬でしたら480~1000キロは

可能のようですが、馬に乗る利点である速さは失われて

しまいます。



そこに武将自体の体重を加算しますと、18キロ前後の方が

馬の速度をあまり殺さないので現実的でしょうね。

重量武器も当たらなければ意味ないですし。

そのために動きが鈍くなっては敵のいい的です。

三國志に詳しい方に質問です。諸葛亮と司馬懿どっちが優れていますか。あと関羽と...

三國志に詳しい方に質問です。諸葛亮と司馬懿どっちが優れていますか。あと関羽と夏候惇どっちが戦上手ですか。それぞれ教えてください。







政治的な手腕では諸葛亮、戦略、戦術的な面を考えると司馬懿ではないでしょうか。

最終的な実績を加味すると司馬懿に軍配が上がるかと。



関羽と夏候惇では断然関羽の方が戦上手です。

夏候惇は負け戦が目立ちますから。

ただ統治者や軍司令官としての手腕は非常に優れており、こちらは夏候惇の方が優れていると思います。








諸葛亮は政治家として三国一で軍師としては2流と言われていますが劉備の死後意志を継いで5度に及ぶ北伐を最前線で敢行しており、北伐は街亭の戦い以外は負け戦はほとんどありません。兵糧補給難や天候による進軍不可などで撤退しただけです。そんな諸葛亮を持久戦に持ち込んで粘ったりした司馬懿も子孫に国を乗っとらせるまで魏を追い込むことができたので司馬懿も抜群の軍師兼政治家なので甲乙付けれません。

関羽と夏候惇は関羽の方が圧倒的です。夏候惇はかなりおっちょこちょいだったみたいです。関羽は曹操が1番欲しがった武将です。







能力的には甲乙つけがたいかんじですが、あえて優越を付ければ孔明(個人的な好みですが)です。

官僚的な孔明に対し政治家的な仲達といった所でしょうか。

日本の武将でいうなら孔明は最近流行の直江兼続、仲達は徳川家康かなイメージとしては。

新たに国を興した孔明と、国を奪った仲達を比べるとやはり孔明に一票。



関羽と夏候惇ですか、どちらも名将であり蜀、魏建国の最大級の功労者ですよね。

武人の関羽、指揮官の夏候惇。

こちらも甲乙つけ難しですが、今、神様として祭られているので関羽に一票。







諸葛亮は政治と補給が得意。司馬懿は戦争と謀略が得意。

司馬懿が優れていると思います。

関羽は個人の武勇が夏侯惇より優れている。夏侯惇は司令官としての力が関羽より優れている。

どっちが戦上手かと言われると夏侯惇だと思います。







まず司馬いでしょう。内政面は孔明には劣りますが、孔明の北伐失敗は、嫌と言う程

目立ちます。その点司馬いは、負けない戦の達人でしょう。全体的に見て司馬いが断然優れています。

戦上手は夏候惇でしょう。関羽の顔良切りは、正史には記載されてないですし、関羽の人生の後半は、とてつもなく

ショボイです。その点夏候惇は、長坂の戦いがタブーになっていますが、民に紛れて逃げる劉備を倒せますか?

それに魏の主要の戦に大半に出て、戦功も大きいから大将軍まで上ったのだと思います。断然夏候惇です。







諸葛亮と司馬懿では諸葛亮です。

劉備に後を託されたほどの逸材です。



関羽と夏侯惇では関羽でしょう。

夏侯惇も魏屈指の猛将ですが関羽相手では話になりません。







諸葛亮でしょう司馬いはあそこまでの国力の差を持ちながら諸葛亮在命中は蜀を攻めっていませんでしたそれに対し諸葛亮は公平な政治をして堂々と戦っています







内政官としてなら、諸葛亮

軍師、参謀としてなら司馬懿ですかね。

やっても無駄な戦はやろうとせず、相手の疲弊を待つのも

立派な戦術です。

そして、あの熾烈な権力闘争を掻い潜り、司馬家の天下の元を作りだした事も

司馬懿の人間としての凄みを感じますね。



関羽と夏侯惇ならば、関羽の方が戦上手でしょうね。

白馬での顔良斬り、曹操に遷都を考えさせるような戦略の練り方など

己の武に頼る攻め方、知略を持っての攻め方など様々な攻め方をしています。

夏侯惇は主に正史で高く評価されていますが将としての才は

守勢一辺倒という気がするので攻めには不向きな将だったと思いますよ。







内政、外交などの分野なら諸葛亮(内政75軍事25くらい)。

純粋に軍事だけなら司馬懿(内政45軍事55くらい)。



戦上手は断然、関羽だな。

三国志! レッドクリフ、大人気ですね。 「演義」、「正史」どちらでも構いませ...

三国志!



レッドクリフ、大人気ですね。

「演義」、「正史」どちらでも構いません。

あなたの選ぶとっておきの『三国志』名文句をお願いします(^‐^)!







ジャーン!ジャーン!ジャーン!(伏兵が銅鑼を打つ音)

「げえっ 関羽!」



横山光輝「三国志」より








三国志最初の名場面「桃園の誓い」から



宴会の席で意気投合した劉備と関羽と張飛は義兄弟の契りを結びます。その中での「我ら三人、姓は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を」というこの誓いが大好きです。以後劉備三兄弟の快進撃が始まります。







「俺の言うことは正しい。俺の成すことも正しい。俺が天下に背こうとも、天下の人間が俺に背くことは許さん!」



曹操のキャラクターを表した名台詞だと思います。



三国志の武将で一番強いのは呂布ですが、2番目は誰なんでしょうか。 私は関羽が強...

三国志の武将で一番強いのは呂布ですが、2番目は誰なんでしょうか。

私は関羽が強いと思います。韋駄天だし物語でも強そうな感じが漂っています。

3番目は張飛ですね。長坂の戦いは格好良いですし、馬鹿力を

イメージします。4番目、趙雲、たった一人で劉備の子供を救出する等、器用な猛将みたいなイメージです。

5番目は馬超ですね。荒武者で劉備を呼び捨てにしても、劉備は怒らなかったと聞きますし自信家な面があると思います。

後は、どっこい、どっこいみたいな感じかな?







関羽ですかね。氾水関の戦いでは、華雄の首を討ち取ったり、官渡の戦いでは、顔良の首を取り、白馬を守りました。その他にも、千里行で、関羽が劉備の奥方を連れて、強行し、関門にいる曹操の守将をやむなく斬ってしまったが、曹操は許し、劉備の元に帰らせてもらった事で、曹操が赤壁の戦いで敗走して逃げていた時、関羽が曹操にあの時の恩を返さねばと逃してくれました。また、麦城の戦いの時も、軍神のように魏軍,呉軍と戦いました。本当に素晴しい人物だったと思います。








歴史?

前線で戦った記録があるのは実に少ないよな



有名なのは呂布、と関羽だけかな...







1孫堅、2孫策、3呂布でしょう。

孫堅も孫策もがんがん前線に出て戦うタイプですし。







私はそういうのはよくわからないのですが、

コーエーのSLGシリーズでは伝統的に張飛が2位につけています。



>>韋駄天だし



関羽が韋駄天?周倉ではなくですか? そしてこれは強さに関係するのでしょうか?



>>劉備を呼び捨てにしても、劉備は怒らなかったと聞きます



これは『山陽公載記』に載る逸話で、裴松之には「殆どありえないことだ」と一蹴されているのですが、

それはさておいても、その逸話からは馬超の鈍感・驕慢と劉備の寛容さがあるのみで、

特に馬超の武勇を物語るもののようには思えないのですが?







トップクラスになるとランク付けも難しいですね。

どうしても個人の好みになってしまいますが、

1.呂布

2.張遼

3.張飛

4.関羽

5.徐晃

三国志の中で最強だと言われる呂布ですが、彼は実際はどの位に強かったのでしょう...

三国志の中で最強だと言われる呂布ですが、彼は実際はどの位に強かったのでしょうか?吉川先生の三国志、蒼天航路、
横山先生の三国志を見ると化物じみた強さを感じますがあれは物語だし実際はどうだったのでしょうか?







彼も人間ですし、関羽も張飛も呂布も指揮官ですので三國志演義のような活躍はないに等しいでしょう。よく関羽や張飛のことを万人の敵という表現を使いますが、1人が一万人に匹敵する能力をもっていたら、もう人類ではありません。








こんにちわ。



三国志演義は物語なので、当然一騎打ちもあまりありませんでした(虎牢関での三英戦呂布も作り話)

その中で呂布は正史では珍しく一騎打ちを行った武将で、郭汜と戦い勝利しています。



演義では弓の名手は数多く登場しますが正史ではそう多くなく、「軍門に戟を射る」のエピソードや前漢の名将・李広になぞられて「飛将」の異名をとるなど、呂布は数少ない弓の名手とされています。

その他、人物評で「腕力が常人よりも遥かに強く、弓術・馬術にも秀でていた」とされていることもあり、演義で最強に扱われる素材はあったのではないでしょうか?



また黒山賊の張燕と戦った際は「張燕は万余の精鋭と数千の騎兵を有していたが、呂布は赤兎にまたがり、側近の魏越と成廉等数十人と共に突撃を日に三・四度かけ、皆敵の首を持って帰ってきた。それを十余日繰り返して精強を誇った黒山賊を撃破した。」など驚異的な強さを誇っており正史ではこの頃に「人中の呂布・馬中の赤兎」と称賛されたそうな。







正史では

エンショウの

配下と言うか

食客と言うか

その時に

張燕(飛燕と呼ばれそこそこ猛将)

の大軍を

数十騎で

蹴散らしています

同じように

郭シも数百騎で

数万を撃退

したようですが

呂布から

郭シに

一騎打ちを

申し込み

勝っています

郭シは仲間に

助けられました

虎を短刀で殺した

李広に

なぞらえて

飛将と

呼ばれていました

しかし

過大評価が多く

なぞらえての場合

その武将よりは

おそらく

下でしょう

馬超は韓信のようだ

とか

徐晃は孫武のようだとか

曹操がジュンイクに

我が張良を得た

とか

なぞらえての

過大評価は

例をあげれば

キリがありません

本当に最強ならば

項羽に

なぞらえられた

はずです

馬中の赤兎が

あってこそ

人中の呂布です

まあ馬がなくても

かなり猛将だとは

思いますが……

実際には

一騎打ちは

そんなに多くなく

総大将が

一騎打ちを

するのは

ほとんど

ありませんから

まあまあ

強かったの

でしょう

三国志演義は

チンギス・ハンの

建国した

元の後期に

羅貫中が

書いたと

されます

モンゴルの

影響から

神懸かり的な

最強武将に

したんでしょう

羅貫中の書いた

三国志演義を

参考にして

他の著者も

三国志演義を

書いているのでしょう







だって、2000年位前の話でしょ?

誰も分からないよ。。

三国志の魏、呉、蜀ではどれが一番好きですか? 私は魏です。

三国志の魏、呉、蜀ではどれが一番好きですか?



私は魏です。







蜀ですね。



関羽や諸葛亮のような国民的英雄に加え

張飛、趙雲、馬超らも、とても個性的で彼らの像も

中国のあちこちに作られていたりと、とても馴染み深いものを感じます。



巨大政権に徹底的に対抗する反骨精神もとてもカッコイイですね。








魏ですね~。。。

曹操には、とても繊細で凶暴なセンスを感じます。







有能な人物が多い魏に1票。

流石は人材マニアの曹操です。

魅力ある武将や軍師が多い。



曹操も好き。







私も魏が好きです。



曹仁、夏候惇、張遼、龐徳、張郃、そして司馬慰。

みんなそれぞれ個性があり、実力も伴っていると思っています。



また、やはり曹操の存在がもっとも魅力を感じます。

あの人物を使う力量。仕事を人に任せるとその人物は結果をだす、また、結果を出せなかった人物には

その仕事を任せた自分の眼力の器量不足として自分にも罰を科すところなど、一つ一つあげていくとキリがありません。



歴史はやはり人物が作り出していくもの。その登場人物によって、それを読み知っていくとき、自分の感情移入や印象の

善し悪しが決まると思います。



以上のことから、私は”魏”が大好きです。







呉が好きです!赤壁の戦い後の呉の成長も好きですが、孫堅亡き後の孫策の南方統一がとても魅力的で大好きです。







ベタですが蜀です。

劉備、関羽、張飛のチームワークが好きですね。

でもやはり諸葛孔明は別格です。

劉備三兄弟亡き後蜀を引っ張っていく孔明の姿はカッコイイです。







同じく魏です、曹操(字孟徳)が好きなので自然に。

三国志大戦について質問です。 この間、三国志大戦の動画を見ていたのですが その...

三国志大戦について質問です。



この間、三国志大戦の動画を見ていたのですが

その動画を投稿した方は

SR劉備の五虎将の大号令を使っていたのですが

自軍に群雄のSR馬超がいました。



2勢力なら最大士気は9ですよね?

五虎将の大号令は士気12使うはずです。

一体どうしたら2勢力で五虎将の大号令が使えるのでしょうか?



回答宜しく御願いします。







2のR魯粛の同盟締結と兵書同盟締結で士気の上限を上げます。

ご存知の通り、全突馬超は群雄、魯粛は呉、劉備は蜀なので必然的に三色以上になります。

同盟締結に最低でも士気10(五回分)を使わなければなりません。

同様に魏の関羽や漢の関羽や張飛でも五虎将号令は対象になります。

が、劉備、魯粛は効果の対象外なのでネタの可能性が非常に高いですね。








旧R魯粛の計略「同盟締結」を使えば最大士気を上げられますがまあそのデッキには入ってはいなそうですね…

奥義の兵書「同盟締結」でも最大士気は1上がりますが10になったところでだからどうしたって話ですし。



登録ミスかネタか全凸馬超への愛着ではないですか?(笑)

三国志の劉備と関羽と張飛と司馬仲達と曹操と呂布の子孫、 もしいるとしたら良かっ...

三国志の劉備と関羽と張飛と司馬仲達と曹操と呂布の子孫、

もしいるとしたら良かったら教えてください!お願いします







岩波新書の「写真紀行:三国志の風景」は楽しいですよ。

曹操の子孫は「曹園」という村にいて、全員が子孫だそうです。古い中国の街並みの写真が楽しく、お薦めの本です。








史実では血筋断絶と言われるよようですが

現在、「関新剛」という人が関羽62世の子孫を名乗っているようですね。

史実も絶対の真実を書き記したものではありませんし

ファンならば、関羽の子孫いまだに健在と思うのもいいかもしれませんね。



ちなみに文学小説の「水滸伝」には関羽の子孫で関羽そっくりないでたちという

設定の大刀関勝なる人物が登場します。

武勇まで関羽を思わせるものがあるので、生き写しのように描かれていますね。







夢を壊す様で申し訳無いのですが、以前NHKで三国志の英雄の子孫を探すといった内容の番組が放映されていました。詳しい内容は覚えていませんが、確か曹操の子孫が豆腐屋さんを営んでいました。ちょっとビックリしました。







さすがに挙げられた方の子孫は存じ上げませんが、それぞれ有力者ですので、名家として傍流、一族は存在していると考えられます。

現在まで存続しているかどうかは不明ですが、張飛の子、張紹は魏で列侯になっていますし、宋の政治家、司馬光は司馬家の子孫です。



なお、三国志の登場人物の子孫として確認できるのは、作家の陳舜臣氏が陳羣、陳泰の子孫だそうです。







Wikipedia参照

・劉備

現在、劉備の子孫を名乗る人物が中国の漁山郷という村にいる。

脚注:劉備の他にも、曹操・孫権・諸葛亮の子孫を名乗る人々が

住む村が現在の中国各地に現存し、観光地となっている。



怪しいものですね。

関羽の子はそろって早死に。張飛の子、張昭は魏に降りますが、

その後の晋での動乱では劉禅の子孫が死んだというし、はたして

どうなったか。

司馬仲達の子孫は、東晋滅亡に際して二人の公主に引き継が

れて以降はわかりません。自称する人がいるかも。

呂布には娘がいたといいますが、曹操に敗れてその係累はただでは

すまなかったでしょう。

なぜ関羽が神になった?

なぜ関羽が神になった?

いまさら聞けない疑問ですが三国志の関羽って関帝聖君として神格されているようですが

義に厚い男といわれていますが、どこかの本によるとあれは演義による捏造とされているとかかれています

史実では短期で強情なところが多く自尊心が極度に高い言われています。まるで張飛と似ています。

結局二人はそれが原因で無残な最期を遂げていますが、なぜ関羽だけは神となったのでしょうか?

私から推測すると昔の中国人が演義による勘違いで祀り上げられたのではないかと私は思います。

でも実際は違うのでしょうか?よろしかったらわかりやすくて納得のできる回答お願いします。







正史は歴史書、

演義は物語です。

民衆が受け入れるのは、物語であり、演義です。

史実がどうあれ、

民衆にとって関羽は演義に見えるような義に篤い人物でいいのです。

これは勘違いではなく、

民衆にとって、正史を読む機会などなく、

身近な演義に描かれる関羽像が関羽なのであり、

「自分も義に篤い人物でありたい」

「劉.関.張の義兄弟」は、

憧れであり、願望なのですから、

強情であろうがなかろうが問題ではないのでしょう。



また、関羽の演義での義に篤く、武神のように強いという評判を、

民衆の支持に結び付けようと時の王朝は、

関羽を神格化し利用しました。



11世紀始めの宋時代、

北方民族の侵略を救う英雄として、民衆の支持を得ようと、

1102年時の徽宗皇帝が「忠恵公」の称号を与え、

「護国の神(武神)」としました。(王朝が信仰を認めたわけですね。)

その後、宗の歴代皇帝に次々に称号が追贈され、

位はいつの間にか「公」から「王」へあがり、

元、明、清と王朝が変わっても関羽信仰は続き、

明の万暦22年(1594年)関羽の神霊を帝と尊称することに定まり、

すべての関羽の廟は「関帝廟」と呼ばれるようになりました。



清朝西太后は三国劇の愛好者だったといわれ、

劇中で関羽が登場する場面になると、

彼に敬意を表して起立したといいます。

当時の北京には関帝廟が116箇所あったそうです。



武神であった関羽が商業神、財神になったのは、

関羽の生まれ故郷である山西省商人、

特に解池で採れる塩を扱う商人が、

道教信仰と結びつけ、

義理と信頼を重んじる関羽を、

自分達の職業である商業の神として崇めることから始まりました。



白馬の戦いの後、

曹操の元を辞する際、与えられた金銀を残したことから、

義に厚いうえ金銭に淡白な関羽なら、

祈れば願いを聞き届けてくれるとの期待によるものだともいわれています。



また、沿岸部の船乗りや漁師など海の商人が、

船の床板一枚下は地獄で、

お互い助け合わなければならないとして、

劉.関.張の義兄弟が桃園結義で固い絆を結んだことから、

神様として信仰されたという説もあります。

横浜や神戸の港町に中華街が栄えてるのにも、

関係があるかもしれませんね。



ちなみに張飛も、

悪鬼が入り込まないための門神として、

関羽とペアでお札が貼られたり、

張飛廟として、疾病予防や蝗除けなど、

いろいろな生活に密着する害から守ってくれる神様として、

各所に祀られているそうです。



《追記》

一旦寝床に入って考えたんですが、

演義の体裁が整ったのは明代ですから、

関羽の神格化が始まった宋代ではまだ「平話」という、

言い伝えや昔話が流布していた時代ですね。



しかし北宋期には、

蜀漢が善、魏が悪、呉は日和見という、

演義の原型は出来ていたそうですから、

善の蜀漢の主役級の関羽が、

性格に厳しい所があって扱いにくい人物であっては、

やっぱりまずいでしょうね。



ご存知のように演義は、

蜀漢の連中は3割り増し良く書かれて、

魏の連中は逆に3割引で書かれるのが運命ですから・・・。

その原型の平話ではそれに輪をかけた描かれ方になりますね。

質問者さんの言われる勘違いではないですが、

誇張表現と言い換えた方がいいのかな?








天上天下唯我独尊という釈迦尊の至言があるように

強く誇り高い神というものは自尊心の塊のような存在であるべきなのでしょう。

それでいて、自らを慕う者、弱者には優しく怨敵は徹底的なまでの攻撃性を

もって撃滅する。



中国の関帝に限らず、北欧神話のトールや

インド神話のシヴァなど人気の高い神様には共通する事項ですね。



猜疑心が強く裏表が強烈、狡猾であり、世渡り上手な神様なんて

讃える側には迷惑なだけでしょう?



弱きを守り強気を挫く、多神教の文化を持つ人々が神様に望む理想像とは

口先だけの上辺ではなく、気性荒々しくとも「俺について来い!」的な親分肌の

弱者の味方を望むのだと思います。

シンプルでわかり易いですから、讃える側にもその神様が

どんな存在なのかも伝わりやすく

伝播もスムーズに行ったのでしょうね。



そういう意味では関羽とは

中国の方の気質にぴったりと符合し、同調を得るに納得な人傑です。







関羽が義に厚いのは捏造ではありません。

関羽が顔良を斬って恩義を返した件は、正史にもはっきりと記されています。

その前に張遼に対し「必ず功績を立てて恩を返してから去る」と明言しており、有言実行も成しています。

この事は地味な描写が多い正史ではより際立っており、むしろ他の描写が派手になった演義では、相対的に色褪せてしまっています。



また演義では派手な一騎討ちが大安売り状態ですが、正史にはほとんど一騎討ちの描写がありません。

その中にあって、大軍の真っ只中で、勇猛と名を馳せた大将を瞬殺するような描写があるのは関羽だけであり、正史の記述のみを重視すれば、個人的武勇では関羽は三国志最強の武将です。

その証左として、その後の史書では武勇を讃える際、「関羽の顔良斬りもかくや…」「関羽、張飛の武勇にも劣らぬ…」等と必ず関羽(たまにおまけで張飛)が引き合いに出されており、呂布等他の武将が引き合いに出される事はありませんでした。



また関羽が樊城を囲んだ際、曹操は狼狽のあまり遷都を言い出して、司馬懿等に諌められてようやく思いとどまったり、魏の謀臣達にも蜀随一の名将と評価されており、決して虚名ではない事が分かります。



結果として作り話である演義とは違い、派手さに欠ける正史の中にあって一際忠義と武勇が際立っているのが関羽であり、特に忠義の面が歴代の王朝によって重視され、神格化されたと言えます。

また演義の成立した明朝頃より前に、仏教で関羽は神格化されており、演義による勘違いで祀られたというのは誤りです。



ちなみに正史においても関羽と張飛は真逆の性格とされています。

張飛は目上や同格の人物に対しては敬う性格で、厳顔の剛直さを称えたり、他の同僚達と問題を起こす事もありませんでしたが、一方で目下の兵卒等には無慈悲であり、恨みを持った部下に殺されました。

逆に関羽は兵卒や庶民に対しては優しく、目上や同格の人物に対しては傲慢でした。

この目下に優しい部分がプラスに働いたのか、徐州では劉備に代わって内政を取り仕切り、荊州でも呂蒙に賞賛されるような統治を行い、政務においても優秀でしたが、逆に孫権(目上)や士仁、糜芳(同格)に対して傲慢に振舞ったため、身を滅ぼしています。







ソロバンの原型はカンウが発明したと聞きます。

それでお金の神様として祭られてます。







frogman03544さんのおっしゃる通り、史実を考えてしまってはいけないと思います。

まあ、『三国志演義』もその元になった『三国志平話』も、ある程度史実を元にしている部分はありますが(^_^;



関羽がプライド高く強情で、自分が格下とみなす人物は例え孫権でも見下す性格だったのは間違いないと思いますが、民衆が認めたのはその部分ではなく、義理堅く忠義に篤く私利私欲と無縁な部分です。

まさに義理と信用と金銭的公正を重んじる商売の世界にピッタリだとは思いませんか?



ちなみに張飛は張飛で、短気で粗暴で権威や名声に弱い性格ですが(関羽とはあまり似ていません)、一方で単騎でも敵に立ち向かう勇敢さと立派な人物に敬意を払う謙虚な面も持っています。

ここから悪者を退治し弱いものを守る勇気と力と優しさを持った人物(神)として、関羽ほどではありませんが祀られています。

関羽と張飛とで差がついたのは、frogman03544さんのご回答にあるように「国家が信仰を推奨したか否か」の差でしょうね。

『三国志』の蜀の五虎大将軍の能力に点数をつけてください。 能力の内容は、智謀・...

『三国志』の蜀の五虎大将軍の能力に点数をつけてください。

能力の内容は、智謀・政治・戦略・戦闘力・人望の順で、100点満点でお願いします。

例) 関羽 80 88 90 98 85



理由があればなおいいです







①関羽 75 55 85 95 60

理由:

(1)政治について。内政は比較的良くやっていたように見受けられますが、呉を敵に廻し魏との挟撃にあってしまうなど、外交面はさほど優れていなかったようです。

(2)人望について。弱者には慈愛の情を持ち、恩義を忘れぬ人格が賞賛されていますが、劉備旗揚げからの功臣麋芳などを冷遇するなど、人の好き嫌いが激しかったようです。



②張飛 55 50 60 97 30

理由:

(1)晩年の蜀や漢中の戦いにおいて明確な戦略を得ていたことから智謀・戦略を一般論よりは高評価しました。



③趙雲 70 50 80 95 95

理由:

(1)趙雲は生前他の五虎大将軍と比べると官位が低かったのですが、にもかかわらず蜀に粉骨砕身し、余りある功績を残したことは特筆すべきと考え、また死後蜀臣により評価されていることもあり人望を高評価させてもらいました。

(2)政治については特に話題にも出ず、恐らく無難程度の能力だったと考え、やや低めにしました。



④黄忠 60 70 60 80 90

理由:

(1)漢中での戦いなどを見ると小人数で大軍をかき回したりと勇猛果敢ですが、以外にも猪突猛進のようです。また、彼が大軍を与えられたら指揮能力にやや疑問符を持ちます。



⑤馬超 55 80 60 95 80

(2)政治・人望面で辺境の異民族とうまくやっていたことを高評価しました。



以上、僭越ながら・・・








五虎大将軍自体は演義のもので歴史的事実ではありませんが。



関羽 70・65・75・85・70 荊州を守れなかったを考えると、欠点の多い人物だったのでは。

張飛 60・60・60・90・60 可もなく不可もなくといったところ、戦闘力だけはずば抜けてある。

趙雲 65・70・65・80・90 バランスは取れている、戦略はないが実行力は抜群、孔明とのコンビはいい。

黄忠 70・60・80・75・80 年の功は健在、老いてなおますます元気、さすがの経験力があり。

馬超 65・60・70・85・80 蜀に仕えてからは活躍どころがない、唯一の活躍は劉璋を降伏させるところだけ。

三国志を題材としたオススメ映画を教えてください。 レッドクリフで三国志にハマリ、横山...

三国志を題材としたオススメ映画を教えてください。

レッドクリフで三国志にハマリ、横山光輝の三国志を読み、演義、正史と読んで来ました。


三国志の魅力にただ今取り付かれ中なんです。







80年代、まだ「三国志」がマイナーな時代に公開された中国映画「三国志」(「三国演義」)があって、VHSやレーザーディスクにはなりましたが、DVDにはなっていませんね。

桃園から赤壁までで、日本語ナレーションも入り、ラストの赤壁大戦も迫力でしたよ。



シナノ企画の、舛田利雄監督、笠原静夫脚本のアニメ大作「劇場版三国志」3部作も非常によい出来です。

・・・よく考えたら、「ヤフー動画」で見られるんですねえ、これ。



横山光輝原作のコミックのテレビアニメ化「横山光輝三国志」もあります。

画像は、その一シーンから。



中国のドラマで、曹操や関羽を主人公にしたものもありますし(販売はされていますが、レンタルはどうかなあ・・・)、80年代に湖北省で作られた「諸葛孔明」3部作は傑作と言われ、主演の孔明役の人が日本の雑誌インタビューに答えたりしていました。

三国志の中で泣ける話、オススメの話などがあれば教えてください 質問主の知識はお...

三国志の中で泣ける話、オススメの話などがあれば教えてください

質問主の知識はおおまかな流れと有名な軍師の逸話くらいです

三国志読もうと思うのですが、なかなか全部読む気にならないので・・・

だから何か泣ける話、オススメの話を教えてください

魅力に気がついたら勢いで三国志読むかもしれないです(´・ω・`)







純粋な「三国志演義」と、話をメタメタに変えてしまっている三国志モノがあることに注意!



と、前置きしつつ(笑)

小説に抵抗があるならば、横山光輝さんのマンガ「三国志」がオススメです。





オススメエピソードは…

【曹操を守る為に壮絶な最期を遂げた典韋】



【関羽の千里行】



【長坂坡で阿斗(劉備の息子)をただ一騎で救出する趙雲】



【関羽の死と仇討ちに燃える劉備に襲いかかる悲しい運命】



【五丈原で散り行く諸葛孔明】



泣けたり、展開にワクワクドキドキしたり、楽しみ方は沢山詰まっていると思うので、是非三国志の世界に浸ってみて下さいね(^-^)v



一番のオススメは20年近く前にコーエーから出ていた【CDドラマ三国志シリーズ】なんですが、入手困難かも…。








横山マンガの三国志で司馬懿が死ぬ時に、諸葛亮はなんと素晴らしかったか、あの世で諸葛亮の教えを請いたい と言うシーン。







>三国志読もうと思うのですが、なかなか全部読む気にならないので・・・



学校の図書館などに、赤壁の戦いをダイジェストにした単行本がないですか?

個々のエピソードよりそれを一読することをお勧めします。







先に歴史小説の三国志についての私見的な回答になります。



「吉川英治」氏の「三国志」(「講談社」文庫)の全10巻が特に有名です。

「六興出版」でも吉川英治氏の三国志は出版されていたようです。

1992年に会社が閉鎖し今では絶版のようです。内容表記に差異は見られない

です。



難解な表記が多い為1回限り読んだだけでは理解に至らないかもしれません。

中国の古典小説『三国志演義』を元に大胆に翻案した昔から語り継がれている

有名な歴史小説です。



権謀術数の限りを尽くして北方の大国の魏を建国した乱世の奸雄の曹操や

父_孫堅・兄_孫策の跡目を継いだ守成派の南方の呉の孫権よりも

諸葛亮孔明を三顧の礼で軍師に迎えてから西方の蜀を建国した

仁義を旨とする劉備を中心に描かれた描写です。



以下が

「吉川英治」氏の「三国志」(講談社文庫)の全10巻 の内訳です。



1.桃園の巻

劉備・関羽・張飛三人の出会いから曹操による董卓暗殺未遂まで。

2.群星の巻

曹操の逃亡から李傕・郭汜による朝政壟断まで。

3.草莽の巻

献帝の長安脱出から下邳の戦いまで。

4.臣道の巻

呂布の滅亡から関羽が曹操の下を辞するまで。

5.孔明の巻

関羽千里行から三顧の礼・隆中対まで。

6.赤壁の巻

孔明出蘆から東南の風を祈るまで。

7.望蜀の巻

赤壁の戦いから孫夫人が呉に戻るまで。

8.図南の巻

曹操が魏公に昇ってから関羽が樊城で于禁らを捕らえるまで。

9.出師の巻

華佗の関羽治療から孔明の第一次北伐出陣まで。

10.五丈原の巻

第一次北伐から孔明死後の魏延謀叛まで。



10巻よりあとの晋による三国統一までは残念ながら明記されていません。



10巻の巻末のほうに「諸葛菜」・「後蜀30年」とあります。

諸葛亮孔明の出生にまつわる事と生涯の生きざまや曹操との対比

が記述されています。前三国志が曹操主役なら後三国志が孔明主役

の展開というか帰結になる・・・と。

蜀の丞相の諸葛亮孔明没後の劉備の倅の劉禅の蜀と

孫権の孫の孫皓の呉がどうなったのか?

魏の大都督の司馬懿仲達の孫の司馬炎に禅譲で魏にとってかわった

晋に呉蜀が併呑され三国が統一される概略が簡単に書かれています。

司馬炎の死後に皇帝の帝位を一族が争い三国統一を果たした晋も

やがて国家が無残に分裂していくことになります。



さて本題です。



4巻のある内容です。

・汝南の戦い

翼北の強国の袁紹を白馬・官渡の戦いで独自の戦略で破って

中国北方を制圧した曹操に対抗すべく汝南に立てこもっていた劉備は

曹操との戦いに破れて配下の武将たちと落ちていく先を探している場面です。

義兄弟であり直属の部下の関羽が主君の劉備だけじゃなく麾下の諸将らを

励ます喩え話をしています。

「泥魚」と小タイトルで明記されています。

「・・戦に敗れるも兵家の常と申します。時勢が我軍に味方しないわけであって

敵に打勝てぬ仕儀に至るも天運なのかもしれません。 泥魚という魚がいます。

水がなくて干上がるときには水を含んだ泥を身に纏って生き延びますが

いざ雨が降り水が得られたのなら泥の衣装を脱ぎ棄て大海にでる。

時を得るも時運なりでしょう。我々も泥魚のような生き方を倣うべきでしょう。」



・新野の戦い

汝南の戦い で劉備は曹操に敗れて逃げ落ちた先が劉表が統治する荊州でした。

州都の襄陽ではなく当面は新野で割拠することとなりました。

そのとき奇遇にも路傍で知り合った徐庶を軍師に自軍に向かい入れ曹操の義弟

の曹仁の25000の大軍をわずか2000で打ち破りました。曹仁は根拠地の樊城も

劉備軍に奪われ命からがら都の許昌に残り少なに打ち減らされた敗残兵とともに

逃げ帰ってきます。その時主君の曹操は負け戦の責任を糾弾される立場の曹仁に

「勝敗は兵家の常だ。よろしい!帰って休んでいろ。」と何も咎めず言いました。

この返答のみで敗戦の責任は問わず咎めもしない。このようなリーダーシップを

持つ者がトップであれば配下の者は失敗を恐れずチャレンジ出来るのでしょう。

5巻のある内容です。



・長坂の戦い

劉備が曹操の大軍に追われて逃走した時荊州の当陽県長坂で趙雲は劉備の

息子阿斗 (後の劉禅)を自ら抱え分厚い敵陣の真只中を単騎で突破して

劉備のもとへ馳せ参じた場面。

趙雲の神がかりな武運もさることながら劉備が趙雲にいった名言が素晴らしいです。

趙雲が死ぬ思いで敵陣突破で救出した劉備の子供を抱きかかえると同時に叢へ

ほうって しまいます。そのあと劉備は趙雲にこう言います。

「・・凡庸な君主の子供はすぐに作れるが趙雲のようなまたとない優れた家臣

を得る ことはむずかしいのだ・・。この子供のために危うく命を落とすことに

なろうかと思えば・・。 ・・諸将よ。わが事疑うなかれ・・。」

趙雲は懺鬼に堪えない面持ちで額を地にすりつけてこう誓いました。

「・・この名君のためならわが身が肝脳の地に塗れようとも悔い刎れ・・」



長坂の戦い を描いた画像も添付しておきます。







泣いてバショクを切るところです。

映画「レッドクリフ(赤壁の戦い)」

や、マンガで親しむのもアリだと思います。

三国志で有名な関羽を日本の戦国武将にたとえると誰に当たりますか? 個人的には上...

三国志で有名な関羽を日本の戦国武将にたとえると誰に当たりますか?

個人的には上杉謙信かなと「義」をつらぬいたし・・・







前出にもありますが、

いわゆる蜀の国の劉備を豊臣秀吉と考えて、

関羽は加藤清正、張飛を福島正則、

諸葛亮を石田三成と考えると、

なかなか当てはまると思うのですが・・・

ただ、諸葛亮はそんなに嫌われていなかったかな。



上杉謙信は呉の孫権に近いですね。

謙信は水軍も持っていましたし(ほとんど商業用ですが)

言い方はわるいですが、独裁政権ですしね。








山中鹿之助、が一番ぴったりくるかもしれません。



・両者共勇猛な人物であり、武勇伝もある。



・両者共大軍を統率して自身は後方で戦う、と言うよりも

精鋭部隊を自ら率いて前線で戦う方が性に合う。



・関羽は劉備のため、鹿之助は尼子の為に生涯忠誠を誓い、

守り立てる等、両者共非常に義に厚い人物であります。



・最後は両者とも敵によって首を落とされています。



ややマイナーかもしれませんが、彼が一番近いですかね。







一応トップが国を治め、自分はトップではなく、古参の武将で、武辺者としてのイメージが強いが、参謀としても機能していて、義理にも厚く、実はそろばん勘定にも長けている(中国では関羽がそろばんを発明したと言われている。なので関羽は中国で商売の神様になっている。)となると、豊臣秀吉における蜂須賀正勝が近いかなと思います。



違いは本人は天命を全うしていて、子孫が元主君からすると敵方に仕えてその政権が消滅するまで一緒に栄えたことですね。







事後神格化されたということであれば徳川家康(日光東照宮と関帝廟)

武勇に秀でて、地方方面軍の司令官などであれば柴田勝家

ゲームのイメージだと本多忠勝



こんな感じでしょうか?? 何にフォーカスするかで違いますね。

三国志で主要人物をたくさん教えてください

三国志で主要人物をたくさん教えてください







各武将の詳細は下の方が貼ったwikiを参照するといいでしょう。

これだけ紹介しますが、これでもかなり絞りました。



[魏]

曹操 曹丕 夏侯惇 司馬懿 張遼 夏侯淵 賈詡 荀彧 鄧艾



[蜀]

劉備 諸葛亮 関羽 張飛 馬超 趙雲 姜維 龐統



[呉]

孫堅 孫策 孫権 周瑜 陸遜 呂蒙 魯粛



[その他]

董卓 呂布 張角 袁紹








三国志に登場する人物は、毛宗崗本の『三国志演義』で1500人以上、陳寿撰の正史『三國志』で実に3700人以上おります。



まあ主要人物を、という事ですからこれを全部ではなくて一部という事になりますが、それでも数百人規模になりますよ?

それに、こういうのは人名だけ聞いても大して頭に入らないと思います。三国志はあくまでも「物語」として親しまれていますから、まずはご自身で小説なり漫画なりをお読みになって、その話の流れから、場面や特徴、人間関係などと合わせて覚えていった方が分かりやすいと思います。

いかがでしょうかね?







Wikiの一覧記事などご覧になってはいかがでしょうか。「演義」の登場人物は総数で千人以上いるそうな…。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E6%BC%94%E...

関羽が突破した5ヶ所の関門の名前を教えて下さい

関羽が突破した5ヶ所の関門の名前を教えて下さい







関羽、五関を突破し六将を斬るとはいいますが、実際は関所でないところも含まれます。

河北に劉備がいると聞いた関羽は許都を出て北へ向かいます。



その一 東嶺関 孔秀



その二 洛陽 韓福(太守) 副将猛坦(六将には含まれず)



その三 沂水関 卞喜(歓迎するフリをして夜襲をかけたが討ち取られる)



その四 滎陽 王植(太守・卞喜と同じような策を使うが胡班が関羽に通じて失敗、追撃するが返り討ちとなる)



その五 延津(黄河の船着場) 秦琪



五関を突破し河北へ着いたものの劉備はすでに南の汝南へ去ったと聞き、来た道を引き返します。

すると秦琪の上官である夏候淳が駆けつけてきて関羽と決着をつけんとします。

しかしちょうどその時曹操の使者が追いついてきて曹操の手出し無用の命令を伝えたので、夏候淳は引き上げます。



徐南への道のりを急ぐ関羽でしたが途中の山に山賊がいて、その名を張飛というので合いに行くとまさしく本物の張飛でした。

しかし、関羽が曹操の家臣になったと思い込む張飛は襲い掛かってきます。

そこへ秦琪のおじの蔡陽(こっちが六人目)という曹操の武将が甥の仇討ちに乗り込んできたので関羽はこれを討ち、張飛の疑いを晴らし劉備と合流できたのでした。



尚、以上はすべて正史三国志には登場しない三国志演義の中のお話です。

三国志に登場する有名な武器は関羽の青龍刀の他には何ですか?お願いします

三国志に登場する有名な武器は関羽の青龍刀の他には何ですか?お願いします







呂布:方天画戟(ほうてんがげき)

典韋:双鉄戟(そうてつげき)

趙雲:亮銀槍(りょうぎんやり)

張飛:丈八蛇矛(じょうはちしゃほこ)

徐晃:金背開山鉞(きんせかいざんまさかり)

馬超:龍騎槍(りゅうきやり)

許褚:九環刀(きゅうかんとう)

曹操:倚天剣(いてんけん)

劉備:雌雄双股剣(しゆうそうこうけん)



下記のサイトには三国志の武器を詳しく紹介されています。画像も付です。

http://www.hyxx-online.com/sgbk/sgbk.htm








正史・演義とりまぜて答えます。



呂布:方天画戟

張飛:蛇矛

程普:鉄脊蛇矛

劉備:雌雄一対の剣

典韋:双鉄戟

王允:七星宝刀

董卓をこれで殺せと曹操に渡す。

沙摩柯:鉄疾黎骨朶

王双:流星鎚

紀霊:三尖刀

孫一族:古錠刀

夏侯恩:青コウの剣

曹操より賜る。倚天剣と対比される。趙雲が夏侯恩を討ち取り、奪取。

関羽・張飛の息子たち…関興・張苞は父と同じ得物。諸葛亮:袖箭…隠し武器。袖口から矢を放つ。

関羽が曹操を逃がさなかったら? 三國志で一番有名な戦い「赤壁の戦い」。

関羽が曹操を逃がさなかったら?





三國志で一番有名な戦い「赤壁の戦い」。




この戦いで曹操が敗れて敗走している際、関羽が途中で待ち伏せていて、曹操は絶体絶命の危機に陥りますが、義人・関羽はかつての恩から曹操を見逃しますよね。



もしもこの時、関羽が曹操を見逃さなかったら。



さらに言うなら、かつて関羽が曹操に捕まった際、曹操が劉備のもとへ帰って行く関羽を逃がさなかったら。



もっと言うなら、待ち伏せていたのが義人・関羽ではなく他の武将だったら。



その後の歴史はどうなっていたと考えますか?





色々考えられますが、私は少なくとも天下三分の計は実現しなかったかな、と思います。





皆さんの考えを聞いてみたいです。



よろしくお願いします(^_^)





※ちなみに私は知恵袋初心者なので、知恵コインについてよくわからないですし、過去に同じ質問があったりしたらごめんなさい(>_<)











あくまでもフィクションなのですが,こういういい意味で「勝手」な想像は面白いですね。



私はこの場合,劉備の命運が先に尽きてしまうと思います。劉備は未だこの時点で確固たる地盤を築いておらず,曹操軍は中枢が壊滅してしまうと,当然積極的な対外政策はできなくなり,当面は荊州の軍事バランスが大きく孫権軍に傾くでしょう。そうなると,孫権は後方の不安を意に介することなく領土を拡大しようとし,荊州を一気に併吞しようとすると思います。当然劉備が脅威となり,邪魔になるはずなので,排除しようとするでしょう。劉備は,荊州の不安定な情勢に乗じて,あのような快挙を成せた訳で,孫権が圧倒的な力を持ってしまったら地盤を確立する前に追われてしまうかも知れません。兵力の差は歴然ですから。



「曹操の存在があったからこそ,劉備は英雄となれた」,のかも知れません。案外,魏と呉の天下二分になっていたかも。。。








まだ演義幻想にとらわれている凡愚がいるとは・・・なげかわしい・・・。いいですか、あなたがおそらく知っている三国志は「三国志演義」というデタラメ小説で本物の三国志とは内容がかけ離れています。どうせあなたは横山や吉川のでも読んだのでしょうがウィキか正史か本でもよんで調べてみなさい。そして本物の三国志を理解したら「蒼天航路」という漫画を読みなさい。これを読めばさらに深い三国志の世界を知ることができます。







曹操が関羽を逃がさなかったら…について想像します。関羽に対する曹操の気持ちは、日増しに強まり、それは恋慕の情と言えるほどになっていきました。劉備が生きていたことが分かると…なんと劉備暗殺を企てます。しかもそれが、曹操の仕業と分からぬよう、袁紹陣営を巧みに動かし、劉備にあらぬ疑いがかかるようにしむけていきました。優柔不断、疑心暗鬼と言われる袁紹はついにこの計略にはまり、劉備を処断してしまいました。やっと関羽を正式な配下にできたと浮かれる曹操。悲しみに暮れる関羽…。 つづく







そんなあなたも今すぐ「赤壁 関羽」で検索を。仰るとおりたくさん同じ質問があります。新たに質問するよりより多くの意見が見れますよ。コイン云々は気にせずに。そんなもん欲しさに回答する人はあまりいません。



とりあえず質問に答えます。フィクションの先を想像するのは難しいですが、あまり差はないかなと。曹操が死んでも国境の警備が著しく緩むほど軟弱な体制とも思えず、結局周瑜が江陵を陥落させるには時間がかかる。その間に劉備はやっぱり漁夫の利を狙う。だって地盤がないんだもん。手付かずなのは荊州南部4郡のみ。そこを狙わざるえない。まんま演義通りですね。

むしろ変わるのは孫権のほうかと。曹操が死んだらペテン師劉備の口添えもあって今が好機と合肥に大遠征。で、例のごとく負ける。ただ孫権は曹丕を外交で翻弄したあげく勝ったこともあるんで、案外合肥を抜いたりして。まぁそれで天下がどうにかなるとも思えないけど。







えーと、根本的な部分で多少の誤解があると思いますので、まずそこをご説明しますね。



赤壁で敗れて逃げる曹操を関羽が華容道で待ち伏せし、結局逃がしちゃう話。あれは実はフィクションなんです(^_^;

日本で一般的に知られている三国志は、『三国志演義』という中国の明の時代(1500年頃)に書かれた小説です。史実七分虚構三分と言われ、全体の流れは史実通りですが細かい部分に小説的創作が施されています。

つまり、赤壁で曹操が敗れたのは史実ですが、それを関羽が待ち伏せしたというのは創作なんですね。



ちなみに、関羽が徐州で曹操に投降したのも、その後に劉備の居場所を見つけて帰っていったのも史実です。曹操はこれを「主君に忠義を貫く立派な姿だから追ってはならない」と言って、気持ちよく見送ります。

『三国志演義』のフィクションはその後。五関を突破して六将を斬ったり夏侯惇が追いかけてきたりといった辺りが創作になります。



赤壁の戦いでは、実は劉備達は後方で何もしませんでした。曹操は周瑜ら呉軍が単独で勝っちゃったんです(^_^;

で、撤退する曹操軍を周瑜は劉備らと共に追撃しますが、曹操が逃げる先は曹操軍が制圧している荊州なので伏兵は置けませんでした。

曹操は曹仁や徐晃らに後を任せて真っ直ぐ北上します。周瑜らは曹仁たちの籠る江陵を攻撃し、その間に劉備や関羽は荊州南部を制圧に向かうのです。



質問者さんは三国志がお好きなようですが、演義と正史の違いを紹介した本もたくさん出ています。そういった本もお読みになれば、演義と正史の違いも分かって、より三国志が楽しくなると思いますよ☆









そこらへん、「三国志演義」で創作されたエピソードなので、「その後の三国志演義」をベースに考えてみますね。



・赤壁で曹操が関羽に殺される

一緒にいた程立や、後から来た張遼、徐晃あたりも殺されるだろーなと思われるので、魏の打撃が巨大なものに。

このころ、曹植はまだ後継者争いの有力候補という立場ではないから、後継争いはなく、曹丕の下で一枚岩。

漢側人材の粛清とそれに続く動乱で、少なくとも外征はできない状態が続きそう。



劉備方は、荊州南部を抑えた後は、当然、蜀を目指すことになりますが、益州への曹操・張魯からの圧力が

緩和されるので、お話通りに蜀の内部に招かれてからの進軍ではなく、江陵・永安辺りを経由しての攻略。

すごく時間かかりそう(演義のスーパー孔明ならどうにかするかもしれないけど)。



孫権方は、荊州中部に加えて、曹操死後の動揺で混乱する北部も手中に。

このまま北伐しそうな雰囲気もありますが、実際、平野での戦いに不慣れで騎馬隊を持たない呉が

どんだけ中原で戦えるか、正直、微妙。むしろ、孫権の思考傾向から考えると、荊州南部を奪って

後顧の憂いを無くしたがるんじゃないでしょうか。

そして、蜀攻略に手間取る劉備方に戦を仕掛けるくらいの事はしてきそう。



結果として、南呉と北魏の二大勢力による南北朝時代が出現したんじゃないでしょうかね。



・・・あれ?関羽って、実は思った以上に蜀の救世主じゃね?

関羽と張飛が一騎打ちしたらどっちが勝ちますか?

関羽と張飛が一騎打ちしたらどっちが勝ちますか?

かりに関羽と張飛が劉備のいない間に喧嘩を始めて一騎打ちになったらどっちが勝つと思いますか?個人的に張飛です。関羽が曹操に自らの武勇を褒められた際「私の弟は私よりも強い」と語っていますし。謙遜して語ったかもしませんがね。というか張飛に勝ってほしい。願望です。武力以外張飛が関羽に勝てる要素がないですから・・・







実績からみると関羽です。

正史でみると呂布の次位に強い感じです。

ただ、呂布は配下の部隊がかなり強力だったらしいので、弱い劉備軍団のなかでかなりの武勇をあげている関羽は三国志のなかでも一番に強いかもしれないです。



質問者さんの張飛に勝たせてあげたいというのも良く解ります。

張飛のキャラクターは素晴らしく人間臭くて良いです。

ただ、実績がないので何ともいえませんが、強かったことは間違えないようです。

彼の本質は前線指揮官としての優秀さにあると思うので、必ずしも関羽より劣っている訳ではないですよ。








一騎打ちの最後がどこまでかだと思います。

情に熱いカンウなら本当に決死のチョウヒには勝てないと思います。



なれ合いのなんちゃって一騎打ちならカンウかも知れません。

でも何の根拠もありません。あくまでイメージです!







三国演義での比べあいなら張飛が勝つと思いますね。

おっしゃるとおり関羽が白馬で顔良を討ち取った際、自分より更に強い者が張飛だと公言しています。



一方、三国志正史では張飛伝において

「張飛の勇猛は関羽に次ぐ」とあるので、正史では関羽かもしれません。







チョウヒです。



>武力以外張飛が関羽に勝てる要素がないですから



↑これは何を根拠とされているのでしょうか?

もしかしてKOEIの三国志の能力でもみられたのでしょうか?

あれは、完全にフィクションですので参考になりませんよ。



チョウヒは中国の歴史上、最も頭がよい人物です。当然、諸葛亮孔明やシュウユなども足元に及びません。





質問の回答にもどりますが。

すべての能力においてチョウヒが優っている以上、チョウ非です。頭をつかって、カンウの寝首をかくということも可能でしょうからね。

三国志について質問です。 劉備が部下に対して「うんちょう!」と呼び掛けた場合...

三国志について質問です。



劉備が部下に対して「うんちょう!」と呼び掛けた場合、関羽うんちょう、うんちょう子竜二人とも振り返ると思いますか?




とてもきになります。







こうめい!と呼べば諸葛亮と関羽が振り返ります。友人であり敵である徐晃(字は公明)がいると思って…(日本語の発音と違うだろ…)

で、皆さんのいうとおり、趙雲はしりゅうなので振り返りません。



しぎょ!と呼べば、華キンと周魴が振り返ります。字が子魚で同じなので。(時期が少し違うだろ…)



お粗末様(^.^)(-.-)(__)



しりゅうはちょううんなので振り返りません、の間違いでした。お恥ずかしい。








単純に、これは日本語読みでのことなので、カブることはありません。

それに、うんちょう子竜ではなく、趙雲子龍(ちょううんしりゅう)です。

関羽雲長の関は姓、羽は名、雲長は字です。

趙雲子龍も同じように、趙が姓、雲が名、子龍が字です。







中国語なんだから読みが違うし、間違えるわけないでしょう。







むしろ魏延が振り返ったりして(文長)。







子竜のほうは「うんちょう」ではなく「ちょううん」です。漢字で書くと趙雲。



ですので「うんちょう!」と呼びかけても振り返るのは関羽だけです。

趙雲を振り返らせたいなら「しりゅう!」と呼ばなければなりませんが、そう呼ぶと今度は関羽が振り返りません。







関羽だけじゃないすか。

三国志に顔良と文醜という兄弟の猛将がいました。彼らは関羽というレンタル武将に...

三国志に顔良と文醜という兄弟の猛将がいました。彼らは関羽というレンタル武将にあっという間に斬られました。




ここで気になったのですが、顔良は「奇襲」で斬られた感じで、文醜にいたっては「劉備について話そうとしたら斬られた」ような感じで表現されてます。

『互いに斬り合った』事実はあるのでしょうか?

また、事実がなくてはなっ、彼らと関羽が斬り合ったらどっちが強いんでしょうか。予想お願いします。







正確に言えば一騎でとはかかれていないですね。正史の記述では、

乱戦の中で顔良を見かけたので、突っ込んで顔良を刺し殺し、首を

持ち帰った、とあるのみです。



単騎で突っ込んだようにも見えますし、配下の兵と一緒に突っ込んだ

ようにも取れるのですが、中国と言うのはかなり初期から集団戦闘が

発展しており、個人の武勇で戦局をどうこうできるような戦いと言うの

は極稀です。この時の関羽ももし単騎で突撃したとすれば逆に匹夫

の勇でしかなく、評価を下げる格好になるので、私は配下の兵を率い

顔良本陣に突っ込んで刺し殺した、と言う風に考えています。



実際に斬りあったら、と言う意味では上記の通り、それは本来将軍の

行なう仕事ではないので何とも言えません。華北を代表する将軍、と

は言え、実際のところ二人とも目立った実績が無いので将としての力

量は不明だと考えます。



ただ、単騎か配下の兵と共にかは分かりませんが、大将を直接倒した、

と言うエピソードは正史上でもそう多くなく、関羽の武技は当時を代表

するに足るだけの力量はあったと思います。



人物が1000人以上出てくる中でのトップ10内に入るぐらいはあったと

思います。その順番は人によって変わってくると思いますが。








正史の三国志によれば、顔良と文醜はともに荀攸の策に嵌って敗死したことになっている。



文醜に関しては、魏軍の輜重隊を襲撃したところ、曹操軍に急襲されて大混乱に陥り、その混乱の最中に戦死したとあるだけで、特に関羽に討ち取られたとは書いていない。



しかし、顔良は間違いなく関羽に首を取られたようだ。

袁紹に一軍を任されて魏軍の一角に攻め寄せてきた顔良に対し、曹軍は背後を突く構えを見せた。

魏軍が後方に回り込もうとしていることを知った顔良配下の多くの軍は、当然のことながら挟撃を避けて撤退した。

しかし、顔良は、策士荀攸の思惑通り匹夫の勇を発揮して、退くことを潔しとせず、直属の僅かな兵力で突撃してしまったのだ。

それを見た曹操は、張遼と関羽に攻撃を命じたが、関羽は顔良を見つけると、ただ一騎で顔良軍の中に分け入り、見事に顔良を刺し殺して首を挙げたとある。



まあ、お互いベストな状態で一騎打ちとなったらどちらが強いかは分からない。

けれども、多勢に無勢という状況で自軍が袋叩きの目に会いつつあっては、顔良が本来の武勇を発揮できたとは思えない。逆の立場だったら関羽の方が討ち取られていたかもしれないだろう。







《追記》

演義ベースだから小説になるので、

正史ベースで小説は造れません。

現在刊行中の宮城谷昌光さんの「三国志」は、

幾分正史の匂いがしますが、

他の作家さんの「三国志」に較べれば・・・です。



ちくま学芸文庫の「正史三国志」全8巻が、

正史の訳本のスタンダードですから、読まれることをお薦めしますが、

あくまでも歴史書ですし、登場人物のパーソナルデーターの羅列なので、

はっきりいってとても読みにくい難点があります。

書店で手にとって、そのディープさをご体験ください。



正史全てを知ろうとするのは、かなりの労力を必要としますので、

興味のある人物や、出来事に思い当たったら、

人物名で、ウィキで検索されてはいかがですか。



↓Category:三国志の登場人物

http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E...



ちなみに、「周倉」も架空とされる人物です。





質問者さんの仰る逸話は、

『三国志演義』での創作です。



たしかに、

関羽は敵軍の中にただ一騎で分け入って顔良を刺し殺し、

顔良の首を持ち帰った、と、

『三国志』魏書武帝紀、蜀書関羽伝に、記載がありますので、

信憑性はあります。



『演義』にある、関羽は呂布の遺品・赤兎馬を駆って突入し、

顔良は反撃の間もなく討ち取られてしまう。というのは、

『正史』の記載に3割がた脚色した、

関羽の豪傑振りを強調する描き方です。

でもこれは笑って許せる範囲です。



質問者さんの言われる、

顔良は、当時袁紹軍の客将だった劉備に関羽の人相風体を聞かされ、

もし出会ったなら、すぐに劉備の元に来るように伝えてほしいと頼まれ、

そして関羽と距離が近づいても、

話しかけようとするのみで応戦しようとしないので、

斬り捨てられるという余りにもお間抜けな逸話は、

明代嘉靖帝時代に書かれた「嘉靖本」という、

「演義」の派生本の更に注釈での話です。

「演義」に輪を掛けて、民間の噂話を集めた「蜀万歳本」です。



顔良は、袁紹軍の代表的な勇将で、あの孔融が勇将と評価した部将です。

剣も構えず、正体不明の明らかに敵方の部将が、

眼前に迫るまで、ボ~と立ち尽くしていたとは思えず、

それでは乱世を生き抜く力はありません。



関羽に討ち取られたのは事実でしょうが、

そのやられ方は明らかに酷い扱いです。

ただ、事実としては受け入れなければなりませんから、

関羽と一騎打ちしたら、二、三十合剣を交えた後、

切り捨てられるか、逃走するかだと思います。



文醜は、顔良と兄弟同然の仲とは言われ、義兄弟とされますが、

兄弟であるとの記録は「正史」にもありません。



「正史」では、文醜は、騎兵部隊を率いたことになっていますが、

曹操は延津で手薄になった文醜の部隊に攻撃を仕掛け、

文醜は混乱の中で戦死しました。



「演義」では顔良が討ち取られると、仇を討つために劉備と共に出陣し、

史実同様に輜重隊の罠にかかり敗走します。

追撃してきた曹操配下の張遼を弓で射落とし、

さらに徐晃をも退けるなど、名前に負けない活躍を見せます。

関羽には打ち負けて、

逃げようとする所を追いつかれて背後から斬殺されてしまいます。



これも「演義」お得意の関羽の過剰な持ち上げで、

額面どおり受け取れないと思います。



「正史」の通りだとして、名だたる勇将が、

混戦に巻き込まれ、乱戦で討ち取られる程度の部将だとすれば、

やはり、関羽クラスには適わなかったのではないでしょうか。

三国志大戦 デッキ診断 診断お願いします。 Rテンイ 鬼神関羽 シバショウ Rカクカ 軍師...

三国志大戦 デッキ診断







診断お願いします。

Rテンイ

鬼神関羽

シバショウ

Rカクカ

軍師ヨウコ、ジュンユウ




刹那計略で神算の士気9を維持し、場合によって鬼神コウリンを使うという戦法です。



何かデッキやプレイングのアドバイスを頂けたら嬉しいです。



ちなみに、現在9品で、このデッキはまだ未使用です。







う~んまず神算鬼某をメインに据え置こうと思うのはかなりきついのではないでしょうか・・・・

たしかに範囲は広いし、決まればかなり有利になるかもしれませんがやはり士気9というのはかなり重いです。

それに有利になるといっても仮に士気6や士気5の計略を反計したとして、帰ってくる士気は6か5。3か4は消費してる計算になります

それなら自分はスペックや軽い士気から反計できるRジュンイクやリュウヨウを使いますね。

でも質問者様は神算鬼某を使用したいようなので私なりにですが診断させていただきますm(_ _)m

まず最初に開幕や士気6~8あたりの相手の攻めをどう対処するかです

開幕は柵や伏兵をうまく使ってしのぐとして問題は次です

相手が馬鹿ではない限りたいていの人は士気6あたりでせめてくるはずです

神算鬼某がうてませんからね。

相手の士気6の号令や超絶強化を士気3の刹那だけで守ろうとするのはスキルがないとできません

また鬼神を撃つにも部隊差がないと意味がないです。鬼神が撃てるということはそのぶんピンチであるということです

さて、以上のことを考えるとやはりちゃんとしたまともな号令と鬼神のようにタイミングを選ばない単体強化がほしいですね

そこで自分はSR曹繰とSR張コウ(疾風怒濤)orUC徐晃の投入をオススメします

曹繰はまず安定度抜群の号令持ちですし、スペックも悪くないです。

張コウは士気5の効果時間18、5Cほどの超絶強化持ちです。効果の内容は武力+3で突撃オーラをまとって相手に突撃するたびに突撃の威力があがると言うものです。効果時間がながいので士気があふれそうな時にも使えますし、ある程度長いので神算鬼某の分の士気も効果がきれる頃には貯まっているでしょう

UC徐晃はなんといっても安定の神速戦法を持っています。超絶強化より爆発力は少ないですが士気4ではかなり強い部類の計略でしょう。

このうちの2枚の投入を考えると

SR曹繰、SR張コウorUC徐晃 R司馬昭 Rホウ徳はいかがでしょうか?

騎馬単なので扱いは難しいし、攻城力は落ちますが、かなりバランスはいいと思います。攻城力もRホウ徳の特効戦法を使えばある程度カバーできると思います。

長々と長文失礼しました。自分の診断が参考になれば幸いです。

9品ということですので当面の目標は大尉かと思われます。がんばってくださいm(_ _)m








馬の扱いに気をつけるとかなり強そうですね関羽の撤退が鍵です

テンイを安易に城門深く行かなければいいと思います(白銀等の対策)

後は神算鬼某を頑張って下さい



ちなみに私は証2です

三国志で 関羽の子、関興と 義兄弟になった 張飛の子の名前って何ですか

三国志で

関羽の子、関興と

義兄弟になった

張飛の子の名前って何ですか







張苞ですね。



以下ウィキより抜粋です。



小説『三国志演義』では、父の張飛の形見の蛇矛を得物に張飛に劣らぬ勇将として描かれる。劉備の呉討伐(夷陵の戦い)の際には関羽の息子である関興と先陣を争い、これと戦って先陣を決めようとしたが互角であった。そこで劉備のとりなしによって自分を兄、関興を弟とする義兄弟の契りを結んで奮戦する。呉敗退時に呉から護送された父の敵の張達・范彊を自らの手で処刑した。



その後も関興とのコンビで活躍を続け諸葛亮の北伐にも参加。229年の北伐の際に誤って谷へ転落し、その怪我が元で死んだとなっている。



三国志に出てくる武器

三国志に出てくる武器

三国志に登場する武器ってどんな感じの武器だったのですか?例えば関羽の青流円月刀や呂布の方天過激等はあの時代に実際に製造されてたのでしょうか?







回答の前に訂正しておきますね。

青流円月刀→青龍偃月刀

方天過激→方天画戟

ですよ(^_^;



武器としては青龍偃月刀は青龍刀、方天画戟は戟という種類になります。

青龍刀は日本の薙刀(なぎなた)のような形状で、刃の部分が肉厚で幅広く、馬上から振り下ろして敵を叩き斬るのに適した形状をしていました。戟は槍に似た武器で、穂先が複雑な形状をしており突く、払う、撫で斬る、敵の武器を絡めて折ったり奪ったりと色んな使い方ができました。



質問者さんのおっしゃる『三国志』は明の時代(三國時代の約1000年後)に書かれた小説『三国志演義』のことです。明の時代には青龍刀も戟もメジャーな武器で、誰でも形状や威力を知っていました。ですので読者には関羽や呂布が使っていると聞いてもイメージがすぐ沸きました。

ですが実際の三國時代にはまだそれらの武器はありませんでした。三國時代は中国にとってもまだ古代に属する時代ですから、そんな複雑な用途や形状の武器はなかったのです。



同様に、張飛が使ったとされる蛇矛も、矛自体は三國時代にもありましたが、蛇矛のような蛇行した形状の両刃の矛はありませんでした。

袁術配下の紀霊が使ったとされる三尖刀、曹操が董卓を暗殺しようとして持って行った七星の剣、曹操配下の徐晃が愛用した大斧、同じく曹操配下の王双が愛用した流星錘なども、後世に作られた武器で三國時代にはありません。



一方、『三国志演義』に登場していて三國時代からあった武器と言えば、代表格は諸葛亮が改良した連弩です。今で言うボウガンのような形状で、矢を装填して引き金を引いて発射するものを弩と言い、諸葛亮はそれを改良して、一度に10本程度発射できるようにしたそうです。





その他の武器








関羽の使っていたとされる青龍円月刀は宋代の武器、呂布の方天画戟も同じく宋代の武器です。張飛が使っていたとされる蛇矛に至っては明代の武器です。当然いずれの武器も正史には登場しません。

三国志演義は歴史書ではないので(三国志正史を元にした小説)フィクションというか適当な捏造がふんだんに盛り込まれています。話としては面白いですが、実際の歴史とは切り離して考えた方が良いでしょう。

三国志・・・どの作家がよい?

三国志・・・どの作家がよい?

年末年始に「三国志」に挑戦しようと思います。

ですが、いろいろな種類があって、どれを読んだらよいかわかりません。

お勧めの作家などがありましたら教えてください。







断然、北方謙三の「三国志」をお勧めします。

第一巻の一ページ目から始まる、大平原を疾駆する騎馬同士の戦いにおける、劉備と関羽・張飛の出会いから、大きく動く歴史の中を現れては消えていく様々な登場人物たちが、読む者を決して飽きさせません。

全13巻ありますが、読書家ではない方にも読みやすい文体で書かれていると思います。ぜひ気長に挑戦してください。








吉川英治と陳舜臣の三国志と横山光輝の漫画しか読んでませんが吉川英治がオススメです。

今まで読んだ歴史小説ではNO1です。何度でも読めます。孔明死後の事を書いてないのが残念ですが。







三国志が「天から己れの死場所を与えられた幸福な男達の話」

だと教えてくれたのは、劇画「蒼天航路」でした。







吉川英治の三国志と云いたいのですが、お正月休み位では読めないと思います。横山光輝の漫画「三国志」なら読めると思います。文章であれば想像力が無いと雰囲気が分かりませんが、これなら見ているだけで状況が手に取るように分かります。まずは、これから三国志の世界の扉を開いてください!







まず、吉川英治を読んでからだと思います。

それからは順不同ですが、陳舜臣・柴田錬三郎・北方謙三ですかね。







自分がぱっと見て良いと思ったものでいいでしょう。

「オレは三国志に詳しい」って豪語する人が多いですが、孔明死後や黄巾の乱以前の...

「オレは三国志に詳しい」って豪語する人が多いですが、孔明死後や黄巾の乱以前の話になると急に口ごもりますね。

だから私はあまり自慢しません。

魏呉蜀だけ語れるようでは本当に三国志マニアとか言えますか?







孔明死後は、三国志マニアを語るうえではかかせないと思います。

羊コと陸抗の逸話や、司馬イの公孫淵討伐など・・・。



三国志演義っていうのは、劉備が関羽、張飛と出会い黄巾討伐で名をあげてそして天下へ・・・。って流れですから別に黄巾の乱の経緯なんかは知らなくてもいいと思います。



で・す・が!!

三国志を知ろうと思ってるとやっぱりその前後である、前・後漢と晋の国情は知らないとわからない部分がでてくるわけです。



たとえばよく三国志冒頭に「宦官と外戚の権力争いにより、国は乱れた。」というフレーズがでてきます。

しかし、宦官などになじみのない日本人にとっては「宦官って何?」とか、「外戚って何?」など疑問がでてきます。

権力争いで何故、張角という男の宗教集団が台頭してきたのか?その背景には儒教がからんでいたとか・・・。



数えるとキリがないですね。それを調べずに三国志に詳しいと僕はいえるとは思いません。



三国志っていうのは中国の歴史の一部を抜き取ってそれを題材にした小説です。

その時代はとても中途半端な位置であって、途中から入っても完全に理解することはできないと思います。

自分は三国志が好きで疑問に思ったことを徹底的に調べていって、気づいたら中国史に興味を持ち、大学の進学先を歴史関係に決めてしまっていました。



自分の場合はとても極端な話なのですが、もしも、三国志マニアを自称するなら黄巾の乱の経緯、孔明死後、晋の統一までは網羅してほしいと思います。








自分も三国志は本に穴があくほど読みましたが、正史は齧った程度なので大したことはありませんね。

マニアと名乗るなら歴史背景、主要人物の知られる限りの没年、大小の事件の転結くらいは把握しておくべきかと。

どうせなら三国志マニアと言わずに中国史マニアくらい範囲を広げたいところですが・・・。







俺は三国志に詳しい!

留賛も楊奉も知ってるぜ!諸葛亮の死後?俺の大好きな時代だ!だから詳しいぜ!

黄巾の乱以前の話なんて、三国志の範囲に入ってないぜ♪

以上。控えめではなく、ナルシストな俺の意見でした。







今、三国志に詳しいと言うのであれば、「正史三国志」にもそれなりに詳しくないと言えないでしょう。「正史三国志」が翻訳され普及してからは、そちらの方にも興味が移っている人がいますからね(まあ、それでも多いとは言えないでしょうが・・・)。そこまで興味を示して初めて「詳しいと言える」土台が出来上がるものだと思います。





他の回答者さんに、「日本人が『三国志』と言ったら『三国志演義』の事で云々・・・」と言う話が出ていますが、質問者の方は「詳しいと豪語する人」と挙げています。ここでその回答は筋違いです。そういう人は「三国志が好き」「三国志を知っている」という人です。「詳しいと豪語」するレベルの人ではありません。「好きと豪語」するのは可能ですが。



まあ、「詳しいと豪語」する人の中には『三国志演義』だけで話をする人もいます。なかでも、吉川英治『三国志』・横山光輝『三国志』で知識の基礎ができている人は、質問者さんの言う「孔明死後や黄巾の乱以前の話」はあまり詳しくないと言えるでしょう。

でも、詳しいとか豪語するのって大体中学生か高校生ぐらいでしょう(それで本当に詳しいのはごく少数なのでしょう)。視野が狭いというか世の中を知らないというか。大人になるとあまりそういうことは公言しないと思います。



kanu208さんの言うように前後の時代も知らないと詳しいとは言えないでしょう。

「党錮の禁」やら「正始の政変」などの時代の動きを少しは知らないと詳しいとまでは言えないでしょう。

あと所謂マイナー武将(こういう言い方は好きではない)に詳しいことをもって「三国志」に詳しいというのはおかしいと感じます。





hamsk1979さん



>個人的には三国志以外の時代も知ってほしいのですが…

>ここのカテも「中国史」にも関らず9割が三国志なんですよねぇ。



それはそう思います。「三国志」以外時代の話があってもいいとは思います。



>三国志なんかよりも面白い時代はたくさんあるのに勿体無いですよねぇ。



ここは少しおかしいです。「三国志なんかよりも面白い」かどうかは人それぞれの感じ方次第です。

言うのであれば「三国志以外にも面白い時代はあるのに」とするべきでしょう。

三国時代以外の歴史も知った上で「三国志」が面白いと感じた人もいるのですから。



これでハッキリしているのは、



①日本人に一番影響のある(興味・人気)中国の歴史は「三国志」であると言うこと。

②日本人の大抵は「三国志=三国志演義」であると言うこと。←「大抵」を見逃さないこと。



と言うところでしょうか。



まあ、「三国志」の話をするとき大抵は「演義」の話になりますし、話の中心は「黄巾の乱から諸葛亮の死」までで済みますから、そこのなかでどれだけ知っているかに重きを置いてしまうのでしょうね。

大学で史学科に行きそれではバカにされるでしょうが。そんなもんだと思うので「言いたい奴には言わせておけ」ってところです。







個人的には三国志以外の時代も知ってほしいのですが…

ここのカテも「中国史」にも関らず9割が三国志なんですよねぇ。

三国志なんかよりも面白い時代はたくさんあるのに勿体無いですよねぇ。



補足への回答

留賛のがマイナーでは?

楊奉は献帝争奪戦で目立ってますし、何よりあの徐晃も配下にいましたから







他の回答者様も仰っていますが、

普通、日本では「三国志マニア」と言えば物語である

「三国志演義マニア」の事を指します。

三国志演義は劉備たちの出会いから、諸葛亮が死ぬまでのお話ですので、それ以外を知らなくても何の問題も無いと思います。



ただ通ぶって「三国志時代のマニア」とか言い始めると

「えせマニア」という事にたちまちなってしまいますが・・・



その人が何を持って三国志と言っているのか?

それを聞いた人が何と三国志を捉えるのか?によります。







単に一般の人が知らない事を並べ立てて、「どうだ?」と言えばマニアですよ。

マイナー武将の名前を挙げるとかですね。



きちんと前後の流れを説明できれば、詳しい人、識者と言う評価になると思います。







三國志の留賛って強かったんだということがわかればマニアです。誰それ?とかいわれそうだけど。







日本で三国志といえば三国志演義のことだからその辺に詳しければ十分じゃないですか?

そもそも黄巾の乱は時代区分で言えば三国時代ではなく後漢末期ですし、それ以前となると末期とも呼べません。せいぜい後漢後期です。正確に三国時代というのは曹丕が帝位にのぼり、劉備の蜀、孫権の呉が鼎立してから晋が呉を滅ぼすまでの西暦220~280を指しますが、三国時代になる前に曹操は死に、223年には劉備が死んでいます。

三国志演義の主人公は前半が劉備、後半が孔明ですからそもそも三国志は半分が(しかも面白い方の)三国時代の話ではありません。それ以上前後に広げてもあまり意味が無いように思えますが・・・

もちろん知識として黄巾の乱に至る経緯としての後漢の歴史や、司馬氏の晋のことを知ることも楽しいとは思いますが、戦国時代の話に室町時代や江戸時代の知識をひけらかすようなものなのでそこまで知らなくても別にいいんじゃないの?と私は思います。

三国志・関羽の青龍偃月刀

三国志・関羽の青龍偃月刀

三国志の英雄・関羽の青龍偃月刀は重さ82斤とありますが、現在の重さに直すといくらくらいになるのでしょうか。







度量衡は時代によって変化しています。

後漢時代の度量衡では、1斤=222.4gです。

従って関羽が使用したといわれる青龍偃月刀の

重量82斤は、約18.24kgということになります。

(青龍偃月刀の出現は宋代からという説あり)



ちなみに日本の長巻だと重量はせいぜい5~6kg程度。

大太刀でも10kgを超えるものは奉納用以外ほとんど見られず、

重量18kgは個人の近接戦闘用武器としては常識を超えた

重さと言えます。








約18kgだといわれていますね。一斤=0.22kgです。

三国時代には偃月刀 や蛇矛は無かったようですね。宋代、明代に出来たとか聞きました。ヤボですいません。

三国志は日本でも有名ですが、中国でも同じ様に認識されているんですか?

三国志は日本でも有名ですが、中国でも同じ様に認識されているんですか?







西遊記や水滸伝の方が本場中国では人気が高いようですが

最近はそれらに匹敵するほど、中国メディアの押し上げもあると

思いますよ。

レッドクリフに影響を受けたのか、再び中国中央電視台(日本のNHKのようなTV局)が

三国演義を忠実に描く事を目的とした「三国」というドラマを国家プロジェクト規模で作り始めました。



有名な桃園結義、三顧の礼なども中国では

誰でも知ってるような有名な故事です。



また、三国演義は通俗小説の域を超えているとも言われており

明、清代では兵法書としても読まれており、実際に李自成、洪秀全らは

兵法の参考としていたといわれています。



毛沢東も三国演義を非常に愛好しており

「人民は阿斗(劉禅の幼名=愚者の例え)になってはならない」と言っていたと

伝えられています。



更に三国志に登場する関羽を神格化した文化は中国で既に1000年以上の

歴史を持ち、今では中国の有名な都市にはどこへ言っても関帝廟があるほどで

現在でも正月や生誕日には壮大な祭りが行なわれています。

更に「世界関公文化」なるものまで発足し、その人気は更に上昇している模様です。

三国志で最強なのは、誰だと思いますか

三国志で最強なのは、誰だと思いますか







強いといってもいろいろな意味があると思うのですが、

1.武器で戦って強い・・呂布。馬術、戟、弓矢の腕前等

武術が総合的に強い。

2.腕力が強い・・・・・・許褚。片手で牛の尾を引っ張って、

百歩余りも連れてきた。

エピソード等。曹操の用心棒

3.軍を率いて強い・・・・曹操。青州兵との戦い、

官渡の戦いになど

総大将なのに果敢に

戦っている。

何度も敗れているが

生き残っている。

4.謀略、策略に強い・・司馬懿。最終的に一族が勝者に

なっている。

異論あると思います。関羽、張飛、諸葛亮、荀彧、周愉など

入れたい武将はたくさんあります。なにせ登場人物が多い話

なので、自分なりにあるいは仲間内でああでもないこうでもない

と話すのが三国志の楽しみ方だと思います。








武については吕布です。

二位は趙雲です。

三位は張飛です。

文についてはやっぱり孔明だよね。







なんとなく曹操(実力+運)







孔明。

どんな強くても一人じゃ何もできないですよ。

戦国に生まれたらやっぱ兵法でしょ!!!!!







武では呂布ですね。

軍師としてでは諸葛亮ですね。







呂布!!!!━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!







ずばり典偉!!!

早死にしてなければ。。







やっぱり関羽と思います。。。







呂布ですね。

三国志演義のイメージを引きずっていると思われるかも知れませんが、抜群の強さを持った武将ですよね。

劉備、関羽、張飛を同時に相手にした一騎討ちは、史実ではないとはいえ、呂布の強さを雄弁に物語っていますね。



軍を率いて最強というなら、関羽、司馬懿の両名ですかね。

関羽の武勇というのは後世まで響いておりますし、司馬懿の速攻の鮮やかさというのは、公孫淵や孟達の件でも特筆すべきでしょう。



全体的な眼でみれば、曹操ですよね。いくつかのツマヅキはあったにしても、群雄割拠の時代にあって、最終的に勝利をおさめたあたり、まさに「三国志で最強」といえるではないでしょうか。



以上、「三国志で最強」として、呂布、関羽、司馬懿、曹操の4名を挙げますが、どうしても1名に絞れといわれれば、曹操を挙げます。



(もっと行き着けば、史実はともかくとして、後世、名軍師としての名をほしいままにした諸葛亮になるのかな。)







劉禅…これは最凶か…



やはり、個の武としては呂布じゃないですかね。







う---ん美髭公・・・かな。

三国志の本を4巻まで読みましたが、いまだに誰が誰なのかよくわかりません。2文...

三国志の本を4巻まで読みましたが、いまだに誰が誰なのかよくわかりません。2文字の漢字の組み合わせに翻弄される日々です。あと4巻もあるのに理解できないまま読みおえそうです。どうしましょうか?

劉備、孔明、関羽、張飛だけ判ります。







吉川英治さんの「三国志」をお読みなら、

あと4巻残っていますよね。

「劉備」、「諸葛亮」、「関羽」、「張飛」はお判りなら、



あと、魏の「曹操」とこれから登場する「司馬懿」、

呉の「孫権」、4巻ということは赤壁の真っ最中でしょうから「周瑜」

この4人を憶えておけば、取りあえず読みきれます。



残りの登場人物は、

「蜀」陣営か「魏」陣営、「呉」陣営のいずれかに属していますので、

どこに所属しているのかだけ解かれば問題ありません。

それは、読んでいると前後の脈略からお判りになると思います。



吉川さんの「三国志」は、日本の三国志小説のスタンダードです。

最も読みやすく、入門書としては最適です。

夢中で読まれているとのことですので、

物語の面白さを、まず解かって頂く為に、

一度読破されてから、

上記の8人以外の判別に移られるので遅くないと思います。



ちなみに、

「三国志」の基になった「正史三国志」には、

単独で伝を立てられている(つまり、主役.準主役級)人物は、

魏書228人.蜀書83人.呉書129人.計;440人

1度でも名前の出てくる(脇役級)の人数:4894人もいます。



小説はいくらか端折っているでしょうが、7割としても3500人。

これでは読みながら憶えるのは不可能ですね。



現在レッドクリフ特需で、

三国志関連のビジュアル本がごろごろ出ていますので、

一旦読み終えてから、

各武将のプロフィールを読んで、ビジュアルで顔を確認して、

(ただし、あくまで想像上の肖像画であって、みんな男前に描かれ過ぎですが・・。)

さらに興味をもたれたなら、

その後、他の作家さんの書かれている三国志を

もう一度読まれることをお勧めします。



陳舜臣さんの「秘本三国志」を推薦します。今、新訂本がでてます。








まぁ、大体は下の人が言ってるとおりなんだけど



ごくごく稀に同姓同名がいるからなぁ

「馬忠」とか「張温」とかw







その気持ちよく分かります! 一人に名前と字と2つ呼び方があるので、ややこしいですよね~



私はそんな時、登場人物の中の一人を勝手に主人公にして読んでいきます! 劉備でもいいし、周瑜でもいいし。

その方が感情移入しやすいし、周りの人物の名前も自然に覚えられますよ☆











面倒でももう一度初めから読み直しましょう。

わたしも昔他の歴史小説でそういうことがありました。最初に戻ったら今度は理解できて、今では思い出の名作です。







なんの本読んでるんですか?

吉川英治を始めて読んだ時は夢中で読みましたけどね。

本屋にイラスト入りの三国志のガイドブックがあるんで合せ読みしたらどうですか?

絵で人物覚えるから忘れにくいですよ。







三国志の本とやらがなんなのかわかりませんが、最初から読み直して、名前のメモでも取って人間関係を整理しながら読んだ方が良いと思います。



それが嫌なら、たまたま不向きだったという事で読むのを止めた方がいいでしょう。







小説はやめにして、漫画で読み直しましょう!

三国志大戦3のデッキ診断をお願いします。 SR関羽 忠義 Rギエン 寡兵 R趙雲 ...

三国志大戦3のデッキ診断をお願いします。



SR関羽 忠義

Rギエン 寡兵

R趙雲 槍

夏侯月姫

軍師 孔明



R徐庶、関銀ショウも考えてます。




寡兵中心に闘いたいのですが…。





漢字を忘れたり見にくいところがあると思いますが宜しくお願いします。







挙げてるデッキだと

ある程度爆発力ある計略は寡兵しかないのに

裏の計略が乏しい



挑発槍は勿論そこそこの頻度で当たるし

ダメ系も赤壁は減ったとは言え

Rジョショ等の使用率はまだまだ高いので

寡兵だけを軸に戦うのは無謀



今は大体なんらかの超武力や爆発力ある計略を

大概デッキに1個は積んでるだろうし

忠義の素武力10もそこまで脅威ではないし、

相手からすれば寡兵にさえ注意払ってりゃ

後はなんとでもなりそうな印象



寡兵→忠義のコンボにしても

今の忠義の回復量考えると

寡兵→忠義後に長々と戦場に居座れるかは微妙

「三国志」に登場する男性の殆どに"字"がありますが関羽の息子・関平の字を目にし...

「三国志」に登場する男性の殆どに"字"がありますが関羽の息子・関平の字を目にした記憶がありません。ウィキペディアで調べた所「民間伝承では坦之」とありましたが、日本語で読むと何と読むのでしょうか?







「坦之=たんし」ですね。

三国志大戦3のデッキ診断お願いします。c夏候月姫uc関羽r趙雲uc夏候淵 軍師c陳...

三国志大戦3のデッキ診断お願いします。c夏候月姫uc関羽r趙雲uc夏候淵 軍師c陳羣です。ちなみに初心者で、スターターパックを少し改良しただけです。また、変えた方がいいカードがあればお願いします。







厳しいようですが、これはデッキではなくカードの寄せ集めと言わざるを得ません。

極端な話、蜀なら夏侯月姫、魏なら陳羣以外入れる必要性のあるカードはありません。



まずはカードを集めることです。

リサイクルボックスがあるなら活用、ないならネットオークション、それも出来ない環境なら英傑伝でとりあえず数十枚はカードを集めてください。



蜀なら、

SR劉備(劉備の大徳)はほぼ必須、後は

2コスト騎馬…R馬超>R関興>SR魏延>R趙雲

2コスト槍…R張苞>R魏延(大車輪)>SR趙雲(剛槍)>UC張飛

1コスト騎馬…UC張姫>Cリョウ化

1コスト槍…UC周倉>R関銀屏>旧UC姜維(羅憲は12/24以降評価が大幅に変わる可能性があるので割愛)

軍師…C法正orC麋竺>R姜維>Rホウ統

この順番でカードを集めてください。



確かに初期投資はかかりますが、上記のカードをSR趙雲以外全てヤフオクで購入するとして2000円あれば集まるでしょう。

この初期投資を惜しんで負けるということは良くあることなので、決して惜しまないでください。

もちろん、排出カードだけで楽しみたいというならそれはそれでも構いませんが、勝ちから離れる行為であることは認識してください。



魏は騎兵中心で初心者には難しい勢力なのでまずは蜀辺りから集めてゲームに慣れてから使うかどうか決めてください。

蜀で2枚の騎馬が突撃も出来ず、迎撃されまくりなら自殺行為になるので止めたほうが賢明です。



上記のカードを集めるか、また何十枚かカードを手に入れて、実際にプレイをしてからまた質問したほうがより的確な回答がもらえるでしょう。

三国志で、趙雲が阿斗の救出に失敗したらショクの後継者はどうなったと思いますか?や...

三国志で、趙雲が阿斗の救出に失敗したらショクの後継者はどうなったと思いますか?やっぱり孔明ですかね







三国志演技での予想だと、後継者を殺された事によって曹操への憎しみが増し、赤壁で関羽も曹操を見逃す事も無く、その後曹操の死によって魏は分裂、孔明の指揮で蜀が統一したと思います。

後継者は、漢の血が流れている人物でしょう。








諸葛亮かもしれませんね。

劉備に蜀を託された人物ですからね。







劉備の他の子供になります。



孔明が後継者になる可能性は、蜀(漢)帝国の建国が漢帝国の再興を大義名分にしているのでありえません。







蜀の成り立ちを考えてください。



漢の天下を簒奪される事に対し、不当だと訴えて蜀が成立します。

つまり劉氏以外が皇帝になる事を認めない人達の集まりが、蜀です。



そこの皇帝が諸葛氏ということには・・・



諸葛亮が後継者になると答える事自体がナンセンスだと思います。

このこと(劉氏以外の皇帝)を行えば、蜀が成立する意義をなくします。



蜀としては、何が何でも劉氏の後継者を擁立したと思われます。







劉備は他にも子供をつくりましたよ。

バカ殿劉禅よりも、弟の劉永か劉理の方が余程マシだったかも知れませんね。

劉理は比較的早くに死去しましたが、劉永は黄皓と対立していましたので、それらの讒言を入れる事もなかったはずです。

後は姜維が自重してくれれば…。

趙雲には気の毒ですが、彼の行いは結果的に蜀漢の命脈を縮める結果となったのです。







劉備の子、劉永・字は公寿、劉理・字は奉孝がおります。

劉氏の子を差し置いて孔明が君主になることなどありえません。

ましてや他の臣下をやです。

三国志の小説で一番長くて原本のまま訳している物ってありますか?自分がまだ学生...

三国志の小説で一番長くて原本のまま訳している物ってありますか?自分がまだ学生なので、できれば現代語に近い物が良いのですが・・・ 早い回答お待ちしております。

ちなみに、関係ありませんが自分の好きな人物は「関羽」です。回答者の方々の好きな人物も教えてもらえますか?







おおっと、トップバッターに第三書館の『大活字版 ザ・三国志』が出ましたか。

2500円と高額でかなり大きな本ですが、一冊にまとまっているのはひとつの利点でしょうね。



三国志の小説の原本のままの訳、という事になると、普通は『三国志演義』の完訳本って事になると思います。先の回答者さんの挙げられた第三書館版も完訳ですし、他にもちくま文庫(筑摩書房)、徳間文庫(徳間書店)、岩波文庫(岩波書店)などから出版されています。

いずれも小説家ではなく、中国文学の文学者や研究者の方々の訳ですので信頼性も高く安心して読めると思いますし、質問者さんのお好きなものをお読みになるとよいと思います。



…で、好きな人物ですか?基本的には善人も悪役も雑魚キャラもチョイ役もみんな好きなんですが…(笑)。

まあ1人挙げるなら魯粛でしょうか。って、この答えも毎回気分で変わりますけどね(笑)。








「三国志の小説」ということは演義のことですよね。

それでしたら、第三書館の「ザ三国志」はいかがでしょうか?

村上知行さんの完訳本です。

他の三国志に比べて、会話が普通(くだけていて、重みがない?)ですが、おそらくその方が原語の感じが出ているのでしょう?

Amazonでも買えるようです。

ちなみに、第三書館には「水滸伝」もあります。

こちらもお勧めです。



ご質問の好みの人物は、ウーーーーーン、多すぎて難しいですが、曹操ということにしておきます。

三国志が好きな人の中に、張飛ファンが少ない(いない)のはなぜですか?

三国志が好きな人の中に、張飛ファンが少ない(いない)のはなぜですか?







三国志のサイトいくと 結構人気あるよ。

呂布や張飛みたいな 武力一筋に秀でたタイプは。

五虎将軍で人気投票したら

趙雲≧関羽>馬超>張飛>黄忠

になるんでないかな

やっぱ 下位か・・・w

理由はビジュアルのせいでしょう。

趙雲 馬超はイケメン扱いだし

関羽も 侠の漢 って風貌だけど、

張飛は間違いなく 筋肉質な関取ってなタイプだもん

腐女子人気が皆無なのは しゃーないか と。

俺は 好きなんだけどなー







調べてみたら 人気高いわ!

総合で11位だもん

腐女子人気も 高い 高い。

失礼しましたっ!!

http://www.ne.jp/asahi/inu/kichi/sangokusi/kekka.htm   http://www7.big.or.jp/~sosan/vote/tvote.cgi?event=san1&show=all








『三国演義』では、劉備の聖人ぶりをアピールするために、粗暴な役回りを張飛に押しつけている部分が多い。たとえば、劉備が県尉と言う低い役職が不満で督郵を鞭打ったことがあるが、演義では、聖人君子である劉備像を壊さない為に張飛がしたことにされている。



そのためか、蜀武将人気ランキング順は

1・劉備 2・関羽 3・趙雲 4・諸葛亮となっており張飛は外れてしまっている場合が多々ある。





また、張飛は曹操軍の程昱らに一万の兵に匹敵すると評価された。しかし、位の高い士大夫に対しては紳士的にふるまったものの、位の低い者、部下などに対しては傲慢に振る舞う事が多く、それでいて兵士を側に仕えさせていたため、劉備に常々注意されていたが、改めなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E9%A3%9B







張飛がいなくても、それなりに三国志の話は続くと思うし、居ないほうが、劉備の苦労も少なかったと思われるからじゃないかなぁ。







やはり劉備や関羽がいいところをもっていってるのでしょう。たしかに張飛もすきですが知略に欠けますし。

しかしながら漢としての魅力はありますね。張飛も好きですよ。







猪武者より知謀の軍司。

話作るでもそっちの方がおもしろい。

だって、一度に一人で何千人斬ったとか、いくら何でも嘘っぽいもん。

第一、酔っぱらって寝てるすきに部下に暗殺されるなど、いくら何でも情けなさ過ぎる。







某戦で劉備と関羽がいなくて、張飛が留守をしている時に呂布に城を奪われたからとか??それとか、殺され方があっけなかったとかじゃないの??義兄弟の中で一番あっけない死に方だしね~。僕はまだ張飛は好きですよ~。

三国志演義の「諸葛孔明の智略」の訳を教えてください! お願いしますm(_ _)m

三国志演義の「諸葛孔明の智略」の訳を教えてください!

お願いしますm(_ _)m







三国志演義120回本には、

「諸葛亮の智」と表題のついた回は、3回あります。

長文なので概略でご勘弁ください。



【第五十回/諸葛亮智をもって華容に算り関雲長義によって曹操を釈つ】



張遼は黃蓋を矢で射落とし、曹操を助けて岸に上がった。

黃蓋は韓当の船に助けられた。

甘寧は蔡中に曹操の陣中深く案内させると、彼を斬り殺した。

そして火をかけて陣を焼き払った。

曹操はこの火の海を百余騎で落ち延びた。

火の海を出ると呂蒙や凌統に待ち伏せされるも、

張遼と徐晃に食い止めさせて難を逃れた。

山を背に陣を布いていた馬延、張顗と落ち合い、

彼らに警護させてさらに兵を退いた。

前から甘寧に襲われ、馬延と張顗は討ち取られた。



曹操は張郃とも合流し、ふと立ち止まると笑って、

「周瑜も諸葛亮も謀を知らぬ男よ。

わしならこの場所に兵を伏せておくわ。」

と言った。

とたんに趙雲の軍勢が現れ、徐晃と張郃に趙雲に当たらせ落ち延びた。



豪雨になり、兵馬ともに疲れはててきたので休息をとったが、

曹操は笑って、

「やはり周瑜も諸葛亮も謀を知らぬ男よ。

わしならこの場所に兵を伏せて疲れた兵を襲うわ。」

と言った。

とたんに張飛の軍勢が現れ、

許褚、張遼、徐晃を当たらせて落ち延びていった。



張飛を振り切って死にものぐるいで馬を走らせるが、

途中で立ち止まって曹操は笑って、

「やはり周瑜も諸葛亮も謀を知らぬ男よ。

わしならこの場所に兵を伏せて疲れた兵を襲うわ。」

と言った。

とたんに関羽の軍勢が現れ、

疲れ切った兵馬では役に立たず、曹操は覚悟を決めた。



程昱が、

「関羽は義に厚い将でございます。

以前に丞相には恩を受けております故、この場は説得して難を逃れましょう。」

と進言した。

関羽は曹操と話すうちに以前の恩義を思い兵を退かせて曹操を通した。

後を追ってきた張遼も旧知の情から通してしまった。



曹操が難を逃れて時は27騎しか残っていなかった。

南郡に近づいたとき曹仁に迎えられた。

曹操は

「郭嘉が生きておれば無様な負けはしなかったものを。」

と泣いた。

曹操は荊州を曹仁に任せて許都に戻った。



関羽は曹操を見逃した後軍勢を率いて戻ってきたが、

誰も捕らえられずに戻ってきたので、酒を注がれても黙って座っていた。

諸葛亮が、

「将軍をお出迎えせなんだことをご不満か。」

と言った。

関羽は、

「それがしお詫びのため死を覚悟して参った。」

諸葛亮が、

「曹操は華容道に来なかったのですか。」

「いや来ましたが、それがしが仕損じました。」

「すると昔の恩義で見逃したのですな。

誓紙がある以上、処分は免れませぬぞ。」

と言うなり、首を打てと命じた。



さて、関羽の命はいかに。それは次回で。



【第五十二回/諸葛亮智をもって魯粛を辞け趙子竜計をもって桂陽を取る】

省略。



【第七十二回/諸葛亮智をもって漢中を取り曹阿瞞兵を斜谷に退く】



徐晃は攻撃を仕掛けたが、蜀軍は一向に動かなかったので一時退こうとした。

そこを蜀軍に叩かれ敗走し陣に戻った。

怒って王平に、

「わしの軍勢が危うくなったときなぜ加勢に来なかった。」

「出るとこの陣が取られていたやもしれませぬ。」

徐晃は激怒して殺そうとした。

王平は陣に火を放って蜀に投降した。



徐晃は、この事を曹操に伝えた。

怒った曹操は兵を進め蜀軍を退けた。

そこに諸葛亮の合図が出て、

夜討ちをかけられ陽平関まで落ち延びていった。



陽平関を張飛と魏延が襲ってきたので、

許褚が兵糧護送と張飛を討つと申し出た。

しかし途中で大酒を飲んでしまい、襲われて敗走した。

曹操は自ら兵を率いて出るが大敗し、陽平関を棄てて落ち延びた。

行く手に曹彰が現れて斜谷まで導いた。



曹操は、料理の鶏の肋を見てふと胸につくものを感じた。

触れを伺いに来た夏侯惇に、思わず「鶏肋」を口にしてしまう。

意味の分からない夏侯惇は楊修に聞くと、

「肉を食えないが味わいがあって棄てられぬ。

つまり、進もうと思ってもかなわず退けば笑われる。

ともあれここにいても仕方ないので引き揚げるに越したことはござらぬ。

近々陣払いが出されましょう。」

と答えた。



曹操は、夏侯惇の陣が荷物をまとめているのを見て事情を聞くと、

大いに怒って楊修を打ち首にした。

次の日斜谷から兵を出した。

行く手に魏延が立ちたちはだかり、龐德が激しく打ち合った。

そこに馬超が討ち入った。

曹操は、

「退く者は大将でも斬る。」

と剣を抜いて下知すると、皆が必死に進んだので、魏延はわざと退いた。

曹操は魏延を追ったが、彼の矢を受けて落馬し薙刀で斬られそうになる。

そこに龐德が駆けつけ魏延を追い払った。

曹操は手傷を負って帰陣したが、矢によって門歯が二本欠けていた。

この時、初めて楊修の言葉に思い当たることがあったので、

彼の屍を手厚く葬って陣払いの命を出した。

そこに、斜谷の左右の山上に火が上がり伏勢が追いすがるとの知らせ。



さて、曹操の命は。それは次回で。

三國志関連のおすすめを教えてください!

三國志関連のおすすめを教えてください!

5年ほど前に三國志にはまり有名どころを漁っています。最近は火鳳燎原を集めています。しかしそこから先はだいぶマイナーどころとなって多岐に渡るのでどこから手を出していいか分かりません。

いままで集めたものはどれも良かったです。



正史 三国志

完訳 三国志(角川)

吉川三国志

北方三国志

超三国志(光栄)

横山三国志

蒼天航路

覇-LODE-

アレ国志

STOP劉備くん

火鳳燎原

KOEI三國志(Ⅸ~)

三國無双

レッドクリフ





メディアは問いません。三國志関連のおすすめを教えてください!







「逸話で読む三国志」坂口和澄(徳間文庫)をお勧めします。

正史三国志で、陳寿があえて削除した出来事や、

立場上書けなかったであろうことも記した逸聞集です。

面白いですよ。



酒見賢一さんの『泣き虫弱虫諸葛孔明』(文藝春秋刊)も面白いですよ。

表題とおり、諸葛亮が主人公ですが、

劉備、関羽、張飛、趙雲などの

言動、行動を諸葛亮が半分馬鹿にしながら物語が展開します。

単行本で1巻500ページ。読み応えはありますが、基本脱力系。

2巻刊行中で、まだ続きます。

今後の展開が期待です。








正史な所もありますが、ほぼフィクションの反三国志(周 大荒)などどうでしょうか。

本場の人が書いただけあって溜飲が下がりますよ。

三国志 蜀呉は魏に勝つ方法は

三国志 蜀呉は魏に勝つ方法は

普通に考えればなかったんですか?







呂蒙(呉)が関羽(荊州)ではなく、魏を攻めてれば少しは違った結果になったかもとは思います。

ただ、一時的に押しこむことはできたとしても、魏を滅ぼすのはまず無理かなと。

三国志の戦い見てると守備側が圧倒的に有利(官渡・赤壁・夷陵・潼関・合肥・北伐など有名な戦いはほとんど守備側の勝利)。

攻めた側が勝った時も、苦戦・長期戦していることが多いですし、魏は一気に滅ぼせるような広さではないので、結局は長期戦になり、国力が上の魏がいずれ押し返えして、最終的には魏が勝つ可能性が高いと思います。



それでも、劉備が漢中王になったあたりの蜀全盛期に、蜀呉が連携して魏を攻める。

これなら、少しは可能性があったと思います。



これ以外なら、蜀呉が勝つには、魏が内乱などによって分裂など自滅待ち。

これしかないのではないでしょうか。

でも、曹操や曹ひが死んだ時も後継者争いはおきなかったし、魏から晋になったときも国力は落ちてないので蜀呉が勝つ可能性は結局ないに等しかったのかもしれません。最終的に自滅気味だったのは蜀呉側でしたし・・・。








蜀と呉が同時に魏に攻め込めば勝てたのでは?

陸遜と孔明に太刀打ちできるのは司馬懿だけですから、司馬懿がどちらかを食い止めてる間にもう一方が魏の内部まで攻め込めます。

魏がやばくなってくれば国内で反乱なども起こるでしょうから、魏は分裂するでしょうね。







共同戦線になれば、可能性がゼロでなかったと思う。

三国志で、諸葛孔明を劉備が3度訪ねたことを「三顧の礼」と言いますよね。 先日、...

三国志で、諸葛孔明を劉備が3度訪ねたことを「三顧の礼」と言いますよね。

先日、諸葛孔明が関羽と張飛に認められず、認められるために夏侯惇軍を破ったことを三顧の礼という、と聞いたのですが間違いですよね?







はっきり言います。間違いですよーーーーーーーーーーー。

2012年3月27日火曜日

三国志大戦デッキ診断。

三国志大戦デッキ診断。

今日、SR田豊があたったので、使いたいと思いデッキを考えたので、アドバイスがあれば、よろしくお願いします。

SR田豊

R関羽

R孫堅

UC荀攸

SR曹皇后

RG祭文姫

CG郭図

というでっきです。

アドバイスなどあれば、よろしくお願いします。







開幕が苦手な漢、柵2伏兵1、総武力21…開幕に英傑号令撃たれただけで攻城ゲージ半分以上持っていかれると思います。

後半の爆発力も微妙…一度wikiあたりで各計略の長所と短所を見直したほうがいいでしょう。

三国志大戦3についての質問です。 魏4枚デッキなんですが なにかこうした方がいい...

三国志大戦3についての質問です。

魏4枚デッキなんですが

なにかこうした方がいいなどいろいろとお願いします

SR関羽

Rかく昭

R夏候淵

R郭嘉

軍師司馬懿

です。


まだ2回しかやってませんが、1勝1敗です。

よろしくお願いします。







出来れば、どんなデッキに勝って、どんなデッキに負けたかを書いて頂けたら良かったですが・・・。



頑張ればそのままでもソコソコ勝てる形だとは思います。

ただ、基本的な知力が低く、ダメージ計略にはかなり弱い形です。

特に、カンヌが落ちると厳しいです。



計略は低士気で局地戦を征するタイプが多いので、

相手の足並みを乱して各個撃破していければ安定して勝てるでしょう。

鬼神は防衛時に役立つと思います。

さしあたって苦手なのは、神速デッキや全突デッキでしょうね。

三国志大戦3のデッキ診断お願いしたいと思い,投稿しました。 軍師 法正 SR諸葛...

三国志大戦3のデッキ診断お願いしたいと思い,投稿しました。



軍師 法正

SR諸葛亮

ギのSR関羽

R関興

R張ホウ



又は



軍師 法正

SR劉備

R馬超

R関興


R張ホウ



です。

他にアドバイス等ありましたらよろしくお願いします。







上のデッキに関して。

正直、鬼神カンヌを入れる意味がありません。

その為だけに士気上限-3する意味も無いし、2.5コスト分の属性も損です。

SR趙雲か、今回強化されたSR馬超を入れる方が良いでしょう。

ただ、それでも正直微妙だと思いますが・・・。



下のデッキに関して。

はっきり言ってココで質問しているような腕前では使いこなせないでしょう。

劉備以外の知力が絶望的なので、開幕の伏兵で乙る可能性が高いです。

よしんば凌げても、ダメ計が居たら殆ど対抗する術がありません。

大徳の範囲を活かした立ち回りが出来るなら、ある程度は勝てるでしょうが・・・。



後、軍師は再起目的ならビ竺の方が良いです。

長槍は持続カウントが10カウント前後と、使えた物ではないので、

現実的ではありません。








流行ってるデッキに勝てるデッキ組めば勝てる。

単純なゲーム

三国志最強の将軍ベスト5を挙げてください。

三国志最強の将軍ベスト5を挙げてください。

ちなみに僕は、

1 呂布

2 張飛

3 許楮

4 関羽

5 趙雲



です。







個人の戦闘力のベスト5なら



1.呂布(別格です)

2.張飛

3.趙雲

4.関羽

5.許楮・典イ



他の方の答えを見ると、指揮官能力についても言いたくなったので付け足します。



1.曹操

2.司馬イ

3.張遼

4.陸ソン

5.孫策








将軍ですよね?

個々の武勇でいったら呂布が別格だと思いますが、最強の将軍=用兵が巧みな人でいうならば



1位

曹操

この人の戦績は67戦58勝9敗と1人ずば抜けてます。



2位

関羽

武勇も最強レベルで魏と呉が連合しないと倒す事ができなかった軍神。兵や民の信望も厚いかった



三位

司馬懿

諸葛亮の北伐を何度も防ぎきり、公孫淵の乱をたった一年で鎮めたりする奇才



4位

張遼

合肥にて呉軍10万にたった800で応戦して勝利した猛将。敵に囲まれた味方を単騎で助けにいくなど面倒見がいい人でもあります。



5位

孫策

わずかな兵で挙兵したにもかかわらず江南一帯を制圧して呉を建国した小覇王。

国を治める力は無いが広げる力はとてもある男。一番将軍に向いてる。







1 関羽

2 呂蒙

3 張遼

4 趙雲

5 魏延



です。







指揮能力ということであれば

1陸遜

2張遼

3周瑜

4馬超

5郝昭

個人の武力であれば

1呂布

2張飛

3関羽

4甘寧

5典韋

うーん、悩みますね、許楮を入れると馬超を入れないといけないし







1 呂布

2 朝雲

3 馬超

4 関羽

5 張飛



ん~好きな人物と混ざったりで難しいなぁ…

最強…大御所しか思いつかない(><)







1:呂布

2:趙雲

3:関羽

4:馬超

5:夏候惇



です。



やっぱり呂布は一番だと思います!

三国志の登場人物で一番好きなのは誰ですか?

三国志の登場人物で一番好きなのは誰ですか?







関羽ですね。

なぜか、好きなんです(>_<)

千里行も好きです。








孫策と曹操(笑)二人とも墓が明確でなく、いまだに墓探しをしています(((^^;)







主人公の劉備玄徳です。欲のない性格が大好きです。







私は郭嘉奉考です。

彼の軍略と鑑識眼は三国志の中でも群を抜いたものだったのに、性格があまり良くなかった事や荀イクや程イク(漢字がナイ…)の影に完全に隠れて、演義ではなかなか見えないのが少し残念。袁家一族の仲たがいを読んだり、劉表の性格を読んで北方平定に乗り出したり、烏丸征伐や孫策の死を予言したり…、結構あるのにぃ(泣)彼が生きてたら今頃レッドクリフの物語は完全に変わってるぞ!







公瑾に一票。



念のために…

周瑜公瑾です。







曹操です 普通でスミマセンww

三国志大戦のデッキについて質問します! 大徳デッキを構築中の始めたばかりの初...

三国志大戦のデッキについて質問します!



大徳デッキを構築中の始めたばかりの初心者です



いまのところ、

大徳劉備

長槍関羽

リョウカ

張松


で計6.5コストですが

残り1.5コストを誰にするかで悩んでいます。

手持ちは

落雷徐庶、奮激厳顔、強化劉封、車輪王平です







「そこに入れるなら誰?」という質問なら、落雷です。



でも、他にカードがあるなら、2・2・2・1・1がいいです。

例えば、劉備・黄忠(ゼロ距離戦法)・かんこう(武神再臨)・かこうげっき・かんぎんぺい

大徳→武神は強いし、落雷もあるし、防衛は知勇兼陣→ゼロ距離戦法→かんぎんぺいというコンボもありです。



2・2・1.5・1.5・1もアリですね

例えば、劉備・神速ちょううん・じょしょ・車輪王平・もうたつ

大徳→車輪や、特技の構成から開幕の守りはしやすいです



大徳車輪とか。

劉備・きょうい(挑発)・ほうせい・じょしょ・かんぎんぺい

大徳→車輪の号令や、大徳→落雷、車輪→挑発で迎撃など、おもしろいかも



おもしろい構成なら、2・1.5・1.5・1.5・1.5とか

劉備、じょしょ、おうへい、ほうせい、長槍関平

これは知力がそこそこあるから、ダメージ計略もある程度耐性があります



私的に初心者向きのは

劉備、かんこう(武神再臨)、仁王再臨、かこうげっき、リョウカ

号令、強化2種、落雷、雑用係がいて、バランスがグッド!



ちなみに

劉備、ギエン(SR)、かこうげっき、ほうとう、リョウカ、チョロ松

という6枚デッキは、練習すれば結構強いと思います

号令、超絶強化、落雷、妨害、雑用、挑発。全て揃ったおもしろいデッキです

6枚号令や、ギエンで1コストを叩き斬る運用なんかも



奥義は基本的に再起、撤退を減らせるようになったら「知勇」や「鉄鎖」もオススメ

挑発→鉄鎖で封殺なんて作戦もOKです



どうでしょうか。カードがそろえられるなら、こんなのもどうでしょう~








①大徳は範囲が広いことをうまく使ってあげるといいでしょう。

②個々の武力が低いとすぐにやられてしまう可能性があります。

③槍3、騎馬2が基本になります。



大徳劉備

長槍関羽

落雷徐庶

寥化

周倉

が良いと思います。

落雷を選んだのは呂布などの超絶強化用+伏兵ですかね。

挑発はいらないとおもうので高武力の周倉を採用しました。



テンプレの大徳がやはり一番いい気がします。

大徳劉備

仁王再臨張苞

落雷徐庶

奮激厳顔

周倉

参考までにどうぞ(*^_^*)



以上低証のアドバイスでしたm(_ _)m

三国志大戦デッキ診断。

三国志大戦デッキ診断。

共鳴デッキを演習で使ったのですが、けっこうぼこぼこにやられたので、アドバイスください。

SRG司馬懿

RG羊祜

SR関羽

R司馬炎

SR郭嘉

SR卑弥呼

UC丁夫人

というデッキです。

曹武力が低いのですが、伏兵と柵で何とか頑張ったのですが、無理でした。

アドバイスお願いします。







地天デッキですね。

コストは3と3.5に振り分けられているので、大丈夫だと思います。



やはり、総武力が少し低いですね。そして、W反計なのに2人とも1度限りと微妙です。





丁夫人→劉嘩or李典

司馬炎を武力担当かつ属性で決めてみてはどうでしょう?

ホウ徳や徐晃、張コウあたりで。










W反計モドキですね。

一度しか使えない反計を二枚採用していますが、片方は普通の反計のほうが良いです。

テイフジン→リュウヨウ



槍がないのが気になるなら

シバエン→チョウコウ(槍)



チョウコウであればギブを出来るだけ使い続ければ武力10に槍になります。







単純に武力&兵種による殲滅力が無さ過ぎる。

共鳴はそれ程武力が上がる計略では無い&副次的効果も無いので、素武力が低いこの構成だと相手は号令を使わなくても軽い計略で対処可能でしょう。



SR関羽の鬼神降臨は何時でも使える計略では無いので、凌ぎで安定して使える計略が一つも無い。

反計もR司馬炎の射程が最長では相手側から見たらそれ程プレッシャーになっていません。

三国志の質問です。 三国志演義の著者とされる羅漢中ですが、彼の書く文のところ...

三国志の質問です。

三国志演義の著者とされる羅漢中ですが、彼の書く文のところどころに地理的な間違いが多いと感じますが、現代人でも分かるミスを重ねるのは出鱈目が過ぎると思いませんか。

(汜水関の戦い、関羽の千里行の道順等)







羅貫中にかぎったことではありません。



出版に関しては江南の本屋が隆盛をほこっていました。江南の本屋から出た歴史読み本だけで、神話時代からの歴史が網羅できるくらいです。



つまり、作家の多くは江南にいたことになります。



地名って自分のなじみのないところほど位置関係がわからなくないですか? 私は関西在住ですが、鉄道路線でいくと、環状線、御堂筋線の北半分、阪神、阪急、南海ならなんとかわかりますが、近鉄や京阪は皆目わかりません。



ましてや、小田急とか東武とかになると・・・。





自治体名も同様に、北広島市の東には何がある、むつ市の南には何がある、というのは、私には全くわかりません。逆に、関西圏以外にお住みの方って、姫路と赤穂と明石って、「神戸の近く」、西宮や尼崎にいたっては、「神戸と大阪のどっちかの一部」くらいの認識の方が少なくないと思うんです。





当然、現代人の私たちはしらべりゃわかりますが、当時より以前の、当時とは行政区画が全くちがう時代の土地の位置関係を、一介の書生が知り得ることができたか、というと、かなり難しいと思います。





『三国志』にかぎらず、『水滸伝』も、土地の位置関係は???という感じですし。何かで読みましたが、楊志なんて、彼の生活地域とは違う方言を使っているそうですし。 説唐系でも、秦叔宝はもともと南朝系の人物、というようなところからスタートしたのを、正史との整合性から、『隋史遺文』で山東の出身に訂正し、それを『隋唐演義』が引き継いでいますが、あだ名は相変わらず「賽専諸」ですから、江南の名残があります。





デタラメ。確かにそう思います。ですが、「しかたがなかった」ということでよいのではないでしょうか。







追記。



質問者さま。



あ、確かにこの書き方だとそう読むほうが自然ですね。ご指摘いただいて気付きました。羅貫中の出身地はよくわかっていないはずで、別に彼が江南出身という意味で書きたかったわけではないのです。



羅貫中が、もともとあったお話を、どれくらい『三国志演義』に残したのかはわかりませんが、江南発で読み物が出版されれば、読者も江南の人が多かったはずで、読者があまり気にしないなら、訂正する必要もないのではないか、とも思います。





それから「そんなに距離は離れていない」ですが、確かにそうかもしれません。

例えば、私は姫路在住ですが、そんなに離れているわけではない加西市や宍粟市のことはさっぱりわかりません。姫路市内にある小赤壁という景勝地へ、高砂駅から最短で行く道も知りません。加古川駅からでも同様です。たとえ晋陽と虎牢関が近くても、わからないことは多いと思いますけれど、いかがでしょう。



もしくは、質問者さまがそうお考えになるということは、太原出身ではなかった可能性の方が高いのではないかと思います。








質問者さま?



質問文中に

「現代人でも分かるミス」

とありますが、

現代のように

「正確な地図」

が手に入る状況ではないでしょうから、

そのご指摘は少々酷では?と思います。



bap960428さまが現代を例に回答を寄せていらっしゃいますが、

これもご指摘の通り、

「自分の土地勘のない場所」

について詳細にしかも間違えなく記述するのは、

現代人の私たちでも難しいこと、です。



まして、

「中国大陸の広大さ」

を考えると・・・・・。



「間違いは間違い」

とおっしゃりたい、その心情は理解できますが、

もう少し温かい目で見て下さい・・・・・。



kankou_jp_weaponさま



「吉川三国志」の張郃に関する記述はご指摘の通りですね。

これもそろそろ、

「原作を損ねない程度の改訂」

が必要かと、個人的には思っています。







羅貫中は現在中国の山西省太原県の人で、羅貫中は黄河以南の地理的知識がなかったのではないかと解説書に書いてあるのを見たことがあります。ミスと言うより地理知識がなかったようですね。



確かに地理間違いが多くありますよね。関羽の千里独行もこれでは「千里迷走」と言いたくなると著者の先生は言っていました。







物語ですから。



そんなことを言ったら日本の三国志を題材にした小説も

なかなかに強烈ですよw



吉川先生は張コウを三度も戦死させていますし

陳先生は正史の記述を基準に・・・といいつつも

関羽の顔良斬りの場面では明代の嘉靖本の三国演義の

話を採用しています。



出鱈目=オリジナル

こそ小説の妙味かと。

歴史と相違ない小説なんて存在しませんよ。

小説となる以上、作家の思い入れが強く反映されています。







逆に現代人だからわかるし、気にもなるのでは?

そもそもあれは歴史書ではなく、講談をまとめたものなんですから、そこまで求めるほうが野暮だと思いますよ。

三国志の登場人物の子孫がその後どうなったかについて教えてください。 関羽の子孫...

三国志の登場人物の子孫がその後どうなったかについて教えてください。

関羽の子孫は、ホウ悳の子孫(子)ホウ会に皆殺しにされた。


諸葛一族(?記憶曖昧です)の子孫が現代にも残り、諸葛村(?)がある。

杜甫は杜預の子孫など。

周、春秋・戦国、秦、漢あたりは得意なのですが、それ以降は全く知りません。三国時代活躍した方の子孫が何代も経てから活躍するって事もありますよね、断絶した家でなければ。

是非お願いします。







杜甫の詩に『丹青引贈曹霸將軍』という作品がありますが、この中に出てくる曹霸という人は曹操の子孫だそうです。

また北宋代の『水滸伝』にも関羽の子孫を名乗る武将(関勝といいます)が出てきます。もっともこれはあくまで小説の話ですが。



真偽はともかくとして、現代でもネットや新聞を見ていると、たまに子孫と称する人が出てきます。

諸葛亮の子孫は諸葛紹賢さん、孫権と周瑜の子孫はそれぞれ、孫桂弟さん(この人は孫文の子孫でもあるらしい)、周柏泉さんだそうです。

手元にある新聞記事(平成9年12月8日 東京新聞)には、この三人が浙江省龍門鎮で会ったとあります。記事によれば三人は曹操の子孫も招いたということですが、残念ながらこの人は来なかったようです。



諸葛八卦村に関する情報。

http://www.e-asianmarket.com/asia/framezhuge.html



関羽の子孫もいるようです。下記URL参照。

http://news.livedoor.com/article/detail/3809242/








魏の司空で九品官人法を作った陳羣の子孫は、

有名な玄奘三蔵ですね。

西遊記のあのお坊さんですよ。

「三国志演義」には登場するが、実在しなかった人物って 誰がいますか? 例えば関...

「三国志演義」には登場するが、実在しなかった人物って

誰がいますか?



例えば関羽の腹心、周倉は架空の人物なのに、

中国では関羽や関平と一緒に祀られているようですね。



みなさんが知っているだけ教えてください!!







コチラの質問を見て頂ければ良いかと・・・

私も一応回答させていただいた質問なのでw



参考URL→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1066986280

三国志の関羽

三国志の関羽

関羽は蜀建設後、呉の向かいに派遣されましたが、

これは、関羽の武勇をもって大事な所を任せたのか、劉備と確執があったのか、どちらが正しいですか。

他の優れた武将は劉備の元にいたと思うのですが。







蜀建設後に派遣されたわけではありません。

蜀を奪い取るときに留守番として一番信用できる関羽をケイシュウに残したのです。








関羽=武官を尊敬し、文官や名士を軽んじたため、糜芳、傅士仁と言った、文官達に裏切られる。これが致命傷。

張飛=名士など頭のいい人を尊敬し、文官とは仲が良かったが武官を軽んじ、部下を虐待していたため、暗殺(汗







武勇や能力はともかく、一番の古株で実績もあったからでしょう。

ただ、関羽は非常にプライドが高く、特に目下の者に対して傲慢不遜な態度を取ることが多く、部下に裏切られたのは身から出た錆、自業自得と言えます。その点で劉備は人選を誤ったといえるでしょう。







1つの考え方ですが,関羽という武将はプライドが高いとされています。

また,目下の者にはやさしいが,目上の者には反発心が高いと言われています。

言うなれば,名士層が大変嫌いな人物です。(張飛とは逆な人物です)

こういう逸話もあります。『馬超が劉備軍に加わったの知った関羽は,馬超の人物について孔明に聞いています。その孔明から「張飛と張り合える程勇猛だが,髭どのの武勇にはやはり及ばない」とおだてられ,その手紙を大喜びで来客に見せびらかしている。』

こういう所から推察するに,今新しく蜀の地を得た劉備軍です。

征服者であるからには,すべての文・武官が,まだ心から信服しているわけではないですし,また,今後漢中への侵攻考えている時期です。

こういうところに関羽がいたらどうでしょうか?多分無用ないざこざが起きるのは目に見えています。

もちろん関羽という人物は文武にすぐれた人物です。荊州を治めるだけの器量もあるはずです。

でもそれ以上に,劉備が蜀平定後のトラブルを回避するために初めから関羽を荊州に残したともかんがられるはずです。

これだけプライドの高い武将ですからそれ相当の地位でないとヘソも曲げまし…(ヘソを曲げたからと言って曹操や孫権に降伏はしませんが)

だから,劉備と確執があったといよりは,今後起こりうるトラブルを未然に防ぐためだと考えられます。







それだけ関羽の能力を高く評価していたのでしょう。

なぜなら荊州は呉だけではなく魏に対しても備える必要があったから。

なので武勇だけではなく荊州を治めるための政治力や魏や呉と交渉する外交能力も必要でした。だから関羽が適任だったのでしょうね。

三国志には「義兄弟」はいくつ出てくるんですか?

三国志には「義兄弟」はいくつ出てくるんですか?







1劉備と関羽と張飛(桃園の誓い)

2趙雲と趙範(桂陽攻略の際)

3孫策と周瑜(少年時代に契りを結んだ)

4関興と張苞(呉討伐の際契りを結んだ)

5馬騰と韓遂(涼州で結んだ)












三国志演義だと



関興と張苞とか

文醜と顔良とかも義兄弟じゃなかったかな?







劉備・関羽・張飛

孫策・周瑜

韓遂・馬騰

趙雲・趙範

関羽について

関羽について

三国志の関羽雲長の顔が赤いのはなぜですか?

日焼けではないと思いますが、何か意味があるのですか?

教えてください。







道教における元帥神時代の配置とも関係していると思われます。

元帥神とは天界の王である

玉皇上帝直属の配下であり

四大元帥とも呼ばれます。



この中で関羽は南方を支配する神なので

五行思想において南は火であり、色は赤なので

赤面の神として定着しました。

関羽は火神としての神格も持ち合わせているの

ここからも関係していると思われます。



三国志演義は関羽が既に神になっていた後に

成立した話であるため、このように神となった後の設定も

そのまま物語上に引き継がれたとも推察したします。








伝説では故郷の悪徳代官を切って逃亡生活を送っていた時、聖母廟の泉で顔を洗ったところ、みるみるうちに顔が朱く染まりそのおかげで人相が変わって追っ手から逃れられたと言うエピソードがあります。







嘘いつわりのない心、ありのままの心を「赤心」もしくは「丹(=赤と同じ意味)心」といいます。三国志演義の中の関羽は、主君であり、義兄でもある劉備に、絶対の忠誠を誓い、そのちかいのままに忠誠無比の生涯を貫いたと描写されています。あまりの主君を思う誠実な心に、顔(だけなく体までです、本来は体も真っ赤なんです)が赤心に染まってしまったんだということになっています。

京劇の中では、男性キャラクターを「生」といいます。例えば「小生」と言った場合、若い2枚目キャラ一般のことさします。だいたい主役級なので、一人しかいなので、劇中に「小生」と言えば、だれのことを言っているのかすぐに分かるのです。でも、演目が違えば主役は変わるので、これは周瑜を指すときもあれば、諸葛亮を指しているときもあるのです。

しかし、「紅生」と言った場合は、関羽のことです。これは固有名詞なのです。それだけ、忠臣の象徴としての位置づけがされているのが関羽なんです。

三国志ファンの方へ・・・ 三国志の全あらすじを3分で小学生にもわかるように要約...

三国志ファンの方へ・・・

三国志の全あらすじを3分で小学生にもわかるように要約していただけませんか?

お願いします。







今から1800年ぐらいまえ、それまで中国を支配(しはい)してきた

漢(かん)という政権(せいけん=国を動かす人たち)が、めちゃめちゃに

混乱(こんらん)しました。



そこに曹操(そうそう)孫権(そんけん)劉備(りゅうび)という

三人の英雄(えいゆう)があらわれ、たがいに戦ったけっか、魏(ぎ)

呉(ご)蜀(しょく)という三つの政権ができました。



そのあとも戦いはつづき、曹操の魏がほかの二つをたおして、中国を

もういちど、ひとつにまとめました。



劉備の蜀には、関羽(かんう)というヒゲのおじさんや、張飛(ちょうひ)

というちょっとあばれんぼうなおじさんがいて、ふたりとも強かったので、

大活躍(だいかつやく)します。

諸葛亮(しょかつりょう)という、まほうつかいみたいなおじさんも

活躍します。



蜀は負(ま)けたのに、おじさんたちのおかげで、大人気(だいにんき)です。








劉備・関羽・張飛が桃園の誓いで義兄弟になり、義勇軍を旗揚げして黄巾の乱を鎮圧で活躍。

戦後に宮廷でクーデタが起き、宦官・十常侍が外戚・何進を倒し、袁紹によって粛清される。

しかし混乱に付込んで大軍を連れて上京した董卓が政道を牛耳る。

これに曹操らが立ち上がり、洛陽を占領するが、董卓は帝を連れて長安に遷都。

以後、天下は乱れ、群雄割拠。

呂布の騒乱の後、華北で袁紹との二強対決に勝った曹操が、帝を擁して天下布武。

南下を開始して劉備と荊州を撃破するが、呉の孫権に赤壁で大敗。

劉備は益州と漢中を押さえ、三国鼎立になるが、関羽が敗れて荊州を落とす。

曹操が死に曹丕が継ぎ漢朝を滅ぼし、魏・呉・蜀でそれぞれ皇帝が即位。

蜀の孔明が南蛮征伐のあと北伐、呉の陸遜も北を攻めるが共に失敗。

魏で司馬一族が興隆。魏を滅ぼし晋を建国。

晋の攻撃で蜀が滅び、次いで呉が滅ぶ。



少年の愛読書・吉川英治の本を読むべし!







桃園の誓い

生まれた時は違えども、死する時は同じ・・・・・・・・







後漢末期、世は乱れ黄巾賊という農民反乱が起きます。

やがて黄巾賊は滅ぼされますが、今度は群雄が各地で自分の勢力を広げようと争い始めます。

大勢の群雄が争って、その中から曹家の魏、劉家の蜀、孫家の呉が残ります。

その過程で漢は魏に乗っ取られて滅び、蜀が漢の正当な後継者を名乗ります。

その後、蜀は魏に滅ぼされ、その魏は家臣の司馬家に乗っ取られて晋に変わります。

最後に呉が晋に滅ぼされて天下は統一されます。

この騒乱で中国の人口は1/3に減ったそうです。







漢の末期の反乱で頭角を現した劉備・曹操・孫堅達群雄。

彼らは、漢朝乗っ取りを図る董卓を討とうとするができず、

世はさらに、混乱していく。

やがて、董卓は部下に殺され、孫堅も戦死。

各地に群雄が割拠し、戦乱の時代へとなる。

曹操は董卓の残党や、北方の雄袁紹に勝利し、天下をうかがう。

一方、孫堅の息子の孫策は南方の呉を制するも若くして暗殺され、弟の孫権が後を継ぐ。

劉備は、各地を流浪した後、荊州に落ち着くが、そこに曹操が

攻め寄せる。

かろうじて逃れた劉備は孫権と組んで曹操を破る。

劉備は益州を征服し、蜀を立てる。

しかし、その後時がたつに連れて、曹操の魏が優勢となり、劉備・曹操の死後、蜀は滅亡。

その魏も、家臣に乗っ取られ晋となる。

呉は孫権の死後、暴君が立ち、晋に滅ぼされる。









三国志のメインキャラクターは

「蜀国」の劉備

「魏国」の曹操

「呉国」の孫権

三国の王たちです。



当時中国国内は戦乱の時代でした。北の地域出身の「董卓」が都を征服し圧政を強いていました。しかし、部下の「呂布(三国志最強の武将)」に殺され、呂布もまた、曹操に殺されました。

そこから、色々あって、魏・呉・蜀の時代になりました。



劉備は高い人徳で多くの優秀な仲間達を集め、稀代の軍師・諸葛亮孔明や義兄弟の関羽、張飛たちと一緒に天下統一を目指しました

曹操はその強大な兵力と素晴らしい能力をもって中国の殆どを征服しました。

孫権は、非業の死を遂げた父・孫堅、兄・孫策の志を継いで、劉備・曹操の侵略に負けることなく中国の南側の広大な地域を治めました。



ダメだ、400字では無理です。すみません。

三国志には魅力的な登場人物が数多く出てきますので、紹介してあげて下さい。男の子はきっと興味を示すでしょう。

http://www.asahi-net.or.jp/~np5k-mkn/sangokusi.html







ぞうり売りの息子が、荒れ果てた国を見て、立ち上がろうとした時

二人の協力者を得て、3人で力を合わせて、天下統一を誓い合ったが、

ライバルの曹操と孫権の出現により、天下統一できずにいた。しかし

良き知恵者、孔明の案より、天下三分の計の唱えから、孔明の指示

どうりに、天下を三分にすることができた。







魏、呉、蜀の三国が争って魏が最終的に勝つのです。。。。。。。。。。。