2012年3月29日木曜日

三国志で最強の将軍といえば誰ですか~?

三国志で最強の将軍といえば誰ですか~?







将軍って辞書で引いたら「軍を将いる」、つまり軍勢を率いる司令官の官名だって書いてあったからなあ。ってことは、個人の武勇は二の次なんだよね・・・。んなわけで、「最強」=「軍勢を率いるのが一番うまい」で考えるわ。

①兵を率いるのがうまくて、しかも自分も前線で兵を斬りまくります的な司令官は、関羽、魏延、張遼、夏侯淵、曹仁、孫堅、孫策ってとこかな。

②純粋な意味で司令官っぽいのは、曹操、司馬懿、諸葛亮、周瑜、陸遜、あと三国末期に出てくる羊コ、杜預、陸抗みたいなタイプが思い浮かぶね。

①のなかで一番は張遼かな。何つっても、「泣く子もだまる遼来来」だし。

②のなかで一番は曹操かな。司馬懿も強いけど、結局曹操の築いた礎あってこそだし。

まあ、こん中では曹操が一番強い気がする。



<周瑜と孔明>

周瑜:この人がいなかったら、赤壁で勝てなかった。実質連合軍の総司令官だったのは彼。演義だけど、手のひらに書いた「火」を孔明と見せ合ってニヤリ・・・なんて、かっこいいね!やっぱ、美周郎、絵になりますわ。

孔明:三国鼎立を考えて、弱小だった劉備軍をほぼその戦略どおりに導かせたその手腕、すごすぎる。劉禅を補佐して、悲愴なまでの決意で北伐を繰り返すなんて、大昔の中国にはこんな義理堅い漢(おとこ)がいたんだなー。

どっちもすごく尊敬してるけど、自分判官贔屓なもんで、漢を再興させるというスローガンの下、その生涯を蜀に捧げた諸葛孔明にやや軍配が上がるかな。



参考にしていただければ、これ幸いかと。








単純武力だけならば呂布、ついで、張飛、甘寧、馬超、許楮あたり。



軍を率いらせたら関羽、張遼、孫策か。



知勇兼備となれば趙雲、張遼、曹操、晩年の呂蒙など。



知略面、軍師でいえば郭嘉、司馬懿、諸葛亮がトップで、ついでホウ統、徐庶、周瑜、陸遜など。



内政、外交などまで入れるとキリがありません。



武勇、知略に優れ軍を率いる才能があることを最強とするならば関羽、張遼、孫策だと思います。とりあえず三国から一名ずつ選んでみました。

尊敬するのは郭嘉なんですがね。







武力で最高は呂布です。「人中の呂布」人の中の最強は劉備です。

人徳の最高峰の人間です。知力の最高が諸葛亮です。臥龍ですからね。





周喩と孔明・・・



どちらを尊敬していますか?





断然諸葛亮です。







ts359funさんの言う意味でなら劉禅だと思います(笑)まぁ将軍ではないですけど。







赤ん坊のとき、曹操軍に囲まれても生きている強運。

皇帝でいつつも酒色にふける能天気さ。

黄皓を信じきる信頼。

戦わずに降伏を決断した果断な性格。

降伏しただけでなく、司馬炎の前で「洛陽は楽しいところ」とか「蜀は恋しくない」とか言う肝っ玉。

KOEI三国志シリーズで能力が3・5・9・4。



などの理由から劉禅がある意味最強な気がします。







孫堅だと思う(孫策孫権の親)

それはもし孫堅が覇王とよばれていたからだどおもいます

他の人はみんな呂布だとか張遼だとかの意見の人が多いとおもいます、

もし孫堅がいきていたら南方はすべて孫堅がとっていたことでしょう。そして曹操、袁紹をしのぐ力になっていたことでしょう。

なので僕は孫堅だと思います

周喩を尊敬しています

は孫策から厚い信頼を受けていますなにせ両者は「断金」と評されるほどの篤い親交を結んだんですから。

これを受けて孫権陣営では曹操に降伏するか抵抗するかで論争が起きたのです赤壁の戦いで周瑜は魯粛と共に抗戦を主張し、曹操軍が抱える数々の不利と、自軍の利を孫権に説いたから

なので僕は周喩を尊敬しています。







最強と言われると関羽かなと思いますね。



顔良を首を取った白馬の戦いにおけるエピソードは

彼自身の剛勇を讃えるものとして、史実にも残り

魏晋南北朝~隋代に至るまで武将個人がやらかしたとんでもない出来事として

延々と語り継がれています。

それほどのインパクトもあったからこそ、唐の時代には既に武神となり

後々に国家守護の存在となるほどまでに昇格していったとも思われますしね。

清にいたっては関羽の守護があって

明軍に勝利したとも信じられていたそうです。

個人の武を評価されて、高位の神の座に上り詰めてしまうのも

中国に英雄多しと言えども関羽のみでしょうから。



兵を率いての将才もまた「万人敵」の誉れを受けるほどであり

兵力も人材も不足している蜀にあって

敵国の魏呉からも深く警戒されていたほどです。



将としての強さならば関羽かなと。

根っからの喧嘩ヤクザから戦争屋となったこともあって意見の合わない

人と争う事もひょっとしたら嫌いではなかったかもしれませんね。

正史での関羽は荒々しいまでの暴威も感じ取る事が出来、年中自分の力を誇り

それに見合う豪胆な話を残しています。

強さを追求する姿勢もまた「最強の将軍」のように見えてしまいますね。

武功は低いんですけども、それは最強ではなく「最高の将軍」のステータスとも

思えます。



もし、「三国志で最高の将軍」と言われたら、曹操と答えますけどねw



補足:

周喩と孔明、どちらを尊敬ですか・・・

どちらもですねw

史実においては軍略の冴えに加えルックスまでパーフェクトな美周郎。

史実では歴史に名を残すほどの有能すぎる政治家、三国演義においては

神算鬼謀を発揮し八面六臂の活躍を見せる蜀の大軍師、諸葛孔明。

両名共に嫌いになれる要素そのものがありません。

三国志って魅力的な人物多いですよね~。







リョフでしょう

どんな戦略を使おうと兵士たちが逃げちゃいますからね

リョフがこわいよう^-って

孔明は駄目です 孔明がいいって言ってる人は演義しか見たことがない人か演義派の人でしょう

周喩は武力もある戦略眼もある策戦に優れている政治もできる人望も厚い挙句の果てには音楽まででき超イケメンで奥さんも美人 欠点は早く死んじゃったことくらいですかね

孔明は武力はダメ戦略眼はいい策戦は優れていない政治は天才人望は厚いでも顔いまいち音楽まあま奥さん超変な顔呉を作るのに貢献し呉を育て主君の危機をすくってきた周喩蜀の建国に貢献したが蜀滅亡の時期を早め主君の危機をすくった武功を立てたなど聞いたことのない孔明比べてみたら一目リョウぜんデす







孫策。挙兵してからはほとんど負け知らず。まぁ相手が賊や地方太守ばっかりなんで曹操とは比較になりませんが。派手な戦いが多いせいもあるかな。



>周喩と孔明・・・

どちらも尊敬に値する人物です。そもそも正史の陳寿の評を少しかじった程度で「孔明は政治だけ」とか「戦は無能」とかって言う人が多すぎ。馬鹿らしいにも程があります。正史の諸葛亮伝をしっかり読めばとてもそんなことは言えないと思うのですが。決して軍事的に無能でもありません。正史を読んでない正史派ほどみっともないものはありません。みっともないを通り越して若干不愉快です。蜀の滅亡を早めたとかどんだけ曲解してんだよという感じです。山奥に篭ってれば生き残れた保障などありません。

孔明・周瑜とも建国の功臣です。劉備は孔明の長期戦略が必要で、孫策は周瑜の物資と江東の情報を必要としていました。個人的には孔明のほうが好みですが、どちらも尊敬しています。







関羽じゃないかな?1対1 軍対軍 にしても両方できると思うから、中国では劉備より関羽を神として祭る地方があるくらいだし。

孔明でしょ! 周瑜がもっと心の広い人間なら蜀と呉の関係は良かったはず、孔明とは器が違います。







そうですね〜。



少数兵を率いての戦闘:張遼

大兵力を率いての戦術:司馬懿

個人の武力:呂布



が考えられますが、戦争をするには兵糧や兵力の確保といった政治力も関係してくるので、

総合力:曹操



じゃないでしょうか。曹操は君主でもありますが、若い頃から幾多の戦場を駆け抜け、負け戦もあるものの最終的には中華の約半分を自分の支配下にして魏王にまでなりました。ということで、私は三国志最強の将軍は曹操だと思います!



補足みました。

赤壁勝利の功労者・周瑜、北伐を敢行した諸葛亮、どちらも国を守るために命をかけていましたので、二人とも尊敬してます。







武力で言えば呂布

総合力で言えば張遼、ってとこじゃないかな。



少なくとも蜀の人間は「最強」に分類できるほどの人材はおらんよ、史実では。







趙雲



武勇、統率、判断力、信頼感。

孔明が

『先帝が彼を重く用いたのがよくわかる。』

みたいな事を言ってます。

(横山マンガ)







将軍は戦闘が強いだけではいけないと思うので

トータルで考えると関羽・張遼が強いんではないですかね。



孔明と周喩に関しては、二人とも特徴が違うから、何ともいえませんね。



軍事に関しては、周喩の方が優れているという説もあるし、

どちらかといえば孔明は政治家といった感じがしますし、

けれど、赤壁の際、周喩が孔明に言いくるめられ会戦に

至った経緯があるのでやっぱり孔明の方が賢いのかなあ?



けど、男としては美周郎といわれた男前にあこがれますね。







みんな呂布って言うけど僕は、蜀の5虎将軍の一人の張飛だと思います。

確かに武力だったら多少呂布が勝るかもしれないけど、仲間との信頼や武勇は圧倒的に張飛が上だと思います!

当然、孔明です。軍師として3国最強でしょう!







戦闘力だけなら呂布

トータルバランスなら関羽

最後まで生きてたヤツなら司馬炎



てとこじゃないでしょうか。



補足:

周喩と孔明・・・・



どちらも頭脳明晰で人物としても大変優れた方だとは思いますが、尊敬はしないですね。



尊敬するとしたら、曹操という人物をいち早く理解して仕え、自らの役割を見事に全うした、ジュンイク(変換できねぇ~)ですね。



人をちゃんと見る、自分にできることを精一杯頑張る、この2点は是非見習いたいです。

三国志で有名な関羽を日本の戦国武将にたとえると誰に当たりますか? 個人的には上...

三国志で有名な関羽を日本の戦国武将にたとえると誰に当たりますか?

個人的には上杉謙信かなと「義」をつらぬいたし・・・







「武功夜話」では豊臣秀吉を劉備に模して話を書いています。

たとえば竹中半兵衛を幕下に誘う時に、三顧の礼を基にしたエピソードが書かれています。

その中では関羽に相当する人物には蜂須賀政勝(小六)が、張飛に相当する人物には前野長康が当てられています。








加藤清正ですね。武勇に優れ関ヶ原で徳川優位の時代になっても豊臣家に義を尽くし、国許では民に慕われ、福島正則は張飛のイメージがありますね。新参の知恵者(三成、諸葛亮)に嫉妬したところも似ています。







質問主には厳しいですが



日本の武将にはいないでしょう



關帝廟にまつられて神様になった人ですから

家康が東照宮に

秀吉が豊国大社に祠られていますが、民衆の信仰度が全く違います。







個人的には島津義弘ですかね。

個人的武勇にも優れ、学問なども得意とし

巨大政権への謙りなど全く見せない剛毅な性格に加え

国中にその名が伝わるほどの大人物。

兵士のような身分の低い存在にも優しかった点も共通点があると思います。







私も本田忠勝は迷ったんですが・・・。

島左近に一票^^

関羽は桃園の誓いで劉備と義兄弟となったとされますが、

(三国志演義ではね)

島左近は光成から破格の待遇で(ほぼ主の光成と同格といっても?)

配下に迎えられます。

そしてどちらも文武両道、主人には忠義を尽くしその悲劇的な

最後も共通点かなと思います^^







本多忠勝だと思います。

家康に長い間付き添った様はまるで劉備と関羽です。

三国志と項羽と劉邦以外で日本人が好みそうな戦国時代

三国志と項羽と劉邦以外で日本人が好みそうな戦国時代

日本人がなぜ三国志が好きかを考えると



劉備という絵に描いたような天下万民を苦しみから救うべく立ち上がったヒーローがいる

対照的に曹操という事実無根ではありますが悪の親玉がいる

ヒーローは長年虐げられるがのし上がって皇帝にまで上り詰める

この平民から皇帝へのサクセスストーリーもさることながら、あゆんだ人生もまた感動でありドラマチック

あとは素晴らしきライバルが多々多い事

そして劉備、関羽、張飛、孔明、曹操などなど人間関係も面白い

脇役みたいな扱いの呉や袁紹の存在もきいてます





項羽と劉法にも同様の事が言えます

圧倒的な強さを持った悪の項羽と天下万民を苦しみから救う正義の劉法

孔明にあたるのが韓信です

ただ三国志ほど人気が得られないのは呉のような名脇役がいないのと韓信と項羽があまりにも強過ぎて他にライバル的なものがないというのがちょっとあれですかね



劉備と劉邦のような天下万民を救うヒーロー的な人がいて孔明や韓信的な人がいて悪と正義という構図になっていて脇役もいてとドラマチックで予想だにしないことが次々と起こる

そんな戦国時代ってあるでしょうか?



それを漫画化したら売れると思いますか?

三国志は60巻でしたが何巻くらいになりそうですか?

まず三国志ファンに興味を持って欲しいのです

三国志パート2的な感じで持って行きたいんです

三国志でもこんなことあったよねみたいな三国志と共通する部分とかあると親しみモテるんじゃないかなと思ってるんですよ

この人は三国志で言えばこの人だよねみたいな







>劉備と劉邦のような天下万民を救うヒーロー的



戦国時代ではこれが難しいですね。なんとか上杉謙信くらい?後はかなりフィクションを混ぜないと難しいでしょう。

そもそも三国志や楚漢戦争時代に比べ、戦国時代は群雄割拠しすぎて善悪に置けるような対比がしずらいのもあります。例えばラスボスを信長にしても、主役は誰になるのやら。信長は複数の勢力と同時に闘う事が多かったですし。これもフィクションをかなり入れないと難しいですね。

あえて言うなら関が原直前。家康をラスボスにして、光成側を正義にするとか。あるいはその逆。戦国時代に二極で対比できるのは、この時期しかないかと。



それと三国志や楚漢戦争時代より時代の下ってしまった日本の戦国時代では、資料が沢山残ってるせいでフィクションにするにも実態が明らかになりすぎてるかもしれません。暴走気味ですが、フィクションを入れてる戦国BASARAは、叩かれまくってますし。



後、三国志に関しては、あの時代に演義が生まれた点が大きいです。もし演義がなく正史だけが認知された状態で、現代に演義と似たようなものを作っても、色モノ三国志としか思われないでしょう。そして三国志に勧善懲悪ものというイメージを、持つ人もいなかったでしょうね。三国志に勧善懲悪のイメージがついたのは、長い時間のお陰だと思います。








これは一般的に日本人の好みなのですが

敗者への美学がすきですね

判官贔屓というやつです。



有名なのは

源義経

忠臣蔵

でしょうか



劉備も当てはまるのでしょうね



それをふまえて

戦国史は

九州が面白いよ

大友宗麟かな

まず家督相続で内乱があったり

優秀な部下

立花道雪

高橋紹鷗がいたし

一時期九州を統一できる勢いあったが

島津氏に滅ぼされる直前で秀吉に援軍頼むなど



島津氏は優秀な兄弟で

役割分担がしっかりしているし

他に龍造寺氏もいたり

これはクローズアップされると

面白いと思うよ



単発でテレビ化、漫画化あっても

より気合いいれた作品ないから

これがチャンスだと思う。

意外とみんな知らないから







ええっと・・・隋唐演義ではだめですか?。

名前も似ていて日本人なら必ず習う遣隋使遣唐使の時代なので。

隋から唐への革命期は三国志並みに波乱に満ちてるのでその感じで見ると面白いです。



ただ、三国志&項羽と劉邦との大きな違いは女性の地位の比較的高かった時代で強い女性の登場頻度が多いのでどっちかというと女性向きかも知れません。

関羽のどこが名将なんですか?

関羽のどこが名将なんですか?

呂蒙に荊州全群を奪われて敗死した無能の大将と言うイメージが強いんですが。

豪傑と言っても正史で実際に勝ったのは顔良とホウトク、ウキンぐらいですよね。

関羽なんて本当は愚将だったんじゃないですか?







愚将だとお思いならそれでいいのではないですか?

まあ少なくとも私は三國時代屈指の名将だと考えていますがね。



正史で顔良やホウ悳、于禁の評価がどんなものか、まずお調べになったらいいと思いますよ。3名ともかなり優秀な武将です。

また、正史に散らばる関羽の評価を丹念に見て回って下さい。劉備陣営のみならず、曹操自身はもとより曹操配下からも孫権配下からもどれほど高い評価を受けているか、よく解ると思いますよ。



荊州失陥は関羽のミスもありますが、あれは呂蒙が関羽を上回ったというべきです。



関羽は正史『三國志』中でも極めて勝率が高い武将のひとりです。そもそも関羽がはっきり敗北した戦と言えば、寡勢で曹操に降伏した徐州での戦ぐらいしかありません。荊州だって戦って負けた訳ではなく、呂蒙が調略を用いて荊州を奪い、関羽の軍の将兵の家族を厚遇した事で兵が四散してしまった結果です。

むしろこの時の関羽は、曹仁を退けて襄陽を奪い、援軍に来た于禁を降しホウ悳を斬り、曹操に許からギョウ[業β]への遷都を本気で考えさせるなど、生涯最高と言える戦果を挙げています。



愚将とお思いになるのは質問者さんのご自由ですが、そうなると彼に敗れた数々の名将たちはいずれも「愚将以下」って事になりますし、曹操の「人を見る目」も案外たいした事無かった、という事になりますね。



【補足】

曲解して欲しくないんですが、正史や演義の評価にとらわれず「関羽は愚将では?」と考えてみるのは非常に有益な事だと思うんです。ただ歴史に対する考察は可能な限り客観的で公正・中庸でなければなりません。「関羽は愚将」という結論ありきではなく、記録に残る彼の実績や他者からの評価を総合的に判断して結論を導くべきです。

その上でなお「関羽は愚将」だとお考えになるのであれば、それはそれでよいのではないか…と考える次第です。








一般に「武将」といわれるものと

小沢一郎さん が、よく引用する「一兵卒」という

もの どちらも戦士ではあるが、ちがいは何だと

思いますか。

武将は、兵を沢山あつめて集団を指揮して合戦に

勝ったら兵たちにホウビを やれる力量がある人。

合戦が出来る戦備を整えられるだけでも

武将としてスゴイのだと思います。

ただ、関羽や張飛は、曹操のような公儀高官の

家柄の出という軍勢を挙兵するのに有利なものが

無かった、関羽も張飛も平民出身だといわれますので

それで、落剥していたとはいえ漢の末裔という

劉備を義兄に仰いで挙兵したと聴いています。

身分差の激しい時代では挙兵してヒトカドの勢力の

幹部に、なるだけでもスゴイことなんじゃないでしょうか。

日本では、よくいわれる、悪く言えば成り上がり者、

よくいえば下克上の体現者が関羽だと思います、

主君や同盟者を何度も裏切り狡猾と勇猛を兼備した

呂布なども下克上体現者でしょうね。







なんちゅー事を…!



曹操に斬られますよ?

もしくは、今晩、全身の

穴とゆう穴から血が吹き出ますよ?!



今すぐ横浜中華街に飛んで下さい。

んで、お土産に豚まんヨロシク。







>正史で実際に勝ったのは顔良とホウトク、ウキンぐらいですよね。

この連中に勝つ、顔良を斬り龐徳と于禁を捕らえる。これだけでも十分凄いんですが。曹操は女にしけこんだ挙句息子と側近を同時に失うを大失態やらかしてますが、愚将ではないでしょう?それと同じです。失敗や結果だけではその人物の本質というのは分かりませんよ。







フフフ…

では、ちくま学芸文庫からでている、「正史三国志」全八巻に目を通してみてください。あなた様の見解が正しいかどうかわかるはずです。



後で追記しようと思っていたら的確な回答が二つも書き込みされていますね。

更にいえば、曹操の参謀のひとり、程イクは、関羽、張飛は万の兵に匹敵すると言及しています。程イクの先を見通す力はトップクラスであり、推して知るべし、と言えましょう。

三国志☆知ってる方多いと思います。 『チョウセン』(女)(漢字が分かりませんが...

三国志☆知ってる方多いと思います。

『チョウセン』(女)(漢字が分かりませんが)って、実際は、存在しなかったんですか??

分かる方は教えて下さい(-.-)y-~~~







三国志演義にのみ登場する架空の人物とされます。



貂蝉(ちょうせん)は、三国志演義に登場する絶世の美女です。

その美貌は春秋の西施・前漢の王昭君・唐の楊貴妃と並び称され、

「中国四大美女」といわれます。

ただし、これは「演義」でのみ登場する架空の人物で、

正史に呂布が「董卓の侍女」と密通したという記述があり、

貂蝉のモデルとされます。



貂蝉のパトロン「王允」が、「美女連環の計」とは、

貂蝉、董卓、呂布の三角関係(輪を連ねて)を作って、

董卓と呂布を仲たがいにさせようとした「美女連環の計」に登場します。



貂蝉は呂布の死後、曹操に捕らえられ、許都へ送られます。

当時曹操と劉備は昵懇の間柄だったため、

行動を共にする関羽は、

呂布の妻であった貂蝉を何度となく娶りたいと曹操に申し出ました。

一旦は、曹操はそれを許して貂蝉は関羽の妻になったとの説があります。

(清廉潔白な関羽には似つかわしくない説ですね。)



また、何度も曹操に申し出たので、

気になった曹操が貂蝉を見てみると美人であったので、曹操が関羽に渡さず、

自分の手元に置いたという説もあります。

(人妻好きな曹操らしいエピソードですね。)



実は華佗(三国時代の名医)が、

首を西施(四大美女の一人BC460頃の呉の美女)のものと取替え、

肝を荊軻(始皇帝暗殺未遂の刺客BC220頃)のものと、

取り替えたというフランケンシュタイン的な話もあります。



それ以外にも、董卓が呂布に殺された後、

自ら命を絶つと言った話もあり、様々な人生を作られた女性です。



三国志演義のオープニングを飾る、大輪の棘の刺を持つ花が「貂蝉」です。








少なくとも実在していたことを証明するものは何もありません。



演義の中だけの存在です。



「美人の計」に使えるような若くて美しい女性はたくさんいるでしょうから、その中の一人がそうだったかもしれませんし、全くの作り話であったかもしれません。

横山光輝の三国志について 関興と張ほうってそれぞれ関羽と張飛の息子ですよね? ...

横山光輝の三国志について



関興と張ほうってそれぞれ関羽と張飛の息子ですよね?

2人とも奥さんが出てきたシーンがあった記憶がないんですが

結婚してたんですか?

それとも養子でしょうか?







横山氏のマンガ三国志の作品では確かに関羽と張飛の奥さんが登場した場面はありませんね。

張飛の妻が夏侯氏だと言われているのは有名な話ですが関羽に至っては不明ですよね。



三国志演義では関羽の子は関興と関索で養子が関平と物語されていますが、歴史の事実では関平と関興が実の子で関索は架空の人物です。あと娘がひとりいます。張飛は張苞と張紹と娘がふたりいます。三国志演義は歴史の事実を書いたものではなく架空のお話や作りいれかえたお話もある小説なのでそうなっています。








両方とも実子です。奥さんは誰だかわかりませんが……。



関羽・張飛の息子達では『三国志演義』で関平以外に養子の設定は無かったと思います。

ちなみに正史では関平も関羽の実子です。



また、関興には関統と関イという息子がいたようです。







張飛の奥さんは夏候一族の出 たまたま奥さんが一人でいるのを見かけた張飛が 拉致し奥さんにしたそうです 張飛の子供の中には知性がある子供がいますね 張飛の劉禅の皇后に 後々ですがこの縁で奥さんの一族である夏候覇が蜀に亡命してきます 髯殿はわかりません







そういえば関羽と張飛の奥さんについて、私も記憶がないですね。



三国志演戯では一応、関興と張苞は実子扱いになってますよ。

他に関羽には関索、張飛には張紹がいますが、いづれも実子として扱われていますね。養子の記述があるのは、関羽の長男の関平だけです。

三国志にはいろんな説があり 嘘か真か分からない点がさまざまあります。 そこで ...



三国志にはいろんな説があり

嘘か真か分からない点がさまざまあります。



そこで

三国志

作:横山光輝



…の

『これは確実に嘘である』

と言われるのは


どこらへんでしょうか。







『三国志演義』と史実の違いじゃなくて横山光輝のマンガが対象ですよね?

かなり長いこと見ていないので記憶を頼りにいくつか・・・。



既に出ていますが芙蓉姫は吉川英治の小説をそのままマンガにしたものですね。

お茶を買う話しや先祖伝来の剣を張飛に譲る話も吉川三国志の内容です。

白馬寺が出てきたと思いますが、白馬寺は洛陽のお寺なので、ちょっとおかしいです。

張飛の八百八屍将軍、というのも、いつ将軍になったの?という感じ。

張飛は肉屋だったはずなのに。



嘘、というより間違いもいろいろありますね。

初めの頃、張飛は蛇矛ではなく薙刀を持っていたような気がします。

そもそも虎髭の張飛が長い髭だし、関羽とあまり変わらないような・・・。



董卓がスマートなおじさん、というのも逆ですね。

本当はかなりのデブだったはずです。



あと十常侍に髭が生えていたような・・・。

宦官は去勢しているので髭が生えません。



初めの方の合戦シーンでドラをたたいている人が辮髪で清朝の苦力のような格好だったような気がします。

当時も少数民族には辮髪があったのでしょうが、あれはどう見ても時代が違う。



ちょっとずれますが、金曜ロードショーか何かでアニメになった三国志では于禁が曹操に恋する女でしたね・・・。



改めてじっくり読み返したらいろいろおかしなところがあるのでしょうけど、とりあえずこれくらいです。

まあ、マンガですし、細かい間違いがあっても横山三国志の成果は損なわれないですけど。



『三国志演義』と史実の違いとなると、語りつくせないです・・・。








孔明が天才軍師になってるところ。史実の孔明は、内政官としては大変優秀でしたが、軍人としてはそれほどの功績を挙げていません。上の方がおっしゃるように、赤壁の勝利も孔明の功績ではありません。愚将ではないかも知れませんが、名将とも言えません。







まず前半の名場面、汜水関の戦いで関羽が華雄と一騎打ちをして、酒が温かい内に華雄の首を持って関羽が帰ってきたという話は嘘です。また、関羽の千里行も関羽の忠義と武勇を強調するためのフィクションです。地図を見るとわかりますが、演義の道順で行くと西北に出て洛陽を目指し、東にターン。汜水関、榮陽、黄河の渡し場へ行き、それから南下するという、実に不可解な遠回りをしたことになります。



三国志最大の山場でもある赤壁の戦いにも様々な「演出」が施されています。

孔明が二十艘の船を率いて曹操軍から10万本の矢を集めた話しは嘘で、213年(建安18年)に曹操と孫権が対峙します。孫権が曹操軍の敵情視察に出た際、船の側面に大量の矢を受け船が傾き転覆しそうになった為、船の向きを変更し片側にも大量の矢を受けてバランスを持ち直して難を逃れたという孫権の機転を生かした話が元ネタになっています。

赤壁の戦いにおいて龐統が曹操に連環の計をしかけたことになっていますが、正史に龐統が赤壁の戦いに参戦していた記述は一切ありません。おそらく孔明より遅れて物語に参加するため、あえてドラマティックな役回りを演出させ、遅れてきたハンデを取り戻させるために活躍させたと言われてます。



後半の見所である諸葛孔明と司馬仲達の知恵比べ。両雄の初激突となった街亭の戦いですが、演義では魏軍の参謀は司馬仲達ですが、正史では張郃が参謀です。歴史書の『晋書』によると司馬仲達は反乱を起こした孟達を滅ぼした後、宛城に引き揚げており蜀軍とは戦ってないことになっています。つまり司馬仲達は参戦すらしていません。孔明は張郃に負けたのです。



他にも矛盾は多少あります。三国志演義は小説なので「史実7割、虚構3割」といわれてます。しかし、この絶妙な配分と作り話こそが三国志を魅力あるものにしていると言えるでしょうし、漫画も面白く描けるのでしょうね。







これは嘘だというのは語弊があるんじゃないかな。演義は歴史書じゃないんだから。



まぁ一つ挙げるなら合肥で太史慈が張遼の策で殺されるシーンかな。赤壁前に「男たるもの皇帝になるべく戦ってきたというのに、こんな所で死んでしまうとは!」と凄い台詞吐いて病死してる。一応孫権の部下だと言うのになんという野心家。張遼の知勇兼備ぶりを引き立たせる役目ですね。馬良も似たようなケースで、夷陵の戦いで戦死しているにも関らず孔明の南征時に馬謖が病死を伝える。馬謖の登場シーンとその後に南征の方法論を述べさせ馬謖の知略の高さを示すためですね。こういうところは羅漢中の物語の盛り上げ方は秀逸です。



あんまりよく覚えてないですが、確か両方とも横山三国志にもあるシーンですよね。







芙蓉姫は吉川三国志に出てきた架空の人物でそのまま横山三国志にも登場していますね。



別に横山三国志に限った話ではないですが、関羽、張飛の青龍偃月刀、蛇矛は三国時代よりも数百年以降後で初めて作られた武器です。







諸葛丞相の車椅子。普通に馬に乗ってたと思います。特に益州では不向きです。でもしっくりくるんですよね…